11月11日
マノノ島でサモアンライフ
アピアの郊外の港から小さな船で20分の位置にあるマノノ島に行きました。
ここは犬と車がない島です。私はこの島には2度目の訪問です。今回はポリテクのツアーガイド課に在学している生徒のファラウラの家に泊まらせてもらいました。11時にアピアの船着場でファラウラと待ち合わせて、船で彼女の家に向かいました。船は彼女の村の船着場に停まりました。船着場は島の何軒か家が集まった当たりに作られていて、マノノには3つの部落があって、船も南側、北側と路線がきまってるらしく自動車がないかわりに船で島を移動するようです。ちょうど昼にファラウラの家に到着です。早速客間のファレで昼食です。パンダナスで編んだランチョンマットにバナナの葉を敷き、そこにタロイモ、ポテトサラダ、鶏肉、ライスと大盛りです。サモア式食事の作法は、まず上座から席に着き、長いお祈りをしてから、一人ずつに手洗い水とタオルも差し出されてから食事になります。その間主人が客の向こう側に座り、何かと話をして、男の子達が団扇であおいでくれます。マオナと言って食事を終えると、また手洗い水とタオルが差し出されて食事が完全に終りました。食事が終ると、枕が運ばれてきました。横になって昼寝をしなさいということです。サモアの人は極端に言うと立ってるか横になっている生活が多いです。ファレが多いので、バスなど乗ってると家の中が丸見えです。本当に皆横になってます。横になって、皆でおしゃべりを楽しんでるみたいです。私達も100メートル先は海というファレで早速海を見ながら横になりました。海にはカヌーが20艘丸く何かを囲むように浮かんでます。突然、缶かんをたたく音がしたと思ったらカヌーから人がいっせいに海へ飛び込みました。網の中の魚を銛で突いているのだそうです。小さい魚は逃がし、20センチ以上の魚だけを採るためだそうです。また少し平行移動して魚とりがはじまりました。おしゃべりして少しまどろんでいると、日が少し傾きファラウラのお父さんや男達が椰子の籠の中にいっぱいの魚を入れて帰ってきました。明日は日曜日なので、海で漁をしてはいけない安息日なので、今日と明日の分の魚です。
行った仲間はJOCV 食事の様子 元気な男の子達
外を歩くのにちょうど良い気温になったので、島の散歩に出かけました。道は火山地に草が生え、そこを踏みしだいた道です。両側はファインマットを作るパンダナス、ココアの木、バナナ、椰子などです。島の中央の山にも登りました。かなり山の上の方まで椰子、ココア、ノニ、タロイモなどのプランテーションがありました。島を一周して村の人たちとも挨拶しながら7時ごろファレに到着しました。家では今日の魚をはじめてとして沢山のご馳走を作って待ってました。そしてお祈りから始まって食事です。私達の食事が済むと、それから家の人たちが台所のあるファレで近所の人も交えて食事です。満天の星空です。今夜はフィアフィアで過ごします。彼女の母屋の方でひときわ威厳のあるオーデオコンポでサモア音楽をかけてシバです。まずお客から踊り、次に家主が踊る、これがルールだそうです。しかし私達は余り良くシバが出来ないので、ファラウラが踊り次に真似して踊り、それからは近所の人も加わり、掛け声のキャホーも入り楽しく過ごしました。そうこうする内に夜も更け、パンタナスのゴザにシーツ1枚かけて星を見、海の音を聞きながら寝ました。通常マットレスは気候が暑いので使用しないようです。まだ朝暗いうち、コリコリと椰子の実を削る音で目を覚ましました。お父さんが椰子の汁を絞っています。今日は日曜日なのでウム料理を作る日です。ウムは男の仕事でお父さん、息子などで準備します。ポリテクの男子生徒も授業で使うココナツミルクを上手に絞ります。私達もモーニングテイを飲んで、近くの教会にお父さんだけ残して、皆で行きました。皆白いドレスを着て、よそ行きの格好で教会に行きます。サモア語だから何て言ってるのか理解できなかったですが、賛美歌の素晴らしいハーモニーに感動しました。帰る頃には、ウム料理が出来上がりです。
バンダナス 獰猛なヤシガニ シバの踊りを優雅に ウム料理の調理場
10月29日快気祝い
同期のSVの人の快気祝いがありました。そこでは、彼の命の恩人との出会いもありました。
週末を利用して、サバイイ島に6人で出かけました。タヌビーチです。ここは家族総出でフィアフィアをしてくれるので有名なビーチです。そして珊瑚があって、熱帯魚もたくさん見られる海です。引き潮時を見計らって皆で海に入り、シュノーケルを楽しみました。気がつくと、いつもは泳ぎの達者なOさんが苦しそうに頭を海で前後していました。”あれ変だ”ということで、救助に仲間のひとりが救命具をつけて行きました。その間に海の直ぐ前のファレにいた若者2人が魚のようにスーとすばやく飛び込んで、ちょっと遅れてカヌーが海に入り、いっぱい水をのんで気絶してるOさんを助けました。それからは砂浜に横向きに寝かせ水をはかせました。彼女は医学生でライフセービング歴10年、彼の方も医学生でライフセービングの勉強中だそうです。とにかくラッキーが重なって、今日の快気祝いになりました。
タヌビーチ ビーチの前で 二人の医大の研修生 命の恩人との再会
10月23日ミステウイラの壮行会
10月25日にアメリカンサモアで行われる、南太平洋ユニバースに出席するのでその壮行会も兼ねた今年のミスサモア(
ミステウイラ)のお披露目会がありました。
