追想の山々 1031    up-date 2001.06.22


鳳凰三山 登頂日1988.11.12〜13  (単独)
砂払岳(2740m)薬師岳(2720m)観音岳(2841m)地蔵岳(2750)
●夜叉神峠登山口(6.10)−−−夜叉神峠(6.40)−−−苺平(8.35)−−−南御室小屋(9.00)−−−薬師小屋(9.55-10.20)−−−薬師岳(10.25)−−−観音岳(10.50-11.00)−−−地蔵岳(12.15-12.25)−−−観音岳−−−薬師小屋(14.00)
●薬師小屋(6.50)−−−南御室小屋(7.20)−−−苺平(7.45)−−−夜叉神峠(8.50)−−−登山口(9.15)
                   (51歳)
地蔵岳
山々に雪がきて、高い山に登るのも今年はこれが最後になってしまった。  
日本百名山の中で、この時期私に登れそうな近くの山は鳳凰三山だけだった。
完全な冬山装備までは必要ないと思い、防寒用に衣類を少し余計用意するにとどめ、簡単に準備を完了する。山慣れたというか、最近山行準備が自分で手際よくなったと思う。
2841メートル、3000m峰に匹敵する山であることを、登ってから知ることになる。

山小屋は週末金、土、日だけ管理人が入り、寝具、食事の心配はない。冬型の気圧配置が定着し、太平洋側は良い天気がつづいている。山に入る前の緊張感もなく、気軽な気分で出かけた。

自宅を午前3:00出発。甲府経由で夜叉神の森の駐車場に着く。自動車から外に出ると寒さに身震いする。
登山口の標識を見て早速登りにかかる。よく整備された広い道をたどって夜叉神峠についた。目に中に飛び込んできたのは、絵葉書のような白峰三山の姿だった。黄葉したカラマツ越しに、新雪をいただいた峰々が早朝の陽光に浮かんで、その姿は神々しかった。
長い登りにかかる。案内書にはうんざりするような、長いだらだら登りが続くとあるが、傾斜もけっこうあって体力を要する登りだった。視界のない樹林帯をひたすら高度を稼いでいくのみ。道がよく 整備されているのがありがたい。
杖立峠を過ぎて、何年も前の山火事跡に出ると展望が良い。塩見、荒川三山、赤石、更に南部まで望むことができる。  

ペースは極めて快調でこのままいけば、予定の時間を大幅に短縮できそうだ。今日のコース予定はやや強行の感はあったが、これで気持ちに余裕が生まれた。  
足元に雪が見えてきたが、歩行にさしさわるほどではない。下山してきた若い夫婦が、天気もいいし、アイゼン、ピッケルがなくても大丈夫だと言う。昨日は強風とガスで展望は全く駄目だったという。一日違いでの幸運となった。

辻山を巻くようにして、下りきった鞍部に南御室小屋がひっそりと建っている。南御室小屋横の水場は、がちがちの氷の固まりだったが、水は樋を伝わって流れていた。小屋主に薬師岳小屋の宿泊を依頼し、再び樹林の登りにかかった。足掛かりの乏しい胸を突く赤土の急登を登り切ると、あとは比較的歩きやすい道となる。
高山の樹相に変わり、花崗岩の巨石や白い砂礫が目につくようになると森林限界だった。
花崗岩と砂礫、 地を這うハイマツの砂払岳に達した。  
強風にさらされ、体温が急激に奪われる。薬師岳、観音岳とこのあとのコースが望見される。まさに眺望絶佳。すぐ下に見える薬師岳小屋に降りる。

