古谷三代吉の設計図面と資料解析(その壱)
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平成13年7月にホームページを公開し、10月にはヤフー!ジャパンの検索サービスに登録されました。
明治の建築家ののこしたもの[The Legacy of architects from Japan's Meiji Period]のタイトルでホームページを開設した最大の動機は、三代吉の図面と資料の一部が約百有余年の間、古谷家の長持ちの中で眠っていました。三代吉の没後、赤貧の中で保管され、現代に残った事実は、それはお金に変える価値のない物であった為です。
日本が近代化を計る波動のなかで、明治維新は混乱と貧困、且つ平均持命も最も短い時代でありました。
そんな時代(明治元年「1868」)に三代吉は生まれ、生き、後に貴重な資料と評価をうける設計図面、及び資料群を残しました。
三代吉は京都府美山群内窪という所で生まれ、幼少の頃に生家(庄屋)は没落し、京都市内に移り住み、当時京都の高名な建築家の師弟となり、苦学して建築設計の勉強をしました。
京都市の営繕課に勤務してからは、メキメキと頭角を現し、建築家として認められます。そんななか、此処で公開する設計図面、資料群及びその他少量の備品等を残しました。
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