これは観光局が主催なので、同期が勤務している役得のおすそ分けで、私も行くことができました。観光局の人々によるダンスが始まる前、ミステウイラがテーブルを回って挨拶にきました。9月に選出された時より、ひとまわり細くなって歩き方まで優雅になっていました。歴代のミスは半分西洋人の血が入っているのですが、今回は純粋のサモアンです。だから体もがっちりしてとても健康的です。時間になって、前年のミスサモアと観光局のスタッフのシバ(踊り)がありました。若い選りすぐりの美人達のシバなので、とても見ごたえがあります。それから、ミステウイラの色んなコスチュームのお披露目です。基本のデザインはサモアの民族服のプレタシをベースにして、サモアの素材を使い、たとえば貝、ファインマット、タパクロスをアクセントにた素敵なコスチュームでした。デザイナーは20代の青年です。インタビューの時間もありました。質問は政治、環境、教育、女性の社会参加についてなどです。シバも披露しました。今後はミステウイラが中心になって色んな機会に踊らなくてはならないようです。ミステウイラは才色兼備でシバが優雅に出来るのが必須条件のようです。ミステウイラの選考には各自にスポンサーが付き、10名で競いました。ちなみに今回のミステウイラは日本企業の矢崎がスポンサーのミス矢崎でした。
ミスサモアと同期のSVと 中央はダンスのリーダ スタッフの踊り コスチュームのお披露目
10月12日
ハニーイーター
昨日はスチーブンソン博物館から登るバエア山登山(7月10日の「
バエア山トレッキング」の記事参照)に行きました。今回の登山の最大の目的は、サモアに生息するハニーイーター(現地語でイアオ)という花の蜜を食べる綺麗な真っ赤な鳥の写真を撮ることです。
妻や同期のシニアはもう何回も登ったことがあるそうですが、管理人の私は始めての登山です。暑さと湿気で思ったよりハードな登山で、汗びっしょりで息を切らして登りました。途中のそこここには綺麗な赤いランの花も咲いています。山道の途中に赤い花が群生しているところに蜜を吸いに来るのですが、私達が通りかかると丁度その鳥がきて蜜を吸っていました。しかしかなり遠くなのでうまく撮れませんでした。帰りに再度チャンスを狙うことにして頂上を目指しました。途中で休んでいるときに、尾が白くて長い鳥(現地語でタバエ・タバエシーナ)がゆったりと飛んでいました。
山頂に着き昼食を食べていると、ぞくぞくと現地の人たちも上ってきます。下山の途中でもキリストやマリア様の像やローソクを持って沢山の人たちが登って行きます。前日はホワイトサンデーで日本でいうキリスト教の子供達の初聖体の日で、この日はその振り替え休日になっていますが、聞いてみると山頂で皆でお祈りをするようです。やがてまた赤い花の群生するところまで来ると、お目当ての真っ赤なハニーイーターが丁度蜜を吸っているところです。人がいても警戒する様子は全然ありません。今度は目の前まで来て蜜を吸っているので綺麗な写真を撮ることができました。思い通りのお目当ての写真が撮れて幸せを感じた一日でした。
管理人の私は3週間の滞在を終えて、10月16日に帰国することになっています。
蜜を食べる真っ赤な鳥 白くて長い尾の鳥 群生するランの花
10月8日
ドンボスコ訪問
昨日、管理人の私は先週末に会った修練生の案内で、ドンボスコの職業訓練校を訪問しました。
ここサモアはキリスト教が国教で、妻が赴任しているポリテクニックでもミーティングの前はお祈りで始まります。この職業訓練校は学校をドロップアウトした生徒に木工、配管や自動車整備などの技術を教育するカトリックの学校で、200人ほどの生徒がいます。昼前に着いて学校を案内して頂きましたが、皆が生き生きと技術の習得に励んでいます。ここで作られる机やいす、そして滑り台、ブランコ、鉄棒等の遊具は学校への需要が多いそうです。JOCVの隊員も配管技術の指導をしていました。周りは自然に囲まれて爽やかな風が流れて、とても恵まれた環境です。果樹園にはマンゴやレモン、パンの実の木などが沢山の実を付けています。この国は土がとても肥えているので肥料をやる必要が無く、放っておいても沢山の実が成ります。焼いた石で蒸すウム料理の様子も見ることができ、心のこもった昼食を神父様と修練生達と一緒に頂き、とても貴重な経験をすることができました。
修練生達 恵まれた環境 自動車整備 配管技術
指導中のJOCV 木工技術 敷地内の果樹園 ウム料理の出来上り
10月4日
サモア再訪
現在、管理人の私は9月末から三週間、妻が赴任しているサモアに滞在中です。
朝晩は寒い位の日本の気候から、一転サモアの真夏に逆戻りです。空港からアピアまでの車窓から見える緑色と紺碧の海は、正に懐かしいサモアの海の色です。今回は、念願の独特の形と色の日本製のトラックを改造した路線バス(6月2日の「
独立祭」の記事参照)にも乗って、改めて素朴なサモアの人達の生活にも触れています。バスの内部は木製で、配線がむき出しで、降りるときは天井のワイヤーを引っ張ってブザーを鳴らします。車内はお腹に響くディスコサウンドの洪水ですが、慣れると外の南国の景色と相まって心地よく響いてきます。
先週末は日本から派遣されているカトリックの神父になる修練生に、アピアから路線バスで20分ほどの、ウポル島で最初に建てられたラオバ村の教会を案内して頂きました。シスター達の作った昼食を皆で食べながら、気さくで優しいヤン神父様の暖かい歓迎を受けました。教会や付属の学校を案内され、敷地で生き生きと遊ぶ子供達の素朴で無邪気な笑顔に、文明に漬かった心が洗われる思いでした。その後近くの村の教会に行き、ヤン神父様のミサにも与ることができました。
昨夜は同期のシニアの家で、青年海外協力隊のメンバーとシニアボランティア合同の飲み会を行い、お互いの親睦を深め、こちらで活動している日本の若者たちの本音も聞けるなどして楽しいひと時を過ごしました。
バスセンター バスの内部 聖ミカエル教会 ヤン神父様達と昼食
教会付属の小中学校 日本からの修練生と子供達 近くの村の教会 JOCVとSVの交流会
9月22日テウイラ祭(2)
