当時の雑誌記事


■このページのねらい

現在最先端と言われるインターネット情報網・・・。

しかし、そこで得られる『巨神ゴーグ』関係の情報量たるや、もう涙無しには語れないくらいの量。

そういった状況を緩和する一つの手段として、ここでは84年度のアニメ誌を中心に『巨神ゴーグ』に関する情報記事を紹介することにします。

 

(*)なお、これらの記事の抜粋は、当時の責任者の方の所在も不明なことと、掲載から20年近く経っている事から、原著作者の不利益になることはないだろうと勝手に判断して掲載にふみきりました。この判断が不適当であるなど、原著作者から連絡があった場合には、予告無しに削除する場合があります。どうかご了承ください。

 

■アニメージュ (徳間書店)

●特集記事

 

・2月号70p アニメージュ・レーダー

83年秋放送予定が延期されていた「巨神ゴーグ」。いよいよ84年4月第1週より放映が決まった。これにともなって東京・名古屋・大阪の3都市で、第1話〜第4話までの試写会を行う。安彦監督の舞台挨拶あり。(抜粋)

 

*ムチャクチャちっさい記事。

 

 

・3月号88p 春の新番組についての特集紹介記事・アニメージュ記者3人の試写会感想

中村孝氏
「ゴーグは、手塚治虫のガロンのように意志をもったロボット。その正体も不明だから、つねにどう動くかわからないという怖さがある。たとえば、主人公悠宇とゴーグの出会いのシーン。ゴーグを見て悠宇はおびえる。それは、正体不明のやつに自分がなにをされるかわからないという恐怖なんです。」

徳木吉春氏
「『ゴーグ』で安彦さんがすぐれたキャラデザイナーの才能とアニメーターの資質を兼ね備えていることを再確認しました。サブキャラは顔で性格がすぐわかる強い個性の持ち主ばかり。その彼らに、性格に似合った演技をつけて動かすものだから、より個性的になる。」

池田憲章氏
「いちばんうれしかったのは、悠宇が自分の意志でオウストラル島に行こうとしたこと。これは、なにかの事件にまきこまれて“行かなければ”と決心させられたからではない。『ガンダム』のような、まきこまれ型のアニメが多いなか、新鮮な話の作り方だな」

 

*的を得ているような、的外れのような・・・。しかし、誰もクオリティーに触れていないのはどうしてなんだろうか?

 

 

・4月号73p 新番組紹介記事

『ゴーグ』が少年冒険ものの形をとっているのは、安彦氏が少年の頃、隆盛を極めた冒険小説の影響もあるらしい。

「50年代とか60年代のはじめというのは、ぼくらがガキの時分だからぼくらがかっておもしろいと思ったタッチ―それはやっぱり、こういうものを作るときに、どっかの原点にあるわけだから―。なにがしか、アニメなんか作ってる人てのは、童心にかえるでしょう?―作ってるときはね、その童心にかえるってのを、うんと意識的にやってみようと思ったわけです。」という安彦氏。

「そういう思い入れで作ったものを、今の子供達がすなおに、おもしろいと受けとってくれるかどうか興味ありますけどね」とも語っていた。放映まであとひと月、さて―。

 

*ゴーグがいかに安彦監督の趣味を注いだものかというのが明確にあらわれている。

 

 

・4月号130p 「サブタイトルはこうして作られている!」

『巨神ゴーグ』はきわめて、まじめにサブタイトルをつけました。というのは、シナリオが5〜6本できるごとに、監督(安彦良和氏)脚本家(辻氏と塚本裕美子氏)チーフ演出(鹿島典夫氏)文芸(風間洋氏)設定製作(高森宏治氏)の6人で、会議を開き、サブタイトルを作ったんです。放映前に脚本が、全部できているという特殊なケースだったので、作品全体の流れを考えて、前の方のサブタイトルをつけなおす、といったことも可能でした。つけ方としては、あまり長くなく、かつ含みをもたせるようなものにしようと注意しました。(辻真先氏)

「西へ・・・」「嵐への船出」「出会い」といった簡潔なスタイル。昔の1点豪華主義的タイトルに近いと言えるだろう。あまりひねってないあたり、むしろ新鮮な感じもする。

 

