追想の山々1308  

                                         

1993.1128 虚空蔵山 〜 太郎山縦走
2008.12.29 上塩尻から虚空蔵山往復

2011.01.01   太郎山初日の出登山

虚空蔵山(1077m)
登頂日 2008.12.29
上塩尻防火用水付近(8.25)−−−座摩神社(8.37)−−−ロープ(9.15)−−−虚空蔵山(9.45-9.50)−−−下山(10.45)
所要時間 2時間20分 1日目 ***** 2日目 **** 3日目 ****
『虚空蔵』と名のつく山は、コンサイス日本山名辞典には17座掲載されている。このほかにもまだ知られていない同名の山が全国にいくつもあるのではないだろうか。ちなみに虚空蔵菩薩とは“広大な宇宙のような無限の智恵と慈悲を持った菩薩”だそうだ。
虚空蔵山山頂から北アルプス白馬方面をのぞむ











天気予報では年末の1週間は雪模様になっていた。それがなぜか29日は終日快晴予報に変わった。
“ちょっくら登ってくるか”という気になって上田市の虚空蔵山へ出かけた。先日登リ納め(鍬ノ峰)をしたばかりだから、2度目の登リ納めということになる。
天気が良い分今朝の冷え込みもきびしくてマイナス5度、天気は良くても山は寒かろう。
自宅から上田市上塩尻の登山口までは車で40分ほど、ところが登山口が不明でかなりうろついてしまった。

坂城ICを出てから国道18号を左折、上田市方面へ向かう。インターネットの情報を頼りに上塩尻郵便局の先を左折する。すれ違いもできないような細道、袋小路ような道が交叉して立ち往生。他車の邪魔になるのを気にしながら路上駐車して徒歩で行ったりきたりして探したがわからいな。
15年前に登ったときは、まったくちがうところから道なき道を藪を分けるようにして登ったのを思い出す。

プレハブ造りの『上塩尻区神社用具格納庫』と防火水槽のあるところで、山へ向かう石段が目についた。ネット情報とはちがうが、虚空蔵山方向へ向かっているように思われる。用具格納庫と防火用水の間に車1台分のスペースがある。しかし防火用水付近は駐車不可なのかもしはれないという後ろめたさを感じながら、ここから登ってみることにする。

虚空蔵山山頂
石段を登ると鳥居がある。ということはこの道は参道で、虚空蔵山へつながっているかどうか心もとない。運よく散歩の老人に出会って尋ねると、虚空蔵山へはこの道で間違いないことが確かめられた。さらに明瞭な道を登って行くと再び石段となってその上に立派な神社があった。境内の由緒書きには『座摩(ざますり)神社』とあり、養蚕にちなんだ神様のようだ。神社へは北側からも登路が来ている。それがネットのルートらしい。
神社からも道ははっきりしていて、神社左手の道を少し登ると送電鉄塔の下をくぐる。その先には木製のベンチが3箇所ほどあった。ハイキングコースとして整備されているということだろうが、それにしても道標の類はまったく見当たらない。テープなどがときどき目につくばかりだ。

風が冷たくなってきたのでヤッケ代わりに雨具の上着を着用する。長野市周辺では低山でもかなりの積雪になっているはずだが、南へ30キロぼとしか離れていないここはときおり薄い雪を踏む程度だ。
コースは赤松とコナラの混生する林の中で、クッションの効いた落ち葉が足に優しい。歩く人が少ないのか、落ち葉は踏みしだかれることなく、降ったままの状態で登山道や林床を覆っている。気をつけないとコースを外してしまう惧れもあるので要注意だ。
登山口から山頂までの高低差は約630メートル、風音も聞こえず静謐が支配、暮れの喧騒も、テレビや新聞で目にする忌まわしい出来事や、迷走する政治や経済もここでは無関係の長閑さが支配している。。

緩急はあるものの、総じて勾配はけっこうきつく、気温は氷点下と思われるが額には汗がにじんでくる。展望のない勾配を無心になって登っていく。険しい急登にさしかかるとロープが設置されている。この急登を終わった先で岩の壁につき当たった。左へ巻くと、勾配が緩み、北斜面をトラバースしていく。このあたりは積雪が数センチ、アイゼンは携行しているが着用するほどのこともない。(突き当たった岩の先が“兎峰”というのかもしれない)

再び勾配を増した道をひとしきり登ると兎峰の分岐表示がある。このルート始めての道標だった。さらに少し進むと稜線の小さなコルに登り着く。ここにも道標があって右は太郎山、左が虚空蔵山である。虚空蔵山への稜線はかなり急峻で少し雪もついている。慎重に登って行くとコルから数分で虚空蔵山の山頂だった。
山頂は360度展望が開け、とりわけ北アルプスは白馬連山から穂高方面まで、まさに紺碧の空と一線を画すようにして純白の姿を連ねているのが望める。妙高など頚城の山々や美ケ原、八ケ岳方面、近くには太郎山や烏帽子岳など、浅間山の噴煙も見える。眼下には千曲の流れが蛇行し、箱庭のごとき眺めが広がる。
三等三角点は傷みが激しく、あわれな姿が痛々しかった。
風が冷たく、短時間の滞在で下山にかかった。