月曜日から庁舎の前のステージで色んな催しがはじまりました。
7時からサモアシバのコンクールが始まります。6時半にはもうほとんどの人が広場に座ってます。シバが始まる前に音楽が流れていると、舞台にあがっておじさんと子供が踊っています。それを見て皆も拍手喝采です。やがてシバのコンクールがはじまりました。色々な村から歌い方、楽器方、踊り方と老若男女一丸となって出演です。どの踊りも素晴らしかったです。観客の女の子などは、踊りを見ながら自分も一緒に手の振りをしています。客演としてアメリカンサモア、フイジー、トンガ、ハワイからも来てました。同じ太平洋州でも踊り方が全く違うので驚きでした。花のパレードがありました。各村からトラックに飾りつけして、ミステウイラ候補を乗せて広場に集まりました。この日は色んなコンクールの順位の発表もありました。順位が呼ばれるたびに踊ったりしてます。村の長老も杖をおいて勝利の踊りをしてたのには驚きました。最後にサバイイ島の200名で全員サモアンタツーのある壮年組みの刀の踊りがありました。力強さと原始のエネルギーのようなものを感じました。
テウイラ祭のもっとも大きなイベントの一つのミステウイラを決める日です。ミスはそれぞれスポンサーがついてミスマクドナルド、ミス矢崎、ミスレンタカー、ミスカリフォルニアなど10名です。審査員も色んな分野から選ばれた人達です。民族服、プレタシ、パフォーマンス、インタビューとなかなか大変です。衣装もさながらファションショーのようでした。サモアのデザイナーは研究もよくしてるなと思いました。
シバのコンクール 刀の踊り 優勝チームの喜びの踊り ミステウイラ選考会
9月18日テウイラ祭(1)
9月6日から1週間、サモアの民族祭というようなテウイラ祭がありました。
テウイラというのは、サモアの国花で蘭の一種です。長けは1.3メートルくらいあり花も20センチくらい房になって咲きます。色もワインレッド、ローズピンク、とあります。サモア人の庭には必ず1画にテウイラが群生してます。また山でも良く見かけます。テウイラはフィアフィアやセレモニーなど会場を作る時ファレの柱を椰子の葉っぱで包んで飾ります。その時その柱にテウイラの花をさします。結構丈夫で水なしでも3日はまるで枝を折ったばかりのようになってます。そのテウイラを、門松のように期間中は店頭にかざります。
テウイラ祭の前夜祭がありました。ファイアーダンスのコンクールです。普段は夜間外出はサモア人も、犬の心配とバスが6時で最終というので、控えているのですが、このようにパフォーマンスがあると大勢あつまります。私たちもこの会場で多くのJICAメンバーと会って楽しくコンクールをみました。少年の部、青年の部があり賞金額が発表されるので、誰が1位になるか当てるのも楽しみです。星空の下で火の輪がくるくる回るのはとても幻想的です。そしてこれはものすごい集中力を必要とするようです。また観客も固唾をのんで見守るので、ただドラムと木をくりぬいた民族楽器の音だけが高く響いています。
店頭のテウイラの花 前夜祭のJICAメンバー ファイアーダンスコンクール
9月2日
ポリテクの前の小学校
ポリテクの前の道路をはさんで、小学校があります。ここは大規模校に属して、300人くらい在籍してます。学区は無いようなものです。3学期制で学期ごとに授業料を親は払います。
学校の送り迎えは原則として親がします。だからタクシーを契約している子供、トラックで近所の子供も乗せて来る親、、バスで来る子供などです。10時になりました。親が袋とござなどもって、集まってきました。さっさと校庭のマンゴーの木の下にござを敷いて、親たちが座ってます。すると休み時間になりました。子供たちは校庭で思い思いに遊びます。中にはマンゴーの木の下に行って、おやつをもらって食べてます。給食がないので、親が10時ごろになると食べ物を持ってきます。またマンゴーの木の所ではそこに来た子供には、おやつを分けてあげるのだそうです。休み時間の40分が過ぎると、子供は教室に戻り、親は校庭から出て、学校が良く見えるところのマンゴーの木の下で将棋みたいなゲームをしたり、おしゃべりしたりして1時30分まで待ってます。
カウンターパートに聞いたところによると、サモア人の朝食は10時ごろ、昼食は2時ごろとずれていてサモア式のパターンだと、子供は10時ごろとてもお腹が空いてるのでしょう。
校門の開くのを待つ 子供を待つ親 バスを待つポリテクの生徒 独立祭の小学生
8月19日
カクテルパーティ
先週、日本政府とサモア政府でポリテクニックの校舎建設の調印式があり、その後カクテルパーティがありました。
ポリテクニックの関係なので、200人分の料理はCookeryの生徒が用意をしました。またサービスはガイドコースの生徒とビバレージの生徒がすることになりました。サービスについては、飲物の尋ね方から運び方まで特訓です。そして硬くならないよう常にスマイルも要求されます。そんな甲斐があってとても上手にサービスができました。Cookeryでも10種類のオードブルを作りました。すべて手作りで1人4個あてだから800から1000個です。寿司も巻き寿司にして、アボガドと鮪、卵焼き椎茸、かに棒おぼろ、と10帖もまきました。刺し身も登場しました。生徒もパーテイ料理としては2回目、実習も含めて4度目なので、大分上手になりました。生徒達は将来シェフと決めてるせいか、このような催しものがあるととても張り切ります。先生も厳しく生徒をしつけて、常にハイジーン(衛生)といって片付け清掃、味見はティスプーンといって作ったものを食べさせることはほとんどしません。若者だからお腹が空くので、鳥の皮などを炒めて隅の方で内緒で食べてることもあります。先生もやはり同じようにほとんど食べることはしません。彼らは美味しかった、の言葉と作品が綺麗に皿に盛られた時、お腹が空いているのも忘れて満面の笑顔をします。