薬師小屋で宿泊の手続きを済ませて地蔵岳へ出掛ける際、管理人に「往復4時間はかかる。日の暮れは早いから4時頃までには帰るように」と言われる。  
小屋を出てダケカンバの中を抜け5分も登ると、花崗岩と白砂、ハイマツの織りなす通称、“日本庭園”と呼ばれるこの景観は、燕岳のあの奇岩の点在する景観を小さくしたような感じで、ミニ燕岳というところか。空は紺碧、しかし冷たい季節風が吹き荒れていた。この風のお陰で大気中の塵が払われ、すばらしい眺望が得られるのだ。
観音岳、地蔵岳とつづくスカイラインは南アルプスは言うに及ばず、 富士山、御坂山魂、丹沢、奥多摩、奥秩父、茅ケ岳、浅間、八ヶ岳、 蓼科、妙高、北アルプス、御嶽・・・・  とりわけ間近の北岳、間ノ岳、農鳥岳、仙丈ケ岳、甲斐駒ヶ岳 と3000メートル級の名峰を目にしながらの贅沢な展望コースだった。

逍遥気分で簡単に観音岳に立った。花崗岩の積み重なった頂上に、三角点は石に囲まれていた。風は相変わらず強い。 地蔵岳のオベリスク(岩塔)がまじかに天を突いている。
鉄塊のように黒光りをした東駒ヶ岳、アサヨ峰を挟んで雪に覆われた仙丈岳が半逆光に青黒く映えている。正面の北岳は、バットレスの岩溝を鮮明にして、岩壁の凄さを誇示しているようだった。

朝からハイペースでとばして来た疲労がそろそろ出てきた。観音岳からは急下降して再びアカヌケ沢の頭まで登り返すが足が重かった。地蔵岳の岩塔が目の前に鋭く天をついている。基部までかなりの高度差を感じるのは足が疲れたためか。砂礫を下って地蔵岳の岩塔の根元に立ったが、この塔は私には登ることが出来なかった。

急な登り返しでアカヌケ沢の頭まで戻り、同じ道を薬師小屋へと向かった。風は更に強くなった気がする。風に押されて真っすぐ進むことが難しいほどになっている。風に身を預けるようにして、一歩一歩足を踏ん張り、観音岳との鞍部まで降りて、再び雪の斜面を登るが、高度200メートルほどの登りがやけにきつかった。  
強風に追われるように薬師岳小屋に帰ったのが午後1時20分だった。
管理人に「水場はどこですか」と聞く大失態を演じてしまった。ここは雨水しかないが、この時期はドラム缶の貯め水は凍ってしまうので、それも捨ててしまい水は宿泊者の食事用にとってある以外にはない。2700メートルにある小屋だということを考えて来なくてはいけないと教えられた。
それでも大切な水を少しだけ分けてくれた。  

朝がたはマイナス12〜15度くらいに下がると聞かされて、有りったけの衣類を着込む。寝具は一人当たり毛布が5枚、ふかふかの毛布ならまだしも、くたびれて湿った毛布ではちょっと心細い。シュラフを持ってくればよかった。

夕食前、日没の写真を撮るために薬師岳まで登った。夕映えの中に富士山が紫色に染まっていた。白峰三山の背後に沈んだ夕日の残光が稜線を金色に縁取り、やがて夜のしじまが支配するころ、塩見岳の上空に鎌に似た月が凍ったように浮いてた。  
夜中、寒さで何回か目を覚ましたが、我慢出来ないほどのこともなかった。使い捨て懐炉が効を奏したようだ。

夜の白むのを待ち兼ねて、カメラ、三脚を持ってまた薬師岳の頂上に登った。赤く染まり始めた東の空が刻々と色をかえていく。山の夜明けは荘厳なドラマだった。甲府の街の灯が遥かに瞬いている。真っ黒なシルエットだった富士山が薄明の光を受けて、空中の楼閣のように聳えている。白峰三山には少し雲がかかっているが、北岳は凛とした冷気のなかで厳然と根をおろしていた。  
寒風の中で写真を撮りながら待つことしばし、数段に染め分けたモルゲンロ ートの下から、真っ赤な太陽が昇ってきた。山々は色彩を取り戻す。モルゲンロートに赤く染まった北岳は更にその姿を崇高なものに変えていった。  

心を残して小屋に戻り、朝食を手早くすませて小屋を出た。昨日同様、今日も抜けるような青空が広がっている。夜叉神峠で白峰三山の見収めをして、夜叉神の森まで来ると観光のマイカーで駐車場は一杯だった。

1993.10.23 御座石鉱泉からの登頂はこちらへ