*サブタイトルのかっこよさは、アニメ史上でもかなりのものだと思うのだがどうだろう?例の「んたったったったったったったったったら〜・・・」という音楽の効果もあり、個人的には大好き。

 

 

・6月号30p 第6回アニメグランプリ作品部門1位「クラッシャージョウ」

「クラッシャー」を良いクスリにして ― 監督 安彦良和

「まったく予想もしていなかったので、とまどっています。

制作中もいっていたことですが、この作品は気楽に見られる娯楽作品として、創るほうも気楽にやろうじゃないかと心決めしていました。結果はどうにかそのようなものができあがったようですが、こしらえる作業は思っていたほど「気楽に」というわけにはいかなくて、とくに人手不足には参りました。あのスタッフでよくもまあ長編が1本できたものだと、いまにしてもつくづく思います。

いろんな人たちから批評をいただいたりなぐさめられたりしましたが、よい出来のものだったとはとても思えません。

ただ、ぼくの力不足のところ以外は、ほんとうによくフォローしてもらえて、仕事の印象は最高です。未経験のスタッフもよくがんばってくれたし、マンガ家さんたちの善意のご協力も楽しいものでした。ベテランの声優さんたちもつたない絵にもめげず、熱演してくださいました。

ぼくも初体験のことばかりで、よい勉強をさせてもらったなあというのが、なによりも強い印象です。 長編と言うのはやはり作った後の充足感が違います。

「クラッシャー」をよいクスリにして、また機会があったら、もう少し良い出来の映画を・・・・と思っているのですが・・・。」

 

*安彦監督・・・けんそんしすぎな気が・・・。それとも、やはりクラッシャーは高千穂遥氏のモノ、という気持ちがあったのだろうか?なんにせよ、グランプリ受賞に対して本当に予想外だったみたい。

 

 

・7月号26p 特集記事・富野由悠季と安彦良和「現在」

アニメーター・安彦良和が今回の『巨神ゴーグ』では原作から監督、そしてキャラクター・デザインに至るまで全ての仕事を担当。“安彦アニメ”と呼ぶにふさわしい作品づくりに挑戦した。実際、その世界観を統一するための徹底振りは、ある例外を除けば他作品には類を見ないだろう。作画監督として原画を修正するのはもちろん、構図のもとになるレイアウトも安彦氏がすべてぜんぶ書き起こしている。

その効果はゴーグと悠宇の交感シーンに代表されるように安彦氏特有の微妙な演技となって反映し、映像的にもかなり完成度の高いものを生んでいる。 むろんスタッフの間でもそのレイアウトの指示や書き込みの的確さは定評がある。

「第1話で、ウェイブ博士の部屋が描かれたレイアウトはみごとでした。あの絵1枚でドラマをいくらでも作ることが出来ますよ」(脚本家・辻真先氏)

かくして『巨神ゴーグ』の物語は少年を主人公にした冒険ロマンの再生をめざして始動したわけだが、これは物語の主軸ともいうべきメイン・ストーリー。このメイン・ストーリーを支えるサイド・ストーリーも満載する『巨神ゴーグ』だが、その中でも目をひくのが、GAILのロッド・バルボアとクーガー・コネクションのレイディ・リンクスの部分である。

ある意味では、このふたりは『ガンダム』のシャアやマチルダなどのクールな安彦青年キャラの後継者と言えるのではないか。 しかも、シャアやマチルダなど、いままでの青年キャラが、復讐や野望、理想など主人公の少年よりも一歩踏み込んで、テーマと直結する主人公の対極キャラとして作られているのにくらべ、ロッドやレイディは、物語の中でメイン・ストーリーとはあまり関係なく、活躍の場を存分に与えられているワキ役中のワキ役なのだ。

「レイディは、作品に色気を出すために出したキャラだったので、脚本を書いていく中でいつか消そうと思っていたんですが・・・人格がいつのまにかひとり歩きしてついに殺せませんでした。ロッドに関しても、当初の予想以上に存在感が大きくなっていきましたね」

脚本家の辻真先氏が語るように、作者の予想すら越えた魅力を発揮していく―それこそ、映画のキャラの魅力とはいえまいか。このふたりの開花に期待せよ!