カウンターパートと生徒 生徒たちと SVやJOCVと一緒に 生徒がサービス
8月17日
ロックのディナーショー
朝起きてドアーの方を見たら、白い紙がありました。何だろうと思って読んだら、私が滞在してるホテルから今夜のThe‘Rock‘のディナーショウへの招待状でした。
ロックはDwayan Johnsonと言って元レスラーで今はハリウッド俳優、そしてサモアではa
son of Samoaと言われてます。この時期にちょうど太平洋会議が開かれていたのですが、新聞はロックがトップでした。彼はアメリカ映画で「スコーピオン」に出演して、エジプトの古代王国以前の王、スコーピオンキングになり主演しています。またなぜこんなにサモア人が彼に熱くなるかと言うと、母親が純粋のサモア人で、一族がアピアの反対側の海の村に住んでいるからです。今回は母親を伴って凱旋帰国して、そして国家元首からSeiuliと言うマタイの称号を授かりました。マタイは人格者であり、また一族の全ての責任も負える力量の持ち主でもあるそうです。今回の帰国に際しても沢山のお土産を携えてきたそうです。例えばトッラク1台分の子供の為の衣料、粉ミルクなどです。ディナーショーはまず、国として彼を誇りにしてるという彼をたたえる副総理の話、次にマホガニーの一刀彫のキリスト教をモチーフにして、下の方にロックをたたえる言葉を書いた像の序幕があり、次に司祭による祈りがあって、ショーの始まりになりました。舞台ではサモアの歌手が歌っています。テーブル毎に飲物や食事のサービスが始まりました。今日はポリテクニックの生徒がお手伝いに借り出されています。ロックはテーブル毎に回って挨拶と写真撮影です。宴もたけなわになったころ、タウポーの踊りになりました。タウポーとはマタイに匹敵するくらい高い地位の女性で、タウポーが出ることは皆さんを感謝を込めてお迎えしていますとの儀式だそうです。これに男性の踊りとしてロックが踊りました。まさにサモアンです。ロックはサモア人としては細身で筋肉質、背も1.9メートル位です。そして体にはサモアタトゥーがしっかり入れてありました。
生徒がお手伝い ロック タウポーの踊り ロックに贈られた像
8月14日
パパセーヤの滑り岩
滞在4ヶ月目にして初めて路線バスで観光地に行きました。
バスのターミナルがある魚市場の横で、潮風にあたりながらトッラク改造車のバスを待つこと1時間。時間表がないので、ただ自分の行く先の表示のあるバスを待つのみです。やっと来たバスは野菜マーケットのバスターミナルも経由して来るので満杯です。今日は土曜日なので、明日のウム料理の買い物で皆さん荷物がいっぱいです。アピアから南西6キロの山のふもとにあるのですが、バスが10分も走ると郊外の様相を示し、結構山奥に行く感じです。家も少なくなり、サモアの昔ながらの家も見られるようになりました。30分木の硬い座席にゆられてパパセーヤの村につきました。
ここで入村料2タラ(80円)を払って、パパセーヤの滑り岩に行きました。サモアでは、ビーチでも、マングローブの林に入るにも入村料を払います。村ごとにその収入で海岸を管理したり、道路を整備したりします。パパセーヤも滑り岩まで行くのに立派なコンクリートの階段が作られて、手すりまで付いています。乾季なので水が少ないですが、子供たちが遊んでました。3つある岩のうち水の量の関係で1番角度の急なところで滑っていました。なかなか勇気がいるらしく、しり込みする子供もいました。大人の私たちはとても心臓に悪そうなので、子供たちの様子を楽しんでました。
バスを待つ 立派な階段 滑り岩と子供たち タトゥーをした高校生
8月8日
マナセ村
サバイイ島はアピアがあるウポルより大きな島です。そして人口も少ないです。道路も島を回る道だけしかなく、縦断する道路がありません。プランテーションになってるところも少なく、熱帯雨林と溶岩原が広がってるところです。今回はこの島に2度目の訪問です。私たちは20年前に日本が寄贈した船レデイサモア号で、1時間15分かかってサバイイのサレロガ港に着きました。けっこう大きな船ですが揺れます。30分もすると気分が悪くなってきました。港には同期のSVでデーゼルエンジンの整備で、サバイイに赴任している友人が出迎えてくれました。友人の家で一休みしたあと、今回の宿のあるマナセに向かいました。トラックの荷台に乗って45分の移動です。風が心地よく、風景がまるごと見えます。サバイイは素朴なサモアが残っています。道の両脇にはきれいに柱を彩色したファレが見え、また家の中の家具まで丸見えです。人々もゆったり歩いています。小さな子供や男の人は上半身裸の人も結構いました。この裸はどうもこの国では許されているようです。
連絡船 立派な教会 海岸のファレ
サバイイ島は世界中で最後に夕日が沈むところです。マナセ村はサンセットポイントに近い村です。ここはすぐ後ろまで山が迫ってビーチになってます。ファレもきれいな海に向かっていくつもあります。ここは干潮のときは珊瑚が水面すれすれまで出て、しかも大きな珊瑚です。色も水色、ピンク、紫、緑とカラフルです。そして珊瑚のあるところには綺麗な魚がいっぱいいます。シュノーケルをつけて覗いていると、竜宮城はこのようなところにあるのかなと、昔の絵本を思い出しました。夜は近隣の村からきて、ホテルで働いてる若者による、サモアの伝統的民族ダンスFiaFiaがありました。男の踊りは戦闘と狩の様子で女の踊りは優雅な踊りです。サモア人は何人か集まるとすぐ歌が出て、踊りが入りで皆とても上手です。フィアフィアはある程度の形式はあるものの、場所によって違います。
ファレから出てきた娘さん 海を見ておしゃべり
