古谷三代吉の設計図面と資料解析



はじめに
 平成14年初頭に、徒然のままに2002年を展望す と言うタイトルで今年取り組み、又展望のなかで述べたような事が出来ればいいなあ、・・・と希望的観測の中で言ったことがほぼ実現し、多くの方に観て頂き、訪問者三万人を超え、当管理人は感謝の気持ちで一杯です。                          
三代吉関連の資料は、明治40年前後の京都の尋常小学校の設計図面と大正元年古谷工務所を興して後、請け負った。寺院の本堂、庫裏、一般和風住宅、及び借家等を格にし、展望の中で述べた未公開ページを順次公開していきたいと思います。                                           
 古谷三代吉の設計図面と資料解析・のページを新たに開設することにより、
徒然のままに2002年を展望す、を閉舘することになりました。ありがとうございました。    管理人

古谷三代吉の設計図面と資料解析(その壱)
T
 平成13年7月にホームページを公開し、10月にはヤフー!ジャパンの検索サービスに登録されました。
 明治の建築家ののこしたもの[The Legacy of architects from Japan's Meiji Period]のタイトルでホームページを開設した最大の動機は、三代吉の図面と資料の一部が約百有余年の間、古谷家の長持ちの中で眠っていました。三代吉の没後、赤貧の中で保管され、現代に残った事実は、それはお金に変える価値のない物であった為です。
 日本が近代化を計る波動のなかで、明治維新は混乱と貧困、且つ平均持命も最も短い時代でありました。
そんな時代(明治元年「1868」)に三代吉は生まれ、生き、後に貴重な資料と評価をうける設計図面、及び資料群を残しました。
 三代吉は京都府美山群内窪という所で生まれ、幼少の頃に生家(庄屋)は没落し、京都市内に移り住み、当時京都の高名な建築家の師弟となり、苦学して建築設計の勉強をしました。
京都市の営繕課に勤務してからは、メキメキと頭角を現し、建築家として認められます。そんななか、此処で公開する設計図面、資料群及びその他少量の備品等を残しました。

U
 三代吉の残した主な図面としては、営繕課で扱った、建築物当時の小学校(初音尋常小学校校舎改修図面生祥尋常小学校校舎改修図面)それから京都高等女学校の校舎の図面等。1910年校名を京都高等女学校となる。五条通り堀川西入る柿本町本国寺内に移転された当時の図面です
其の他、浄土宗、春長寺の二軒の借家、法然寺の本堂の仕様書及び見積書、臨済宗天竜寺派大本山天竜寺塔頭 永明院の庫裏の設計図面の内、平面図等その他多数の図面を残しました。
此処では御嶽山・清水寺に関して述べて見たいと思います。


            平成13年10月9日 撮影

 三代吉の設計した本坊の図面は全て正確に建築されています
 欄間、障子、丸障子、外部の建具、屋根の鬼瓦等全て完璧に、
 世紀を超えて保存されていました。  管理人。
V
三代吉は武田五一博士の建築した,
御嶽山清水寺の本坊、そして表門の図面
を描いています。三代吉の描いた、この図
面について諸説があります、少し解析をし
てみましょう。
(1)図面を正書し製本にする。教科書等に
掲載す。
(2)御嶽山清水寺が大火で焼失した伽藍
の再建を諸官庁に申告する為の図面。
(3)武田五一博士に依頼され、和風、寺
院建築を得手とした三代吉は少なくとも、
本坊と表門の図面を描いた。
(4)その他


 御嶽山清水寺表門とその再建設計図面
 表門のポートレートは清水寺とは関係ありません。



 この件についてのご意見ご感想を、どうか
ご遠慮なく述べて戴きたく思います。
 このような諸説のなか、管理人は、その疑問を解明し謎を解いていきたいと思います。余談ですが大正五年の夏、その年は特に暑い日が続いたと聞いています、三代吉は病に倒れ、一ヶ月後の9月29日突然逝ってしまいました。
 軌道に乗りかけた事業、古谷工務所もここに終わり、三代吉は無念のまま去っていったのです。
三代吉の子供たちも次々と没し、一人残った三朗が三代吉の図面、資料群を大切に保管したのです。・・・・・

 年月が流れ平成13年7月「明治の建築家ののこしたもの」というタイトルでインターネットのホームページに三代吉は再び登場します。

W
 三代吉の図面の行方に、ついて(1)と(2)について解析します。
御嶽山清水寺の全ての再建は大正12年迄かかりました。本坊、表門の再建は大正六年に落成したと聞いています。しかし三代吉は大正五年初秋、自身の描いた設計図面の完成を観ることなく亡くなっています。又設計図としての記録或いは教科書にしたとの説、これの証拠がありません。残っておれば見てみたいものです。
 諸官庁に提出する為に作られた簡易図面は清水寺に現存します。管理人はコピーですが住職、清水谷善英氏より戴きました。是は申請する為の簡易図面で三代吉スタイルの図面ではありません。
蛇足ですが、三代吉の図面は清水寺に限らず、全て独特にタッチで描かれています、三代吉スタイルと呼ばれています。

次回、解析その(弐)では三代吉は武田五一博士に依頼され図面を描いた
根拠を述べて見たいと思います。

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古谷三代吉の設計図面と資料解析A
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