「安彦さんのキャラは、前歴と後歴がつけやすいんです。つまり、その顔を見ただけで、どんな過去をもち、どんな場所で死んでいくのか、ある程度想像できるんですね。まあ、デザイン自体がドラマを内包しているといってもいいでしょう」 と脚本家の辻真先氏。

数多くのキャラが登場すれば、それだけの数のドラマが安彦アニメには秘められていることになる。

たとえば、海坊主の司令官ベーム大尉。彼は、対ゴーグ戦で今後大活躍をすることになるのだが、その手腕や行動力から見て、数多くの戦場を駆け抜けてきた歴戦の勇士のはず。しかもGAILにやとわれている点などから外人部隊の一員だったとも考えられる。 むろん、これらの過去が作品の中には実際登場しない場合もある。しかし、そんな想像をかきたてさせてくれるキャラクターだからこそ、見ていて感情移入できる部分もあるのだろう。

デビィやベーム、そしてサラやアロイたちは、どんな活躍をするのだろうか?また、いまだその正体が描かれない船長の本心は? 安彦アニメのめざす方向は、実はキャラを存分に生かしたい、そんなことかもしれない。

 

*レイディを途中で殺すつもりだった・・・という衝撃の事実。そうなってたらまた変わった雰囲気の作品になっていたんだろう。また、安彦キャラが顔でドラマを内包しているという事実は、「言われてみれば!」というカンジ。

 

 

・7月号35p ふたりに聞く“これから”インタビュー/徳木吉春

「『ゴーグ』でテレビアニメは卒業するつもりです」

徳木 
物語の作り方として、お話があってそれから絵を作るという場合と、ひとつの絵から発想していく方法があると思うのですが、安彦さんはどうなんでしょうか。

安彦 
アニメをやっている人は、だれでもある程度、絵に対するイメージはあると思うし、抽象的な問題から作っていくということはないと思う。ただぼくら、絵描きの場合には、その度合いが強いということですね。『ゴーグ』だと、頭の上に男の子がちょこんと乗っかってね、それで大地を歩くという絵づらが最初にあって、これをうまく使える話を作りたいなって考えていったわけです。 よく、いきなり状況設定みたいなところから会議で決めていく場合もあります。宇宙ものでいこう、とかファンタジーにしよう、とか。いままで使っていない設定はないか、みたいに考えていく。これは、一種営業会議的でつまらないですね。話ははずまないし。

徳木 
たとえば、タツノコプロの『宇宙エース』などでは、まず最初にシルバーリングというアイデアが生まれて、それにあとでSF作家に、理屈を考えてもらう、こんな形をとってましたが、こういうほうがイメージ広がるってことですね。あるいは『ナウシカ』なら女の子が空を飛ぶ絵から発想していったというようなこと。これらと通じるような気がします。

安彦 
うまくいくっていうのは、そういう場合じゃないですか。

徳木 
物語ということでは『ゴーグ』は、昔の月刊誌のマンガに似てるなあ、て気がしたんです。最近のテレビアニメというのは、週刊誌的で、ドラマのテンポが非常に早いですよね。それと比べると『ゴーグ』はどこかゆったりとしている気がしたんです。その点、いまの子供達は、多少ギャップを感じるんじゃないでしょうか。

安彦 
うーん、いまいちわかってもらえないということはあるみたいですね。でも、ロボットものというのは、パターンが決まってますよね。それをくずしたかったんです。「つづく」というスタイルもそう。つぎは何が始まるのだろうかって、期待が持てるということはあるでしょう。 あと物語としては『ゴーグ』はようするに『宝島』をやってみたかったんです。『宝島』では、やっぱりイントロが一番おもしろいですよね。変な客が部屋に来て、仲間が集まってきてね、出発して、この何か事件が始まりそうだなっていうところが好きなんです。このイントロをやってみたかったわけです。

