【日本百名山を登り終わって】   【お礼の手紙】     【日本百名山最後の飯豊山山行】 

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【手紙】

1986年1月、49歳のとき直腸がんが見つかり全摘手術、人工肛門となりました。余命を取りざたされるほどの進行した病状を乗り越え、3年で日本百名山を踏破しました。
そのとき、お世話になった多くの方々お送りした手紙の原文をここに掲載させていただきます。



拝啓

ご無沙汰しておりますが恙なくお過ごしのことと拝察申し上げます。
お陰様で当方も家内ともども変わりなく日を送っております

早いもので私がガンの手術を受けました昭和601月から間もなく満5年を迎えようとしています。転移の恐怖と人工肛門造設というハンディの中で絶望の縁に立つ私でしたが、家族を始め、病院関係、友人、同僚その他多くの方々の励ましやお力添えを頂戴致しまして、何とか社会復帰への道を順調にたどり、多少の不自由さ、制約はあるもののほとんど従前と変わらぬ生活を取り戻すことができました。

5年前ベットに横たわり造設された自分の人口肛門を怖くて見ることができず、看護婦さんに叱られ、自分の目で確認したのは1週間も経ってからでした。そのときのショックは言い表すことばがありませんが、今はそんなことが懐かしく思い出される程にゆとりも生じております。まだ不安がないわけではありませんが、私のこの病気も満5年を過ぎれば、一応完治と言われています。待ち遠しい5年でしたが間もなくその日を迎えます。改めて皆様のご厚意を思い起こしながら、こころより感謝申し上げます。

当初は失ったものの大きさばかりに気持ちを奪われ、かえることのないものへの恋々とした思いが募り滅入るばかりでしたが、日を経るうちに人間にとって大切なものが何であるか、それは実は心のうちにあることを知りました。やさしさとか人の痛みを感じることのできる心とか‥・社会も企業もすべてが競争原理で動く殺伐とした中で、人間として最は大切なものに気づかずにいたことこそ悔いるべきことでした。失ったものの代償として得たものは、残された人生において計り知れない大きな宝ものになると思っております。今私の心の中は、病気以前よりはるかに充実し満ち足りております。

実は久しぶりにお便りさせていただきましたのは、手術から1年半ほどしましてから『日本百名山』に挑戦してまいりましたが、去る9月、東北の飯豊連峰縦走をもって無事100山目を登頂できました。そのご報告でございます。別紙のとおり北海道利尻島から九州屋久島まで、北に南に、東西に日本中を飛び回りました。百名山を目指した時点で13座登っていましたが、その中の登り直しも含めて3年間で93座の頂を訪れました。

100山目の飯豊連峰に登る直前、今にして思えば中学生の時に登った第一山目にあたる蓼科山へ妻を伴って登り、そして飯豊連峰もまた妻と長男が同行、ともに登頂達成を喜んでくれました。

手術後徐々に体力は回復していきましたが、自分の体をはれものに触るように扱うのは『生きる屍』にも似た生き方に映り耐えられないことでした。マラソンにのめりこんできた私は、生きることを実感できるような躍動的で燃焼するものが欲しかった。そんなときふとしたきっかけで日本百名山を知りこれだと思いました。
        

『梅雨、しとしと雨が降りつづく。山深い武尊山(群馬県・2158b)の山中をを歩いても歩いても人っ子一人会わない。去来する霧が視界を閉ざす。背丈以上の笹で登山道が不明瞭。心細い。引き返そう。そんな弱音がかすめる。・・(中略)・・‥あのとき頑張って頂上を踏んできてよかった。体内にまだ巣くっているかもしれない癌巣に、強力ミサイルを一発食らわしたような勝利の快感があった。』

           

これは日本百名山登山記録の最初のころの一節です。

・五十而知天命”
人ごとでない『死』を認識させられたのは50歳を直前にしたときでした。口に出しては言えなかった死の恐怖に圧しつぶされる思いの日々はつらい日々でもありました。
その中でとりついた日本百名山は、私には現実逃避の格好の対象となってくれました。一山一山踏破することがガンとの戦いであるかのように、心配しうろたえる妻を尻目に、憑かれたように登りつづけました。しかし百名山を完登できるとは正直なところ夢に思いませんでした。遮二無な行動でしたが、目標を持ったことで前向きな考えで日々を過ごせるようになっていくのがわかりました。登山が恐怖と失意から立ち直るきっかけでした。

大荒れの北アルプスで増水した沢を渡れずに立ち往生し、台風接近の強風雨に阻まれ山頂を目前にして退却させられたのは北海道トムラウシ山、人工肛門のハンディの重さを幾度も思い知らされ、そして日本中の山が全部見えるのではないかと思える快晴の聖岳(3020m)で歓声をあげ、百の頂にそれぞれの思いを残して登頂することができました。
あのとき、このような日々が再び来るとは考えることもできませんでした。今夢が実現しました。この喜びを、この嬉しさを、私を元気づけて下さった皆様にご報告せずにはいられない思いでこざいます。

天命を知る。今日一日が過ぎ、また持ち時間が一日減りました。年老いた人も、若者も、富める人も、病める人も、地位ある人も、そして私も・・・‥・生ある人すべて平等に。これから先も、五十にしてはじめて知った大切なものを忘れずに、悔いなく一日一日を過ごしたいと念じております。

まさかの夢が実現した今、5年の区切りとともにもう一度自分を見つめ直し、近況の一端を記し、併せてその節のご厚情にあらためて感謝申し上げます。

皆様のご健勝を心より念じてやみません。

敬具

記念に作成したテレホンカードを同封させていただきました。    平成211               根 桶 平 良


                     テレホンカード

                     『日本300名山完登の記』はこちらです

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