日本百名山を登り終わって
                                                 
 【百名山最後の飯豊山山行記録】 【百名山登頂の日付順一覧】 
【日本百名山記録山名索引】 【手紙】
切合小屋にて

日本百名山を意識し、それを目標に山登りを始めてから満3年、飯豊連峰を最後に100座目の登頂を終わった。

喜びとは裏腹に、日本の主だった山頂をあまりにもあっさり登ってしまったことに一抹の寂しさが残る。ちなみに3000メートル峰で残るのは南アルブスの農鳥岳だけ。ほんとうは気楽な低山歩きから始めて、次第に幅を広げ、やがて日本を代表する高い山々にも取り組んでいくというのがオーソドックスで好ましいあり方だった気もする。

『余命』が頭から離れない私の場合は、時間との戦いのようにして、3年という短期間で一気に目的を達してしまった。確かに『嬉しい、よくやった』とは思うが、その裏に少しばかり空しいものがあるのも正直なところである。

振り返れば、まったく危険がなかったとは言い切れない。登山にはど素人の私が単独行を貫き通し、おおむね順調に100名山を達成できたのは、季節を選び、天候に気を使い、事前の下調べにとりわけ慎重を期した結果かもしれない。

百座には百の思い出が残された。流した汗がそれぞれの頂に深く染み込み、感慨が刻み込まれている。

日本中の山々がすべて見渡せるかと思われるほどに快晴に恵まれた山頂。強風雨にカメラの三脚も倒れるような大荒れの山頂。百花繚乱の高山植物の群落。長大ないコース、高低差の大きいコース、どんなコースも辛いと思ったことはなかった。かつてフルマラソンで鍛えた体力は手術後衰えたとはいうものの、まだ健在だった。
3年間という短期間で登頂できたのも、3日のコースを2日で、2日のコースなら1日で歩き切る脚力あってこそのことであった。

しかしそんな強行程の中でも、花々に見とれ、花々を愛で、山岳展望にひととき耽り、撮影を楽しむゆとりは失わなかった。高山植物の名前も沢山覚えた、展望する山々の名前も随分指呼できるようになった。

言葉を交わすこともなくすれ違った登山者やハイカーたちの中にも多くの百名山志向者がいたことだろう。昔に比べ、格段に交通も便利になり、登山道の整備も進み、百名山は普通の体力さえあればだれでも達成可能な目標になっている。それだけ百名山の重みも軽くなっているかもしれない。
確かに難しい山は一つもなかったし、地図を読めなくても何の不安もなかった。
ただ百名山を追うだけの登りかたには、何度も迷いを感じたこともあった。時代が変わった今日、名山というには頭を傾げてしまう山もあった。例えば筑波山、草津白根山、伊吹山、八幡平等は登山対象の山とは言いにくく、観光地化している。 とは言え、百名山のほとんどは、それぞれに登山の醍醐味を味わうことのできる、登り甲斐のある優れた山々であった。

姿を変えたガンとの戦いを意識して始めたこの山登りが、今では登山そのものを楽しむ気持ちに変わっている。人工肛門とうハンディを背負い、日本百名山の完登を果せた大きな喜びの中で、協力し、見守ってくれた家族、そのほかたくさんの方々に改めて感謝の気持ちですいっぱいです。

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静かな秋の山を歩き、心地いい風に身をゆだねて山を下りる。1日に2本くらいしかないバスをさんざん待って東京へ戻る。無気質なビルが林立する都会を、分刻みで走る電車やバスが不思議な光景に映る。いやおうなく大都会の現実にまた吸いこまれていく。いくたびそれを繰り返したことだろうか。

これで山登りが終わったわけではない。目標のない、目標に縛られない自由気ままな山歩きが待っている。
                       『日本300名山完登の記』はこちらです

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