徳木 
『ゴーグ』は本当に、オーソドックスな冒険モノですね。いまふうのものを取り入れようとかしないで、作られていると思うのですが。

安彦 
なんかよそおいだけ新しくしたってしょうがないじゃないかっていう気がありましてね。ファッション性みたいなものは、信用できないぞって気がするんです。映像っていうのは、すごくひとりよがりが可能な分野でしょう。視覚的に違和感のあるものを作ってどうだって挑発していく作り方は可能なんだけども、それにおぼれちゃうとどうしようもない。見せ方が古いといわれても、一番わかりやすいんだからそれでいいじゃないかと思います。

徳木 
安彦さんの作品は、男の子がいて、女の子がいてという場合、女の子は本当にふつうの女の子ですよね。ドリスにしても。

安彦 
そうなっちゃうんですよ。『ガンダム』のころね、ララァっていう子がどうしてもすきになれなくて、フラウ・ボゥのほうがずっと気に入ってたんですよ。それが後半になるとフラウの扱い方が冷たくなってきて、富野さん、フラウがきらいなんだろうかって思ったものです。なんていうか20歳すぎてキャリアウーマンになるような子より、いいお母さんになってくれる女の子がすきということかな。どうしてもそうなります。

徳木 
そういうところに、安彦さんの作家性が現れてますね。ぼくは、安彦さんの描く女の子は大好きですよ。

『ゴーグ』という作品は、安彦さんにとってどんな意味を持つ作品なんでしょうか。

安彦 
一番あったのは、テレビシリーズを1本、まんべんなく自分の手を汚したものとして作りたかったということです。たとえば作監といっても、月2本やれば目一杯です。ぼくは決して人より手が遅いとは思わない。むしろ早いですよ。もちろん顔だけを直すという方法なら別でしょうが。一応全カット“なんとか”というレベルまで引き上げる作監作業ならこのペースが限界です。結果としてふつうのテレビシリーズだと、自分がノータッチの作品が半分はできてしまう、これが残念でしょうがなかったんです。 だから『ゴーグ』は月2本のペースで原画がインしてアップするまでに13か月かけて作りました。ふつうの倍の時間ですね。

徳木 
『ゴーグ』では原作・監督・作監・レイアウトをやってますね。

安彦 
とにかくひとつの味で通したかったんですよね。ぼくの絵がらとぼくの好みで。

徳木 
土器手司さんが2本、作監をやってますが。

安彦 
よく「あいつは自分でやりたくてしょうがないんだからやらしとけ」なんていわれるんだけど、ぼくだってやってもらえる人がいるんなら、やって欲しいんです。人がいないからしょうがないんで、自分で描くわけです。土器手くんの場合、10カットか20カット原画を見ただけで「あ、こいつうまいや。ひょっとしたら自分よりうまい」と思ったから、すぐ作監やってもらったんです。そういう人の才能を認めるのは、全くやぶさかではないですね。ただ、そういうスタッフはなかなか得がたいものなんですが。

徳木 
『ゴーグ』という作品については、ファンの間からいうと、久々に安彦さんらしいアニメをテレビで見られるというんで、うれしいでしょうね。特に最近は、出崎統さんやりんたろうさん、そして安彦さんなど70年代に活躍した人たちが、映画にひっぱられてしまってますよね。そんな中、安彦さんがテレビに戻ってきたわけですから。

安彦 
ん、戻ってきたというよりも、テレビに見切りをつける前に1シリーズくらいまともなものをやりたかったということなんです。テレビには、いろいろな制約が多すぎるし、不愉快な思いもしてきてますからね。ただ、たいしたものを作ってないのに、「やーめた」なんて言い方はできないので、「まあまあ、あれくらいの作品を作ったのならよかろう」といわれるものをやっておきたかったわけです。これで、テレビアニメは卒業というようなものをね。

徳木 
ではもうテレビアニメシリーズをやる可能性はないわけですか。

安彦 
お手伝い程度はあると思いますが、それ以上踏み込んでやるということはまずないと思います。

『ガンダム』について

徳木 
『ガンダム』という作品はいまだに根強い人気があるわけですが、振り返ってみるといかがですか。

安彦 
あそこまで爆発的に受けるとは思わなかったですが、それなりに手ごたえのある作品でした。ひとつの非常に奥行きのある世界を展開してみせる。それから人間の方ではヒーローとかサブヒーローということではなく、ある世代の若者を群像として描く。このふたつの新機軸は受けるだろうと思いました。