予約してあった車が来なくて、急遽バスに乗ることになりました。トラックを改造したバスです。暑い国だから窓ガラスなど当然ありません。椅子は木でできてます。運転手と座席は至近距離にあり、知り合いも多いせいかおしゃべりしながら運転してます。そして大音響の音楽です。最初はやかましい音だと思ったのですが、高い位置から良い風にあたり、スピードをだして走る車にいると、その音が自分の気持ちと同じリズムに同調してきます。運転席は色んな配線がむきだしです。そしてお守りはマリア様が貼ってありました。アピアの港に着いた時もバスが船に合わせて何台も待っていました。ここでは、ニューバスに乗りました。日本でいう観光バスタイプです。呼び込みに釣られて乗ると、すでに満員、どうするかと思ったら人の上にまた人が座るのです。躊躇していたら席を空けてくれて、私の隣の人は2重になって乗ってました。他人が膝に乗っかっていても、乗せる人も嫌な顔もせず、乗るほうも申し訳ないという顔もしてませんでした。こうして45分かかって、アピアの市内に着きました。
椰子の実を運ぶ子供達 世界で最後の夕日 フィアフィアの踊り バスの中の様子
7月28日
ラノト湖ハイキング
ラノト湖はウポル島の真ん中に位置する火山湖です。ここは2回目の挑戦で、今回ようやく登山道を見つけてたどり着いたところです。
このハイキングコースは案内書もなく、あっても古い誰かの旅行記です。いつものメンバーはそれを頼りに行きました。パラボラアンテナを右手に見て進むとパーキングエリアがあるから、そこから歩きましょう、とありました。右手にはアンテナは見えないが、車の跡があるのでそこを進めば右手に見えるかもしれないと進んでみると、すごいぬかるみ。ここより先は無理すると車は動かなくなる。ましてここは島の真ん中、道の向こう側は鉄条網が張ってある大きな牧場で人にはめったには会わない。やはりラノト湖は縁がなかったと引き返しました。30分位ひき返したところに小さな看板を見つけました。車から降りて読んだらパーキングと書いてあり、ラノト湖への道の矢印がありました。ここを見落としていたのです。日本の感覚でパーキングと言うとコンクリートが張ってあり、登山道入口ならそれらしくなっているという期待が大きな誤りでした。パーキングは低い草原、登山道は両脇から牧草が生い茂るグチャグチャ道。一瞬躊躇したもののやっと探した道、出発です。
少し行くと、大きな牛がいてビックリ。こわごわと通り過ぎました。道は赤土でグチャグチャで、足場を間違えるとずぶっと入ります。ここは地理的に雨が多いらしく、熱帯雨林の様子を良く示しています。厚い葉っぱの木や大木のしだ、それに雨で地盤がゆるんで倒れた樹木、鮮やかな花、特にサモアの国花テウイラが群生してるのは圧巻でした。コースはかなりアップダウンがあり、約2時間弱でラノト湖に着きました。周りの熱帯性の植物を見なければ、まるで信州の青木湖です。ここは金魚が生息しているので、別名金魚の湖です。湖のほとりで昼食を食べようとして座ると、結構大きな黒と赤のぶちの金魚が寄ってきました。しばらく休憩して、また元来た道を引き返しました。
サモアの山は歩いていて安心なのは、ヒルやヘビがいなくて不思議にくもの巣も無いのです。時々とかげはいます。また、鮮やかな色の小鳥がいます。足元に注意して降りてきて、最初に出会った牛のところまで来ました。良く見たら牛は木に繋がれていました。そうと分かれば皆で写真を撮れば良かった、と笑いながら話していると、突然牛の群れがどかどかと来ました。私たちはフリーズ状態です。牛飼いなんて居そうではありません。その中の黒い牛が明らかに眼を吊り上げてこちらを睨んでいます。私たちも立ち止まっているしかありません。そうこうするうちに黒い牛は踵を返して仲間のいる方に行きました。私達の車まで後100メートルの出来事でした。もし私達が歌でも歌って存在をアピールしていたら、黒い牛の三角の目を見ないで済んだかもしれません。そして古い旅行記は参考程度にするのが良いようです。
ハイキング入口 国花テウイラ ラノト湖 湖に到着
7月15日ペアレンツデー
14日は後期のセメスタが始まったこともあって、日本で言う父兄会がありました。
ツーリズム&ホスピタリィーでは、ビバレージの生徒がテーブルクロスや会場を整えて、ハウスキ−ピングの生徒がクロスのプレスをしたり、洗面所など整え、ツーリズムの伝統工芸の生徒が髪飾りや部屋を飾るデコレーションを作りました。Cookeryではモーニングテイを出すために、ビスケット、マフイン、ロールパン、サンドイッチを作りました。ここの生徒は20歳前後ですが、父兄の出席率がとても良いです。そして小さな兄弟を連れてくる人達もいます。それから両親ではなくて、生徒の寄宿先の叔母さんも来ていました。サモアは交通の便が悪いのと、ポリテクニックのような学校が1つしかないので、知り合いに寄宿している生徒が多いです。彼らはまた学習態度もとても良いです。成績優秀だと後期の学費が免除のスカラシップが適用されます。ちなみに1年間の学費は650タラ(26,000円)です。これは中堅クラスの人の一ヶ月の給料に当たるそうです。子供が多い家庭では大変な出費です。親は最初先生と就職や進学などを相談して、3者面談などすることがあります。20歳近くになっても、親が来るのは、うれしいような恥ずかしいような落ち着かない素振りがとてもほほえましいです。
7月10日バエア山トレッキング
バエア山の山頂には、あの宝島の小説で有名なロバート・ルイス・スチーブンソンのお墓があります。
