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議員インターンシップ参加者のレポート

少子化問題と子育て対策

甲斐 優太

 近年、日本において少子化が急速に進んでいる。平成15年の合計特殊出生率1.29は過去最低であり、この数字は世界的に見ても最低水準である。確かに少子化は先進諸国が共通に抱える問題ではあるが、他の先進諸国と違って回復の兆しが見られず悪化の一途をたどっているのが日本の特徴である。これから、日本の少子化問題に関する原因と対策について考えてみたいと思う。

 少子化の背景としては様々な要因が考えられるが、大別すると3つにすることができるであろう。1つ目は、若者の自立が難しい社会経済状況である。近年の不況のあおりを受け、若年失業率の上昇や定職につかないフリーターの増加、働く意欲すらないニートの出現などが大きな問題となっている。その結果、家庭を持つことさえできない若者が増えているのである。

 2つ目は、時代に見合った働き方の見直しが進んでいないことである。働く女性が増加している状況であるにもかかわらず、職場の雰囲気は旧態依然としたままであるため、出産や育児のために休暇を取ると職場に戻りづらくなるのである。同様のことは男性にも言え、父親の育児参加が他の先進諸国と比べて極端に少ないのが実態である。

 3つ目は、地域としての支援体制が十分に確立されていないことである。核家族化により子育てに関しては一番に地域を頼る状況であるのだが、その要請に応えられるだけの体制が整っていないのである。また、女性の社会進出によりますます必要性の高まる保育所が十分に整備されていないことも、大きな問題となっている。

 この他にも、若いうちに子供と触れ合う機会が少なく若者が子育てのイメージが持てないことや、公立学校の荒廃により授業料が高い私立学校に預ける傾向が強まり、必然的に出産する子供が少なくなることなども考えられる。いずれにせよ、少子化の原因は複雑であり一朝一夕では解決できないことは確かなことである。

 しかし、見逃してはならないことは、どの要因にも通底することであるが、より精神的な問題である。日本経済は高度経済成長により大きく飛躍し、バブル経済で一種のピークを迎えた。この段階において日本人はより裕福になろうと努力し、バブル経済化では努力以上の結果が返ってきた。ところが、バブル崩壊によりそのようなあり方が消滅し、家計も経済的に苦しくなった。本来、子育てはお金の問題よりも愛情や責任感によって成り立つものであるはずだが、バブル経済の余韻が残っているためか、今では精神的なものよりも物質的なものに頼る傾向になっているのである。

 現在子育てを担っているのは、まさにバブル世代である。その世代がバブル経済の幻想を引きずり、現在の経済的に厳しい状況を理由にして出産や子育てを放棄するのでは、何の解決にもつながらない。女性の社会進出を少子化の要因に挙げることは至極当然なことではあるが、経済的な不安や自分のために使える時間の減少を避けるために仕事を持ち出すのであれば、それは結局目先の、しかも外面的なことにしか目が行っていないことになるのであり、責任逃れとしか言いようがない。

 それでは、そのような状況を乗り越えるためにすべきことは何かと言えば、それは子育てを基軸として各世代間で精神的により深いつながりを持つことである、と考える。かつては大家族の中で、また地域で自然にできあがっていたそのようなつながりを、現在では地域社会、つまり行政と住民が協力してつくりだす必要があるのではないだろうか。そこで一つ推奨したいのが、高齢者を中心とした新しい形の子育て支援サービスである。

 少子化問題と同時進行で進んでいる大きな問題の一つが、高齢化問題である。近年、65歳以上の高齢者の割合は20パーセント近くに達しており、さらに数年のうちに第一次ベビーブームのときに生まれた団塊の世代が一斉に退職するため、より高齢化に拍車がかかると思われる。多くの人が社会を支える側から支えられる側に変わるわけであるが、それはすなわち現役世代の負担増を意味する。しかし実際は、60代の人たちは支えられるには早い、まだまだ元気な人たちばかりなのである。少子化問題に対してそんな彼らの力を使わない手はない、と考えるのである。

 現在全国に広まっているシルバー人材センターを進化させる形でシルバー子育て支援センターを推進することが、少子化問題解決の有効な手段になるのではないかと思うのである。保育所業務を中心として、保育施設への送迎の支援、地域の巡回や家庭訪問など、高齢者にとっても負担にならない程度での活動を展開すれば、地域の活性化にもつながるのである。

 地域に安心して気軽に子供を預けられる場所があれば、親の負担は軽くなり社会進出の機会も増加するのである。ひいては社会保障の担い手の増加にもつながり、高齢化問題の解決の糸口になる可能性もある。また、額は別として高齢者に報酬を支給することで、年金以外の収入ができることになり年金の問題の対策となりうるかもしれないのである。

 しかしより強調したいのは、やはり精神的な問題である。核家族化に伴い不足した子育てに関する相談相手に高齢者がなりうるのは当然であるが、それ以上に子育ての厳しさや責任感を教えられる存在になることが期待できるのである。相談相手や地域などはあくまでも子育てを支えるだけなのであり、子育ての主体は働く働かないにかかわらず親なのである。そのことを認識していなければ、国や地域がどんな対策をとっても無意味なのであり、少子化問題が解決するはずはない。

 だが、先ほども説明した通り、物質的な面にばかりとらわれてそのことを見失っている人は予想以上に多い。そこでそのような厳しさや責任感、それはまさに子供に対する愛情であるが、それを認識させることができるのは、長年子育てをしてきたベテランである高齢者なのではないか、と考えるのである。その中には仕事と両立してきた人もいるであろうから、子育てと仕事を両立させる覚悟や楽しさを伝えることも可能になるのである。

 ここでもう一つ提案したいのが、このシルバー子育て支援センターで若者との交流を促進することである。学校の授業であれ地域の活動であれ、若いうちに子供と触れ合うことで将来子育てする際の大きな助けとなりうるのである。特に子供という存在や子育てにおける喜びを少しでも見出すことができれば、少子化の現状を根底から変えることができるようになると言っても過言ではない。

 また、子供だけではなく高齢者とも交流を持つことで、過去の世代の話や地域の話、現在起こっている問題についても視野を広げることができる。高齢者も若者と触れ合う機会が増えれば、より一層地域の活性化に貢献できると考えられる。若者と現役子育て世代の対話も当然有益なものになるであろう。

 確かに経済的な支援は必要である。現在の経済的に不安定な状況においては、児童手当や保育所料金の見直しは急務であると言って良い。しかしそれにもまして精神的な側面を強調するのは、子供に対する愛情や子育てに対する責任感があれば、多少の経済的苦境は乗り越えられると考えるからである。

 これまで述べてきたような、地域の子育てを基軸とした各世代間、つまり過去・現在・未来の子育て世代間の精神的なつながりを深めることで、良い意味で古い価値を取り戻した、現在の時代に合った新しい子育ての価値観を創出できるのである。現在すぐに必要な物質的な支援対策に加えて、これから将来にかけて必要になる精神的な支援対策を講じることで、少子化問題が徐々にではあるが根本から確実に解決されていくのではないだろうか。

 子供を産み育てることが普通に、なおかつ安心してできるような社会をつくるために、我々一人ひとりが他人任せにせずに主体的に考え、行動する姿勢が現在必要とされていることは、まず間違いないであろう。

以上




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