徳木 
受けた理由のひとつには、安彦さんのキャラクターの魅力が大きいと思いますが。

安彦 
『ガンダム』はやはり富野さんのものだという気がします。ぼくの気持ちとしては、富野さんのところにキャラクターを里子に出したというつもりでしたね。そうはいっても各キャラに思い入れはあるし、その扱われ方も気になるわけです。富野さんは、かわいがってくれましたけどね。後半、病気でぬけてしまった部分については、違うなって気があったわけです。

徳木 
『ガンダムV』は、キャラクターがひとりだちしてしまうほど、絵的な完成度が高かったですね。

安彦 
やっぱり後半のテレビを見てて、コンテがこう指示してきたら、そんなふうに描いちゃいけないんだなんてことがいっぱいあったわけです。このキャラクターならこんな芝居しないとかね。そこを、自分ならこう描いた、という物をとにかく作りたかったんです。

徳木 
以後、富野さんと組んでませんよね。

安彦 
最初から監督の下で作監というのは『ガンダム』だけにしようとは思ってたんです。

徳木 
以後は自分の作品を作りたいというようなことですか。

安彦 
そういうことですね。テレビの『ガンダム』はやはりやりがいのある仕事だから、これをやって作監はやめにしようと。映画版は、いわばふろくです。だから富野さんと組まないというのではなく、以後だれとも組んではいませんよ。

徳木 
富野さんという人はどういう方だと思いますか。

安彦 
あるシチュエーションを作り出すという、イメージの力は非常に豊かな人だと思います。ただ、性急というか、ひとつの考えが熟成するまで待てないという性格ですね。だから『ガンダム』のあと富野さんは4〜5本作ってるでしょう。ぼくなんかは『ジョウ』と『ゴーグ』しかやってない。休めっていうわけでなく制作の準備期間をたとえば半年おいて、新番組を作るとか、そうすればいいんじゃないかな。あの人の可能性とかパワーとかはちょっとしたものだといまでも思っています。作家っていうのは一種常識的じゃないところがあるべきだと思うんです。富野さんには、作家らしい非常識性っていうのがありますね。

徳木 
『ガンダム』の続編を作って欲しいみたいな要望が、ファンの間では強いですが。

安彦 
それは富野さんが決めることじゃないですか。ただね、作ってかまわないはずだ、とは思ってるんです。ぼくにとっては、もう終わってしまった作品ですけども、富野さんが書いた『ガンダム』のストーリープランなどを見てると、少なくともなにか先にやりたがってるなって感じだからね。それは『ヤマト』が続編を作ったというのとは次元が違うんですよ。もうひと山当てようというような発想ではなく、富野さんが作家として作りたいと思ったなら、大威張りで作ればいい。そのとき、やめなさいという理由はないと思う。

“理想のアニメ”とは?

徳木 
安彦さん自身はテレビシリーズは卒業ということだと、これからは、やはり劇場用のオリジナル作品を作ってみたいということですか。

安彦 
いいわけをしたくないというか、自分で全責任を負った形で、作っていきたいですね。それにオリジナルって楽しいしね。ビデオという手もあるけど、それだと失敗したときのリスクが大きいんです。その点映画というのは、安手に作れば、なんだかんだいっても元がとれてしまうんですよ。図々しい言い方ですが

徳木 
最後にお聞きしたいのですが、安彦さんは、どんなものを理想的なアニメだと思っているんですか。

安彦 
う〜ん。理想のものっていうのはねぇ。どういえばいいんだろう。つまり、アニメの画面ていうのはギクシャクして汚いですよね。そこを同じ3コマどりでももうちょっとなめらかになるはずだ。同じ枚数を使っても、もうちょっと表現の奥行きが出せるはずだ。こんなことが、おそらく理想のアニメへとつながっていくのではないでしょうか。
とにかく安くて状況的にマイナーなところで作っていくのが日本のアニメの宿命になっている。その中でギリギリのところで、もうちょっとなんとかならないかっていう努力が正しいんじゃないかと本当に思うんですよ。