ここは海抜約500メートルの山です。スチーブンソンが往年を過ごした住居で今は博物館になってる所からトレッキングルートが始まります。川を渡ってしばらくすると、近道コースと尾根道コースがあります。尾根道を行くことにしました。熱帯樹林を眺めながら気持ちの良い道です。途中からは熱帯樹林の中を歩きます。空をねむの木みたいな木や緑の濃い厚い葉っぱの木が覆い、その下にはバナナのような葉っぱの植物や華道で使う紫色のような葉っぱ、赤い花、白い花が咲いています。幹には欄が寄生していて、もう少しで咲きそうでした。きれいな鳥もいます。ここはサモア名物の犬もいないし、蛇もサモアには生息してないそうで、とても安心なトレッキングコースです。ときどき真っ黒いトカゲが、がさがさ音をたてて逃げていきました。
マンゴーの木
マンゴーの木はサモアではいたるところにあります。大きな木になり日陰をつくります。今、マンゴーの実をつけはじめました。花は目立たない白い花で密生して咲いていました。学校にも大きな木が何本もあります。生徒がその下で輪になって座り、おしゃべりしたり歌ったりしています。先生達は椅子を出してきて、コヒーを飲みながら学習予定や生徒のことを話したりしています。今、マンゴーの未熟果がぽろぽろ落ちています。サモアではこれを塩に漬けて食べるそうです。ちょうど日本の梅漬けのような感じだそうです。マンゴーが実るのは12月ごろで、こちらでは夏になります。木全体がどんな色に見えるか今から楽しみです。
トレッキングルートの様子 マンゴーの木
7月3日
セメスタブレイクを利用して、イブニングクラスが行われました。申込者が多くて、2回クラスを開くことになりました。1日目は衛生の話しと野菜の切り方を説明して、カウンターパートがタイカレーを教えました。カレーはサモア人が大好きで、カレー粉が50gくらい袋にははいって売ってます。今日はまずご飯の研ぎ方と鍋でご飯を炊く方法を教えました。サモアでは主食はまだタロイモが週の半分くらいと、あとパンを食べることが多いようです。米はまだ一般的ではないようです。まだ肉の付け合わせ的な要素として食べてます。だからご飯の炊き方やとぎ方も余り知らないようです。それからカウターパートがココナツミルクを使ったタイカレーを教えました。ココナツミルクはサモア人は大好きな味です。前にご飯が余ってしまったとき、生徒はこれにココナツミルクを入れて、スプーンで混ぜて、美味しそうに食べてました。
2日目は太巻寿司です。中身は椎茸、厚焼き玉子、ピンクサーモン缶でつくる朧、ニンジン、クレソンにしました。先月からサモアでは寿司がおしゃれなカフェで食べられるようになりました。ニンジンときゅうりが入った太巻ずしの6分の1が50セネ(20円)だそうです。食パンが1タラ(40円)で買えるのでいかに高いか分かると思います。海苔も初めて、まして椎茸を煮るのも食べるのも初めて、卵の甘いオムレツも初めて、鮭缶からあんなにきれいな朧を作るのも、見るのも初めてでとても喜びました。寿司を巻く時は、手に水を付けすぎて海苔もご飯もびちゃびちゃしたり、具をよくばりすぎてパンクしたりで大変でした。どうにか出来て、皆持ってきた箱に自分の作ったお寿司を入れて、それはそれは喜んで帰りました。
6月26日
先週末にマノノ島に行きました。船はサバイイ島行きの船着場ではなくそれよりもっと先の、マノノ島専用の船着場です。向かい側に島が見えていて、お客がいっぱいになると出ます。学校の生徒もほとんど首都アピアのあるウポル島に通っています。店は2軒くらいしかなくて、船で運んでいます。電気も2年前にJICAで海底ケーブルにしたようです。また各家には雨水をためる大きな甕のようなものがあり、サバイイ島と同じように大きくJAPANと書いてありました。この島は犬がいません。そして海岸線に沿って舗装されてない狭い道だけなので自動車もありませんでした。島をゆっくり一回りしたら3時間かかりましたが素晴らしい景色でした。キタノ・ツシタラホテルの田中総支配人も飛び入り参加しました。
先日は田中さんに依頼されて、キタノ・ツシタラホテルの料理の講習に行ってきました。講習会で料理をするのかと思ったら、日本料理についての田中総支配人のレクチャーでした。私もその席で日本料理の話をしました。
ウポル島を望む 同期のSVの奥さんと ホテルで日本料理の講習会
6月11日
日曜日の朝の7時になると、決まって青空なのに空の下のほうが霞んで海がはっきり見えなくなります。これは教会から帰ってきて皆でトウナイを食べるための用意をしてるからです。日曜日のご馳走を特別な言葉でトウナイと言っています。これには伝統食のウム(蒸し焼き料理)をが多く、これは必ず男が作ります。
まずココナツを割って中身を独特の器具ですりおろしてココナツミルクを作ります。それから石を置いてその上に蒔をたくさん載せ、その上にまた石を置いて1時間半ほど火をがんがん燃やします。その間にたこをココナツミルクで洗って細かく刻みバナナの葉で包みます。大きな白身の魚、タロイモ、青いバナナ、パンの実は缶のふたを器用に使って皮をむきます。ココナツミルクは玉ねぎと、香りづけに少しカレーパウダーを入れ何枚ものタロイモの葉を重ねて液体がこぼれないように包み、その上をバナナの葉で包み更にパンの実の葉で包みます。
子豚はお腹とのど元が取り除かれて売られているのを使います。お腹とのど元に焼け石を入れ、開いている隙間に葉を詰めます。子豚の肉がじゅーと大きな音がしました。相当石が熱くなってるのでしょう。全部用意が出来たら石の上に上手に並べ、バナナの葉を置いて石を載せ、更に葉を載せて2時間かけて蒸し焼きにします。
実に自然と上手く調和した料理だと思いました。サモアに暮らしていると、ココナツミルクの味にも馴れ、刺身のぶつ切りをココナツミルクに入れたオカという刺身も美味しいと思うようになりました。
パンの実 石焼蒸し料理の様子
6月8日
昨夜私はサモアでの二ヶ月の滞在を終えて帰国しました。
