はじめに
2003年1月28日より約1年間に渡り、清野邸詳細図第第一輯(30枚)を
連載してきましたが、一応今回で完了します。
詳細図としては少し難解かも知れませんが、30枚を連載していくうちに
少しずつこの図面の意味が理解され、又輪郭が見えてくるように感じます。
管理人 2004年1月30日

清野邸詳細図
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清野邸の詳細図について・・・・
このページでは、当時(明治40年頃)のオリジナルな詳細図を掲載していますが、清野邸の建築図面(平面図、立面図、その他の設計図面)等を公開することが困難な中、
(取り壊される以前の写真は現存していますが、)清野邸の詳細図のみでは、なんとも難しく、理解するには,専門の知識が必要と思います。そこで清野邸詳細図と平行して、武田五一の絵画、絵コンテ、デザイン、イラスト、スケッチ、等貴重な資料を観ていただきたく思います。管理人。 2003年7月
今回の清野邸詳細図は其の25より其の30迄掲載します。詳細図だけでは、理解できないという指摘がありますが、管理人も同様です。
しかしこの詳細図は現在非常に貴重なものです。
今回其の17から其の30まで掲載で完了します。今後この詳細図は公開する予定はありません。
管理人。 2004年1月30日
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2004年1月30日





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其の30
紐 飾り
其の29
大廣柱頭飾原寸
大理石
ブロンズ
大理石台
其の28
壁パネル面
壁パネル隅飾り
天井蛇腹
天井ドロップ
其の27
婦人室壁花飾り
上部
其の26
大入り口額縁上部持送飾り
其の25
ストーブ上大鏡押縁上部原寸2分の一
大広間
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緒 言
現場に於いて多年原寸図の必要を感じ、関係工事の落成毎に整理をなし保存したるもの今や積んで数百種となる。
其の内には恩師の自ら手を下されたるもの或いは自ら苦心したるもの等、何れも原寸研究には多大の趣味有益あるを感じ一人之を蔵するに忍びず、之を公にし
一つは以って恩師及び先輩諸氏に謝し尚将来同感の士と共に益々研究せんと
欲し恩師武田先生の許於を得て千鐘房主人と謀り今回第一巻を出す集むる虚
何れも実際使用したるもの巻を重ぬるに従って益々興味あり且つ実用的原寸図を公にせんとす同感の諸氏聊かなりとも研究の資とならば編者の幸いこれに過ぎず。
(注)原文のまま記載「明治41年12月15日発行」 小野武雄






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其の24
天井梁下
持送り
壁パネル
天井小蛇腹
天井長押
送持
天井蛇腹
其の23
婦人室壁花飾中央
下部
其の22
大入口上部額飾中真
大入口上無目パネル継ぎ模様
其の21
食堂天井中真飾
其の20
階段各部原寸
手摺り
親柱
其の19
長押
蛇腹原寸
持送原寸
其の18
持送り原寸
破風尻原寸
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其の17
面参考七
2003・12・16
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(注)オリジナル詳細図、写真撮影の為、敢えて修正はしておりません。管理人

其の1 |
其の2
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あとがき
洋風折衷・建築図集の著者、小野武雄が武田五一の設計した清野邸の詳細図を
武田五一の許可を得て出版していますが。当時小野武雄はJ.McD.Gardiner,事務所の無名の設計技師であり武田五一博士との接点は対等と言う意味では見出せません。
現在でも小野武雄の設計図面は言うに及ばず資料群も皆目といってよいほどにありません。
私のホームページの資料群は山口半六・小野武雄・古谷三代吉の資料群が基礎となっています。しかし御嶽山清水寺は武田五一の建築で、その中の本坊、と表門は古谷三代吉が図面を描いています。
これは当時の著名な建築技師の交流が多々あり、また出版物にそれは顕著に表れています。
ここでは建築技師小野武雄に注目した結果大きなページになりましたが。一応これで小野武雄については、まだまだ当時の貴重な資料及び写真等は御座いますが次回という事で、一端筆を置きます。
2004年1月30日 管理人。
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