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再度チャレンジ  秋葉山(861m) ゴシュウ山(930m) 

(2017.11.02 敗退の記は下方へスクロールしてください)

群馬県  2018.04.29 М氏同行  快晴
コース 駐車地点(8:30)−−−徒渉・登山口(8:45)−−−最初の洞窟(855)−−−最後の洞窟(9.10)−−−コル−−−秋葉山(10.00-10.05)−−−石祠(10.25)−−−ゴシュウ山(10.55-11.00)−−−休憩(11.15-11.20)−−−沢渡渉(12.30)−−−駐車地点(12.40)      (単純高低差 約450m)

国地院地図にも記載されていない無名の2座を登頂。快晴。

岩窟 秋葉山山頂 ゴシュウ山山頂

昨秋、初歩的ミスに加え、羅針盤を失った船のような状態で大失敗を喫した。今回は、この山を経験済みの山友М氏に同行。大船に乗った気分で、リベンジ登山をスタート。前回マイカーをデポした水道施設からわずか進んだ先に駐車して出発。

15分ほどで問題の祠。ここで左方足下の小沢へ降りて渡渉、そこから登山が始まるのだが、前回は渡渉地点が確認できずに林道を終点まで直進してしまった。よく見ると小沢付近にはテープや小さな案内プレートがある。

徒渉したところから登山が始まる。案内役のМ氏のあとについてやや急な登りで沢から離れて高度を上げて行く。林床の斜面はザレ状態、注意していても、足を置くとザザッーと崩れて歩きにくい上にエネルギーも消耗する。
ときどき「秋葉山・ゴシュウ山」の小さなプレート標識や赤テープがつけられているが、足元ばかり気にしていると見落としてしまう。国地院地形図にも山名が載っていない山、訪れる人も稀な証拠に、踏み跡も明瞭とは言い難い。慎重に確認していかなくてはならない。
 

◆沢を離れて20分、大きな洞窟があらわれる。中には石仏なども祀られ、古くは地元民の信仰の山だったことが想像できる。
急なザレ斜面を、薄い踏跡を拾って行くと次々に岩窟が現れる。それは人工的に穿ったように見えるがあくまで自然にできたもの。思えば西上州には岩山が数多くあるが、その誕生は大地創造の時代にさかのぼるのだろうか。

足場の悪い急な斜面を這うように高度を稼いで行く。都合5カ所ほど岩窟を見たあと、ジクザクの踏み跡をたどって、稜線の小さなコルにたどりついた。ここまで沢の渡渉から約1時間。

コルを左手にたどると間もなく最初の目標ピーク秋葉山。狭い山頂には石祠や石仏が並んでいる。よくぞ担ぎあげたもの・・・先人の信仰の厚さが伝わってくる。往時はしっかりした山道があったのではないだろうか。晴天に恵まれ、山頂からは目の前見えるのは物語山が間近に見える。それに奇峰妙義のほか、西方には西上州の山の連なりが見渡せる。

◆小休止のあとコル迄戻り、次のゴシュウ山へと向かう。
岩や足下急傾斜の細道のへつりなど、気を許せない箇所もある。足元ばかりに気をとられていると、肝心のルート表示を見落としたり、踏跡を拾い違えおそれもある。途中にいくつか目につく石仏・石碑に目をやり、やや勾配が増してきた斜面を一歩一歩気合を入れて登って行くとゴシュウ山の山頂。秋葉山からは50分ほどの行程だった。
汗を拭きながらしばしの山岳展望。妙義山や荒船山、鹿岳、四ツ又山などはそれとわかるが、150座ほどは登っている群馬県の山の中で分かるのはほんのわずか。 

山頂付近には今を盛りと咲き誇るツツジ、2種類のうちヤマツツジはわかるものの、あとはアケボノツツジヤかヤシオツツジ?・・・?名前は別にして花の美しさに変わりはない。

◆下山はルートを外さないように慎重に脚を運ぶ。登りではゆっくり観賞する余裕がなかったが、新緑の何と美しく爽やかなことか。新緑に包まれての休憩は、またとない贅沢気さ。
ルートを誤ることなく無事に沢迄下山。所要4時間10分の初夏登山だった。

この山行はすべてМさんまかせ、その後をひたすらついて行くだけの楽々登山をさせてもらった。


登頂失敗  秋葉山(861m) ゴシュウ山(930m)      
群馬県  2017.11.02 単独  快晴
コース 馬居沢水道施設(6.55)−−−林道終点付近((7.30)−−−506石柱(8.55)−−−二つ目のピーク(10.10〜 10.15)−−−小滝(12.05)−−−車道(12.15)−−−車探し−−−大塩沢集落(13.45)===軽トラで車探し===馬居沢水道施設(15.00)

【秋葉山 ゴシュウザン 敗退の記】

山友Мさんが最近登ったという群馬県西上州の登山記録を拝見。低山ながらさまざまな楽しみが詰まった山という印象。この山域はほぼ登り尽くしたと思っていた。国地院の地図にも山名記載はなく、まったく知らない山だった。人知れず好事家の訪れを待っている山とも言えるだろうか。