駐車場所が難点とう点を除けば、コースも明瞭、山頂の展望の佳し、軽いハイキングにはもってこいの山であった。


虚空蔵山(1077m)〜太郎山(1164m) 
1993.11.28
上野駅(4.27)==JR==西上田駅(9.00)−−−虚空蔵山(11.35-11.40)−−−太郎山(12.45)−−−太郎神社−−−山口集落(13.45-14.00)−−−上田駅(14.50)==JR==上野駅(17.50)
人情に触れた思い出の山、信州百名山=56
太郎山から虚空蔵山を画く


上野発5時13分の鈍行高崎行に乗るため、自宅を4時過ぎに出た。乗客もまばらな一番列車が夜明前の闇を行く。高崎駅10分の待ち合わせで長野行きに乗り換え。素晴らしい好天になった。列車は碓井峠をごとごと登って軽井沢から小諸へさしかかる頃雲が増えて来た。
西上田駅で下車。下車したのは2、3人だけの小さな駅。寒い北風の中に、小さな駅舎が一層侘びしさを募らせた。
予定コースは虚空蔵山から太郎山へ縦走して上田駅へ至るというもの。太郎山だけならいたって簡単、1年に400回も登る人がいるというほどの山である。虚空蔵山はガイドブック等を調べてみたがまったく載っていない。地図にも登山道は記されていなが、尾根を忠実に行けば何とかなると思う。清水氏の『信州百名山』には、太郎山と虚空蔵山を合わせて1座となっているので、ここはやはり両山のピークを踏んでおくことが必要だった。
小雪がちらつきそうな寒風が肌をさす。駅を出てまっすぐ200メートルほど進むと広い国道に出る。通行量の多い国道を長野市方面へ向けて10分余り進むと、虚空蔵山から下りて来た尾根末端がすぐ先に見える。その尾根に取り付くのが良さそうだ。しかし道標も何もない。国道山側に集落(下塩尻?)があって、その中を一本の通が国道と平行するように走っている。集落の最北端、虚空蔵山の尾根末端にあった民家で道を尋ねた。気のいいおかみさんは「いい道ではないが、ここから登れないことはない」という。それでもはっきりしたことがわからないからと、隣の家まで走って聞きに行ってくれた。田舎の人特有の親切さが身に染みる。おかみさんの家の脇をかすかな道型がある。いい道ではないがそれを登って行くと尾根に出られる。その尾根を高いほうを目指して、一番高いところが虚空蔵山であると教えてくれた。何度も礼を述べてその道へ取り付いた。

歩く人もほとんどなさそうな落ち葉の積もった道を登って行く。作業道らしい薄い踏み跡が幾筋も走っていて、どれをたどっていいか迷うこと度々、感を頼りに適当に進むと尾根らしい感じになってきた。あとは尾根を外さないように登って行けばいいと思ったのは甘く、踏跡を追っ て尾根下をからんだりしているうちに、いつか道を失ってしまった。薮の中を行きつ戻りつしながら探すが見つからない。強引に尾根筋目指し藪を分けるうち、ようやく踏跡が出て来た。  雲で見通しが悪く、目視で目標を追うことも出来ず、その後も度々道を失って苦労した。松林伐採跡で道は完全に消えてしまい、しかたなく薮を漕ぎ、獣道をたどって高みを目がけて、何とか尾根の小さなピークに立った。
そこからは稜線の感じになって、比較的明瞭な踏み跡がある。 しかしほとんど歩く人もないのか、潅木やトゲのある蔓類が道にはびこって、手で掻き分けながら進まなくてはならなかった。

左下に1車線ぎりぎりの細い林道が走っている。5万分の1地図には載っていないので最近出来たものかもしれない。その林道からしっかりした階段がこの尾根道につながって来て、さらに尾根通しに伸びている。 ほっとしてそれをたどると送電鉄塔の下へ出た。(この送電塔も 地図には載っていない。帰ってから2万5干分地図を見ると、林道と送電線が記されていた)この階段道は鉄塔の保守管理道だった。ここまで1時間30分を要した。予定では虚空蔵山へ着いている時間だ。
送電塔からは再び薮の被った道になり、すぐ先に露岩があった。このあたりから雲の中へ入り、すぐ目の下の送電塔もガスの中に消えた。露岩から5分で小さなピークだった。時間的にはここが虚空蔵山かと思い、地図を広げてみたがはっきりしない。歩きはじめて1時間45分 が過ぎている。私の足ならとうに虚空蔵山へ着いていてもおかしくない。5分の休憩後、やや不安を抱きながらこの小ピークを後にした。
小ピークから視界のない霧の中を下って行く。踏み跡は依然として薄 くこころ細く、はびこった薮や茨を掻き分ける作業がつづく。古びた目印テープか木の技に残されている。すぐにコルとなって、テープ印に誘 導されるようにして足場の悪い薮道をはい上がって行った。コルから1 0分、樹林の小広いピークに出たところで、踏み跡らしい形跡も突然途切れてしまった。丹念に探してみたが、どの方角にも道が見当たらない。こうしたときは焦ってはいけない、そう言い聞かせてまずは小便をして気を落ち着ける。周囲は深い霧で見通しはまったくない。現在地がどこか見当がつかない。地図とコンパスで方角を照らしてみる。虚空蔵山へは東へ進まな くてはならないのに、何とこの小ピークヘ登って来た道は西へ向ってい るではないか。しばし唖然として地図から目を上げたそのとき、一瞬まさに数秒間にも満たない瞬間、一方向のガスが切れて、そこに三角錐の鋭い山頂が見えた。『虚空蔵山だ』、迷わずそう確信した。その虚空蔵山に背を向けて、どんどん離れるように歩いていたのだ。それにしても虚空蔵山への分岐がどこにあったのだろう。そもそもスタートからまちがっていたのか。とにかく戻るより仕方ない。