一昔前までは、ディズニーがひとつのプレッシャーになっていた。いまは、コンピューターグラフィックスを使うのが自慢になるみたいなところがある。そういう技術至上主義でお金を何倍もかけて作っても、何もおもしろいものはできないと思う。そういうものによろめいていたらアニメーション全体が高嶺の花になって、ぼくらの手元からすっ飛んでいっちゃうと思うんです。それでは、それこそ、サラ金会社に日参しなきゃアニメーションを作れなくなっちゃいます。そこで踏みとどまらなきゃいけないんです。

(5月17日所沢)

 

*ここで明かされる事実は

@「ゴーグはそもそも、TVアニメと決別するための最後の作品と思って作ったのだ!」

A「富野監督のやり方は私の好みじゃない!」

B「ガンダム、ガンダムって言うな!あれはあくまで富野作品!」

C「流行に流されるのは信頼できん!」

・・・という、当時のアニメ界に対する、安彦監督の熾烈な姿勢であろう。また、土器手氏を誉める時も「やぶさかではない」と言うあたり、強烈な作家性が見え隠れしている。

 

 

・8月号24p アニメ界の“新しい力”

「土器手司・巨神ゴーグ7話・15話」

まずは、素質のある若者がいい目利きに出会った幸運な話から。

「(佐藤)元くんの紹介でいい人がいるからと、7話から参加してもらいました。最初、変な名前だなあと(笑)思ったことをおぼえています。で、7話(「海坊主の砦」)を10カット描いてもらったんですけど、これがやけにうまい。「どうって、とにかく見ればわかります。うまい。これはいいと吉井(プロデューサー)さんと鹿島(典夫・演出)さんと3人で相談して、15話の作画監督を頼んだんです。21話も頼みましたが、あと2〜3本やらせたかったですね。エンピツづかいがいい、というか、とにかく表現力があるんです。まだ未完成ですけど、芸の確かさを感じさせる人です。こういう出会いが無いかなあと思っていましたから、本当にうれしいです」

と、安彦良和監督ははずんだ声で語ってくれた。 ご本人の土器手さんは、かなり無口な人で、数回あってようやく少し話が聞けた(イラストはすぐ引き受けてくれたが)。深く考えてから話すタイプでもあるようだ。

「『ゴーグ』はやりがいがありすぎて、シンドかった。もう少しと思うけど、あそこまでしかできませんでした。7話の10カットは自分でもうまくいったと思います。作画監督はふつうよりたくさん原画に関われるところがいいですね。将来?絵コンテも切ってみたいです」

昭和35年2月6日鹿児島生まれ。 「ごく普通の高校」をでて2年間浪人。「絵は趣味ていどに描いていたがてっとり早く食えそうだから」と上京し、専門学校のアニメーター科で1年学ぶ。スタジオ・ルックで「1000年女王」(動画)「ハットリくん」「コブラ」「パタリロ!」(原画)などに参加。「スラングル」10・16話の各話作監も。

「テレビで見るものは『うる星やつら』。いままで好きな作品は『どうぶつ宝島』『パンダコパンダ』『ナーザの大暴れ』。趣味はプラモ、オモチャ、マンガ、SFの本、怪獣映画」。

ようするに、絵の素質を持ったまったくいまの若者なのだ。こういう若者が今後どういう作品をつくっていくか、きわめて興味深い。

土器手さんが『ゴーグ』ではじめて作画監督をした第15話「旅の終り」。

「15話はとくにうまい人ばかりだったので作監ラクでした。自分で描いたのは最後のところだけ。安彦さんのレイアウトですか?そうですね。オーソドックスでクセの強い絵ではないですから、ぼくはべつに描きにくいということはありませんでした

 

*土器手氏、当時24歳。鑑みて自分(HP管理者)は26にもなっていったい何をやっているのだろうかと悲しくなってくる・・・。にしても当時のアニメージュは、こういう企画(アニメ界の新人)を特集にもってくるあたり、かなり真剣にアニメにとりくんでいたのだと感心する。なお、同じ特集では、23歳の佐藤順一氏、21歳の大畑晃一氏、など、現在ビックになられてる方々の顔も見られる。

 

●インサイドレポート 吉井孝幸 (PD・日本サンライズ)

 

4月号97p

『巨神ゴーグ』いよいよ4月5日(木)より放送決定!