サモアから飛行機で二時間程のところにあるフィジーで一泊しました。6日は一日空いていたので、空港近くのナンディの街に出ました。日曜日で殆どの店は閉まっていましたが、観光が盛んな国だけあってお土産屋は開いていました。街を歩いている人や従業員は殆どがインド系の人たちでした。店の看板に「ここのみせわやすいのみせです」とか「56さいませ」(「いらっしゃいませ」の意味?)などの日本語が書いてあったり、何組かの日本人の若いカップルを見かけたりで、完全に観光化していました。改めて殆ど観光化されていない素朴なサモアが懐かしくなりました。
日本に着いた昨夜は未開の国から一気に文明社会に放り込まれたサモア人のように、余りのサモアとの違いに戸惑ってしまいました。日差しの強い毎日だったので私は真っ黒になり、また現地の人と同様いつもぞうりを履いていたので、足には鼻緒のあとの日焼けがくっきりと残っていて、サモア人のようにしっかり大地に根を下したようなうなたくましい足になったような気がします。
今後は妻がメールで現地の記事と写真を送ってくることになっているので、今後もサモア便りを順次更新していく予定です。
花が満開のホテルの庭 大きなお土産屋 街はずれで 南の島を後に
6月2日
6月1日はサモアの42年目の独立祭でした。
アピア湾の岬の端にある国会議事堂前で記念式典が行われ、各団体や学校の行進にJICAも参加しました。式典は朝8時から行われ、カトリックの国なので先ず司祭が挨拶をしてから97歳の元首が挨拶をしました。(写真の司祭の左に座っているのが元首)
サモア中の各団体や学校などが参加したので、行進だけで延々と一時間以上かかっていました。何千人もの人が、それぞれの衣装や制服で行進しましたが、この国に来て余り大勢の人を見たことがなかったので、こんなに沢山の人達が一堂に集まったのを見るのは初めてでした。この独立祭でサモアの別の面を見られてとても興味がありました。
参加者の殆どは地方からバスで来ていたので、帰りのバスターミナルにはとてもカラフルな路線バスが集まっていました。このバスは日本製のトラックにこちらで屋根を付けたもので、車高が高く天井の低い独特な型をしていて、満員になると他の人のひざの上に座らないと違反になるそうです
司祭の挨拶 警察隊もラバラバ姿 旧議事堂前で待機 国会議事堂前を行進
JICAの行進 踊りも交えて 素足にラバラバ姿 カラフルな路線バス
5月28日
今日、ポリテクニックで行われているツーリズム・ホスピタリティ学部恒例の模擬レストランに行って来ました。これは今週水曜日から三日間と、来週木曜日と金曜日の五日間行われるもので、朝食とランチが用意されます。生徒達の日ごろの成果の発表で、初日に新聞社も取材に来ました。特にランチのひれ肉のビーフステーキと妻手作りのチーズケーキが皆に大好評でした。この日はJICA所長など日本人も10名ほど来ていました。きれいに準備された教室でのレストランのランチは、日ごろ生徒達が妻やカウンターパート達と学んだ成果ということで、じっくり味わって食べました。この模擬レストランが開催されている間は、妻は毎朝4時半に起きてポリテクニックに通っていましたが、疲れた中にも充実感に満たされている様子でした。
レストランの入口 中々の盛況 JICA所長らも ビバレッジの生徒達
調理中の様子と生徒達
5月19日
先週末にラロマヌビーチのファレに一泊してきました。私達の住んでいるウポル島の東の端にあるこのビーチは、首都アピアから車で一時間ちょっとで着きます。あいにく一日目は曇り勝ちでしたが、二日目には晴れ間も出てきれいな海を満喫しました。ファレ体験は初めてでしたが、蚊帳もありとても合理的にできています。ゆったりとした時間の中で、シュノーケルを使って熱帯の魚を観察したり、浜辺でゆっくりしたりして優雅な時間を味わいました。他の外国人達は一週間も二週間も滞在して、泳いだり浜辺でゆっくり読書したりして過ごしています。こちらは空気も水もとても澄んでいるので、夕焼けも海の色も信じられないくらいきれいです。
ビーチの入口 ゆっくり読書する人 きれいな夕焼け ビーチで揃って
海辺の親子 シュノーケル体験 きれいな海の色 ビーチからの眺め
5月14日
こちらでは母の日は国民的なお祭りです。
先週の金曜日にいつもの時間に学校に着いたら、もう学校は生徒達で活気づいていました。何だろうと思っていたら、ガイド科の学生が「ミズ・シイナ、モーニングティーをどうぞ」と言われ、外に用意されたテーブルに座りました。やがてプレゼントにメッセージをつけ、コーヒーとケーキが運ばれ、他の学生とお茶を飲んでいると、先生一人一人に生徒が順番に感謝のメッセージを語りました。先生達は皆涙です。そして感謝の歌と踊りがありました。調理のクラスに行くと、女の子達が「ハッピーマザーズディ」と言ってキスをしてくれました。ビバレッジの生徒達も会うと「ハッピーマザーズディ、お母さんありがとう」と言って挨拶をしてくれました。午後からは生徒達が準備してくれたパーティがあり、それぞれの科の生徒達が花束、キャンディーや貝殻のレイ、髪飾りなどをプレゼントしてくれました。ここは母系社会の国なのか、女性がとても大事にされるのを実感しました。今週の月曜日はマザーズディの振り替えで国民の休日でした。
感謝の踊り 午後からのパーティ 準備をしてくれた生徒達 生徒からの贈り物
5月 8日
先日、妻の赴任先のポリテクニックに行ってきました。
調理部門の校舎の外観は質素ですが、内部はとても清潔で設備も整っているのにびっくりしました。生徒達が真面目に、また熱心に調理の指導を受けているのが印象的でした。休憩時間に隣の観光部門の先生や生徒達が歌ったり踊ったりしていて、自分達の仕事を心から楽しんでいるようでした。妻も一緒に踊ったりして、赴任先の皆と楽しそうにやっていました。