Мさんの記録や、役にたちそうなネットを参考にして、軽いハイキング気分で出かけた。
上信越自動車道下仁田ICからR254を西進、「おかた茶屋」を過ぎてから左手に見える橋で西牧川を渡る。狭く入り組んだ道をカーナビ頼りに進む。右手に金網に囲まれた水道施設(貯水場?)がある。道幅に余裕があるのでこの前に駐車。

無名峰−本日の最高点

◆数分で小さな橋を渡ると道はダートになって林道という感じになる。さらに数分進むと右手にコンクリートブロックで造られた高さ1m弱の小祠がある。これはネットにも載っていたもの、この道で間違いなさそうだ。
篤志家による案内標識があるとの情報を頼りに、標識が目につくまでは沢沿いの林道を坦々と進む。もう一度小橋を渡って道は沢の右岸へ。

やがて前方に岩っぽい山が見えてきた。これが目指す山だろうか・・・・。
歩き始めてから30分余、標識を目にできないまま林道終点となってしまったが、この先にあるのだろうか・・・?

◆とにかく歩きやすそうなところを選んで山の斜面にとりつく。ところどころ赤テープをつけていく。尾根上に出ると「五〇六」と彫られた石柱があるが境界標識か?。展望の利く尾根からは二つのピークが並ぶ山が見えるがあれかな・・・・?現在地がはっきりしないので確かなことは不明。それにあるはずの案内標識や赤テープは一つとして目にしていない。ルートを間違えているのかな〜

「もう行くしかない」ということで、歩きやすい尾根を進む。ときどき現れる石柱は境界標識に間違いなさそう。時には尾根を離れ、険しい斜面を雑木につかまったりしながら上へ上へと登っていく。帰りに間違いそうなところには赤テープをつけていく。

岩窟や石仏、それに岩場があるというのに、それらしいものは全くない。ちがった方向を歩いていることは明らか。この好天、せっかく出かけてきたからには、どんなピークでもせめて一つは・・・そう思って、下山時のルートを頭にたたきこみながら上を目ざす。藪がないだけ助かる。
引きかえすタイミングを計りながら、足場の悪い急なザラ場を何回か慎重によじ登る。胸椎圧迫骨折からまだ満1年にならない、無理してケガだけはしないよう細心の注意。

◆赤テープを付けきれないため、途中からやめてしまった。それを後で後悔することになる。
山道であるようで無いような・・・半信半疑で登り続ける。

スタートしてから3時間近く、ようやく一つのビークに達したが・・・ここはどこだろう?この先にもう一つピークが見える。10分余り歩いてそのピークへ。ここまで3時間、しかし標識一つ見当たらないものの山道らしい様子が感じ取れる。

ひと休みしてから同じルートを引き返すこととする。

◆頭に入れてきたつもりの記憶があいまいで、何回も立ち止まっては考える。登るときに通ったような、そうでないような・・・そのくりかえし。頭の中ではこの方角で間違いないと信じていたが、結果から言えば、方向が次第に狂っていき、しまいには北へ向かうべきところを南に向かっていたらしい。
何ヶ所かの登り降りをくれ返すが、取り付けた赤テープを確認できたのは一つだけ。あとは「感」頼み。奥深い山ではなく、下りれば必ず集落があるはず、そう思うと緊張感はない。小さな滝を目にして間もなく、ピークから2時間かけて降り立った車道に1軒の人里離れた民家。人の気配はない。

下山した車道から眺めた「鹿岳」・・・鹿岳の登頂記録

◆さて・・・車はどこだ? この車道が駐車した場所へつながっていれば・・・淡い期待を抱いて30分余歩いたがどうやら関係のない道らしい。民家のところへ戻って声をかけてみる。出てきた老婆では話が通じないが、車道を下れば集落があることがわかった。車道(林道)を30〜40分分ほど下ると小集落(大塩沢)が現れ、畑仕事のおじさんに声をかけ事情を話す。私の説明ではここという駐車場所が推定できないようだ。

結局「車に乗って探そう」と言われるままに軽トラに同乗、あっちこっちと可能性のあるところを探し回ってくれた。見ず知らずのジジイに何という親切なことか。ただただ頭が下がる。
日の短い晩秋、暗くなるのも早い。暗くなったらどうしようもない、お手上げだ。頭の中は焦りの気持ちでいっぱい。探し回ること1時間30分ど、ようやく車を発見、体の力が抜けていような安堵感だった。

◆いやな顔も見せず自分のことのように一生懸命に探して下さる親切さに「ほんとうに申し訳ありません」を繰り返す。「困ったときにはお互いさまよ・・・気にするな」とありがたいことば。人の親切が身に染みる。

   

登山は失敗だったが、人情・親切のありがたさをしみじみと味わい、自分もそうあらねばと自省した出来事でもあった。
私が軽トラから降りると、お礼の言葉は要らないよと言わんばかりに、「気を付けて帰れよ」の言葉だけ残して何事も無かったように風のように帰っていきました。
山の目的は果たせませんでしたが、それの何倍ものものをいただいた温かい気持ちで帰路につきました。

 
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