たいへん長らくお待たせいたしました。昨秋、放映延期という不祥事を起こし、気をもませるなどなにかとみなさまにご迷惑をおかけいたしました。しかし、遅れて登場するのが真打の常。期待どおり、といわれる作品をめざしています。

安彦良和みずから原作・監督・キャラクターデザインに加えて、全話レイアウト・作監の大業で迫る本作品。スタッフはシナリオに辻真先、塚本裕美子という古豪、新鋭のフレッシュコンビ。CDに「クラッシャージョウ」の鹿島典夫。美術に金子英俊、メカデザインには売れっ子、佐藤元。演出には菊地一仁、浜津守、小鹿英吉の中堅トリオという陣容。

スタッフのノっている作品はおもしろい!!狭いスタジオは熱気でムンムン、雪をも溶かす勢いで、昼夜の自然の法則に見向きもせず、スタッフ一丸となって製作中です。4月5日!テレビでお会いしましょう!!

 

*脚本家紹介。ちなみに、塚本さんはこの後、『ゴッド・マジンガー』の仕事をしたのだが、このとき「ゴッド・マジンガーは、あんまりにも超常的すぎて親しみを感じられない」とおっしゃっていた。ゴーグとの比較と受け取るのは、うがちすぎだろうか?

 

 

6月号91p

『ゴーグ』『ジャイアント・ゴーグ』

―読者はこの響きに何を感じるだろう? いかにもアニメーション的なタイトル、血湧き肉踊るなつかしのアニメーション!?素朴で、明るく、ちょっと鈍重・・・。でも、おおらかなふんい気ではないか!

スタッフのあいだでは「いかにも安彦さん的だなぁ」「ちょっと古いんじゃない」「シャープさがたりないよ」「まるでシーラカンスだよ」・・・等々の声が。『巨神ゴーグ』『巨神ゴーグ』と連呼して、結局、頭の部分はジャイアントと読ませることにした。

映画であれ、書物であれ、商品の名前であれ、スタッフがまずハムレットの心理になるのが作品タイトルである。アニメにもその定石はあって、「濁音が入ることが絶対条件」「四文字がヒットのコツ」「パピプペポの一文字を入れるとハイカラになる」等々。ひとつの作品にタイトルをつけようとすると、その候補は軽く20〜30は出てくるものなのだ。

数日後、タイトルの『巨神ゴーグ』はなんの障害も無く決定した!

 

*タイトルについての裏話。それにしてもパピプペポが入らなかったのは今考えると本当にウレシイです。

 

 

7月号84p

今月は、この物語の展開に不可欠な舞台・・・オウストラル島についてお話したいと思います。

舞台設定の第一条件は、夢を感じさせる土地であること。少年少女の冒険心をくすぐるような土地・・・ということでした。といっても、いまやアマゾンやアフリカの奥地に入ったとしても、未踏の地などありえません。安直に宇宙に飛び出すというのも芸が無い。この地球上にそれがあるとすれば、海底しかない・・・。

そこで生まれたのが、“南海の島”オウストラル島でした。といっても、全長100kmもあるような島が出現したとなれば、すぐ発見されてしまうし、マスコミだって黙っちゃいない。じゃあ、人為的に隠そうじゃないか。それも国家権力に匹敵するほどの力をもちえる企業という設定で・・・。

島は南半球サモアの東南2000キロ。南回帰線上である。火山活動で隆起した島で、その山頂は約600メートル。地形は比較的平坦で、湿地帯やジャングル、そして広大なカルスト台地がひろがる・・・。 こうして、夢を感じさせる舞台が誕生したのでした。ゴーグともども、このオウストラル島についてのご感想もお聞かせください。

 

*舞台設定について。ナルホド。

 

 

8月号74p

5月をもって制作の全作業を完了しました。

じつに1年2ヶ月という長丁場。安彦監督を頂点にスタッフにも恵まれ、満足の行く作品に仕上がりました。おかげで仕事場、サンライズ第四スタジオも晴れて発展的解散(スタッフ)の道を選ぶことに相なりました。残すは打ち上げパーティのみ。