コルまで戻ったが、そこが先ほど通って来たコルかどうか地形等に覚えがない。獣道か踏跡かはっきりしないが道型らしいものの判然としない。さきほど瞬間的に見えたのが虚空蔵山に間違いなければ、そのピークと思える斜面を攀じってみよう。迷ったとは言っても標高1000メートルそこそこの山だ、大事に至ることはないだろう。さてどこから攀じろうか。道型とも見える跡に取り付くことにした。かなりの傾斜だが、登りはじめると道型がはっきりしてきた。潅木と蔓が路み合って道を塞ぐところは四つん這いになって抜けたり、 ザックが引っ掛かってしまうところでは、先にザックを押し出してから腹這いになって通過したりして行くのは、予想以上に体力の消耗だ。
これが虚空蔵山への道でなくてもどこかに出られるだろう、そう腹をく くって薮を漕ぎながら上を目指して登った。
2〜30分のきつい登りから解放されると、そこに『なんじゃもんじゃの木』という札のついた、一見桧かアスナロのような古木が岩に根を張って生えていた。“ここ虚空蔵山でしか見られない貴重な植物である”と記されている。やはりここが虚空蔵山のようだ。なんじゃもんじゃの反対側の岩の上には石祠がひとつ置かれていた。すぐ先が展望台の感じで、天気がいいと素晴らしい眺望が楽しめるだろう。コンパスと地図で進むべき方角を確認すると、そこには今までと違って、はっきりとした登山道らしい道があった。

虚空蔵山頂から10分も下って行くと岩場があって、ちょっと緊張するが、 慎重に通過、標高を下げて行くと雲の下に出たのか、前方に山が見えて来た。
ときおりひどい薮もあるが、進むに従い道はなおはっきりしてきて、完全に不安から解放された。緩い起伏の尾根道は、ときには木立の中の広々とした道であったり、散り敷いた落ち葉の道であったりして気持ちいい。
太郎山登山道の標識をみつける。ここからは地図に登山道の記されているハイキングコースである。山頂手前には太郎神社が建立されている。山の上とは思えない立派な神社だった。女性ハイカーが風を避けて休憩していた。休憩舎の前は展望台になっている。先週登った独鈷山のぎざぎざした山容や、竜蛇のようなゆったりした千曲川の銀流、それに上田市街も見える。
三角点の太郎山々頂は神社から5分ほどだった。信州百名山90座目の山頂だった。
入れ替わりに若者のパーティーが下山して行った。汗で濡れた体に寒風が吹き付ける。思わず身を縮める。雪がちらちら舞っている。石の地蔵 さんも寒そうだ。雲が薄くなって虚空蔵山が木の間から見える。山頂の展望盤には白馬岳から槍ヶ岳、穂高岳への北アルプス連峰、美ケ原、 八ヶ岳、富士山、荒船山、浅間山などがあった。カメラのフィルムを買いそびれてしまい写真もとれない。寒風の中で急いでスケッチをして、寒さに追われるように山頂を後にした。

とるに足らない低山ながら、厳しい行程を歩き切った満足感、安堵感で、神社の陰に風を避けて昼食、下山は表参道を下った。
神社のすぐ下には大きな朱塗りの鳥居があったり、参道には丁目を示す石祠が並び、山口集落まで30分の駆け下りはあっという間だった。
上田駅への道を尋ねた農家で畑の大きなリンゴを5個戴いた。主人は太郎神社保存会の役員をしており、東京から登りに来たというのがひどく嬉しかったらしい。主人としばらく話しこんでしまった。それにしても田舎の人は本当に親切だ。
振り返ると空はすっかり晴れ渡り、抜けるような青空の下、虚空蔵山から太郎山が一目瞭然だった。
虚空蔵山への登山道がもう少し手入れされて、多くの人々が手軽に縦走できるようになればと思いながら、途中道連れになった小学6年の男児二人と話しをしながら上田駅へ向かった。
男児は大きな声で「さようなら」を言ってくれた。
田舎の人の親切が忘れられない山歩きだった。
帰宅後、親切に登山口を教えてくれたおばさんと、リンゴをくれたおじさんに礼状を送った。