学部長の部屋の入口の掲示板に、「シイナ(妻の愛称でサモアの昔話のきれいな村娘の名)と仲良くしよう!」と書いたポスターが貼ってあり、妻は皆からとても歓迎されているようです。妻のことをシニアボランティアではなくてJOCV(青年海外協力隊員)と書いてあるのがご愛嬌でした。
この後私は、電子学部に赴任しているシニアボランティアの依頼で、コンピュータ授業のカリキュラムを検討する打合せに参加し、意見交換を行いました。
広いキャンパス 調理部門の校舎 調理室の様子
観光部門の休憩時間 妻も踊りに参加 皆と楽しそうに 「シイナと仲良く」の掲示
5月 3日
私の赴任先のポリテクニックは生徒が570名ほどいてツーリズム、コンピュータ、電子、海洋学部などに分かれています。来年にはサモア国立大学の付属になります。
私の所属はツーリズム・ホスピタリティ学部のCookery部門です。他にはTour Giding/
Material Culture/ Entertainment, Food and Beverage Service, Front Office
& Housekeeping部門があります。Cookery学部の8名(男子6名、女子2名)の生徒は将来のホテルまたはレストランのシェフ達です。先日はケーキの作り方を教えました。一人一台のケーキを作り、飾りつけもそれぞれ工夫させます。先生達は皆ユニフォームのプレタシを着ています。私の左に写っている眼鏡の女性がカウンターパートのイレーヌさんです。彼女は40年間ニュージーランドでコックをやってきた人です。授業前は必ず賛美歌を歌って生徒のHospitality精神を促しています。教室は寺子屋のように小屋ごとになっていて、先生も一人で一年間教えます。生徒は少数精鋭で部門ごとに8名から10名ほどで、就職も確保されているようです。先週はサイクロンの影響で船が着かず、どのスーパーに行っても卵が無くて困りました。殆どの食材を輸入に頼っているこの国ならではの経験でした。
ツーリズム学部 カウンターパート達と シェフの卵達 観光部門の学生
4月27日
先週の土曜日に、同期のシニア仲間達と隣の島のサバイイ島一周のツアーに行ってきました。今回のツアーは同期の観光開発で観光局に赴任したシニアがアレンジしてくれました。
朝3時起きで妻が皆のおにぎりを作り、朝6時発のフェリーで出発しました。私たちが住んでいるウポル島からサバイイ島まではフェリーで1時間半ほどかかります。船着場からツアーの車で左回りに島を一周しました。朝市を見たり、珊瑚礁の綺麗な海岸で泳いで色とりどりの熱帯魚を見たり、谷間の間の大木の間に渡した高さ50メートルほどのつり橋を渡り広大な熱帯雨林の原野を見たり、南の海岸にある潮吹き穴から海水が空高く吹き上げるのを見たりしました。特に砂浜から見る珊瑚礁の海の美しさは息を呑むほどでした。
島が広い上に観光スポットが多いため、夕方4時の帰りのフェリーに乗るまでちょっと駆け足気味でしたが、充実した南の島の一日を過ごしました。アピアに着いてサモアを代表するホテル・キタノで夕食をとった後、思いがけず日本人の総支配人にプールバーに招待され、楽しい話題で旅を締めくくりました。
ウポル島を出発 海上から見た朝日 サバイイ島の朝市 美しいビーチ
子供達が釣りを 海辺のファレの中 定員二名のつり橋 潮の高さは10mにも
4月21日
妻の同期のシニアボランティア達とも和気あいあいとやっていて、時々呼んだり呼ばれたりでパーティを行っています。また先日はJOCV(青年海外協力隊)がJICA事務所で新シニアボランティアの歓迎バーベキュー大会を開いてくれました。
一昨日は一人でアピア市内を散策してきました。ホテルからアピア市内までは歩いて30分位です。首都といっても車も人もそれほど多くなく、静かなたたずまいです。大きな建物と言えば総合庁舎のビルがあるくらいです。海岸沿いには遊歩道があり、ゆっくりするにはとても良い環境です。
ここ3日ほど雨や曇りの日が続きましたが、昨日は朝から良く晴れて日差しが照りつけました。
今は日本でいう秋なので、日差しは強いですが、風がどことなくさわやかで、一時ほどの蒸し暑さが和らいだ感じです。昨夜は妻とホテルのバルコニーからきれいな星空を堪能しました。天の川の中に南十字星が輝いている様子は本当に幻想的でした。
同期と餃子パーティ アピア市内 総合庁舎 海岸の遊歩道
遊歩道から市内を望む 観光局と総合庁舎 ホテル近くで
4月16日
4月12日にサモアに着いて4日目になりました。
空港から車で40分ほどアピア市内のホテルの近くまで走っても、屋根だけの家?の村が続いていて、どんなところに住むかちょっと不安になりましたが、ホテルは普通の建物で安心しました。三階の私たちの部屋から見えるオーシャンビューは最高です
妻は7日から赴任先のサモア・ポリテクニック(技術学院)に勤め始めたばかりですが、カウンターパートや生徒達ととても仲良く、楽しくやっているとのことです。妻が忙しいこともあり、私はまだホテルの広い庭や周りを散歩したり、妻と近くのスーパーに買い物に行ったぐらいです。
布を腰に巻いたラバラバ姿の裸足の男性が道を歩いていたり、突然激しいスコールになったりで、さっそくの異文化体験に新鮮な驚きを感じています。
私は妻と同期のシニアボランティア達のパソコンの不具合を調べたり、メール設定を行ったりしています。また、近いうちに妻の同期の数人に、毎週パソコン教室を行う予定になっていて、私の専門のIT技術を生かすことができそうです。
これから妻の案内で、少しずつこの島を探検しようと思います。
いよいよ南の島へ こちらの住居(ファレ) ホテルの部屋から ベランダの妻
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