―こう書くとじつに平穏に『ゴーグ』が出来上がったようですが、なにを隠そう、ありました・・・。いろんなことが。神の怒りに触れることなど考えられない純真無垢なスタッフに、魔の手が伸びたのです。

それは去年の夏でした。色指定の女性ライダー、小野さんの不運なオートバイ事故(全治5か月)以来、セキをきったように事故が続出。チーフ演出、鹿島氏の自動車事故(全治1か月)、ナレーター石塚氏のオートバイ事故(全治2か月)、声優の神保さんの病気交代、演出全員の長期発熱、アニメーターの病気、制作の自動車事故(これは珍しくない)etc・・・。そして、ついに音響スタジオ(テレビセンター)の火事。 そして、衝撃の放送延期・・・。ございました。いろんなことが。

しかし、現在の元気の上になにかつけたいほどのスタッフを見ていますと、あのころがまさに夢物語の気分なのです。 たしか、事が収まったのは、『巨神ゴーグ』が活躍しはじめたころのような気がします。

 

*作製中の事故・呪いについて。不吉だ・・・。

 

 

9月号92p

今月は作品の要、『巨神ゴーグ』の演出陣を紹介します。

まずはチーフ演出として大車輪の活躍。いまやベテランの域に入った観のある鹿島さん。自前の天然ヘルメットをつけ、CDという複雑なポジションをこなしてきました。生来の明るい性格(絵コンテさえやってなきゃ)がスタジオを常夏の南太平洋気分に・・・。

そんな明るいスタジオを狂気へとひきずりこむのが、特異感覚のルーキー、浜津くん(♂)。本作品の1話が演出初仕事。いつの間にかレギュラー演出として定着。男関係さえクリーンであれば将来の大器ですぞ。

うかれたスタジオに冷風を注いだのがこの人、ニヒルな演出、小鹿くん。“ケンカの小鹿”で“名声”を博していますが、安定した仕事ぶりは頼りになる男の面目躍如たるところ。

トリはこの人、映画博士の菊池くん。9話から参加。ニューリーダーとして、いまもっとも期待されている演出。現在「タオタオ」のCDもつとめています。酒と女さえ存在しなきゃ、もっと仕事をしますヨ。

『ゴーグ』の個性派演出陣、これからも作品ともどもご声援お願いします。

 

*演出陣の紹介。ケンカの小鹿さんは前に一度掲示板に書き込んでいただいた方です。当時のスタジオの和気藹々とした中にもどこか殺気立った雰囲気が、行間からにじみ出てる気がする。

 

 

10月号100p

4月にスタートした『巨神ゴーグ』ですが、はやいもので今月をもって全話終了となります。

長いあいだご声援をいただき、ありがとうございました。

本作品は原作からキャラデザイン、作画監督、レイアウト・・・と安彦監督が大活躍、ひとりで四役も五役もこなしてました。比較的恵まれた制作状況があったとはいえ、そのパワーには驚くばかりです。

いつも柔和で円満、エビス顔の安彦監督。安定感のある限りなく肥満に近い体格。背たけはそこそこに低く―とはいってもただのデブじゃない。その証拠に大の男が引っ張れないエキスパンダーを、涼しい顔をして引っ張ったりもします。 どんなに忙しくても優しい笑顔を絶やさない人。しかし、いざ机に向かうと微動だにせず、驚異的なペースで仕事をこなします。その顔は鬼気迫るものがあります。そして明晰な頭脳と論理的な弁舌は、体型に反して鋭利な切れ味を感じさせます。

これからもたくさんの仕事をやってもらいたい。やらにゃあいかん監督です。

『巨神ゴーグ』は終了しますが、安彦監督のつぎの作品に、そしてわれわれ『巨神ゴーグ』スタッフの新作にもご期待ください。 最後に『巨神ゴーグ』の感想を聞かせてくだされば幸いです。

 

*安彦監督評。この文を見てる限りしつこいくらいに「太っている」「太っている」と繰り返しているけど、何かあったのだろうか・・・?


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