山のエッセイ3002  up-date 2001.02.10 山エッセイ目次へ

山小屋<感動の一夜>
1999年8月の話です。
山小屋2泊の予定で北アルプスへ出かけました。

太郎兵衛平を目指して折立を出発しました。 折立−太郎兵衛平−薬師沢小屋−雲の平−祖父岳と歩いて、再び雲の平小屋まで戻り、初日はここで泊まりました。
60歳をこえた足には、この長いコースはかなりこたえました。

夕刻、次々と泊り客が入りこみ小屋は満員になりました。小屋は部屋仕切りがなくて、だだっ広い大広間形式です。突然小屋の一隅、私の寝場所の近くから異様な声が聞こえます。見ると到着したばかりの母娘です。おやっ?と注意を払うと、また同じような声、それは奇声です。
40才代のお母さんが、小学高学年か中学生ほどの女の子を、なだめたりして面倒を見ています。様子からしてどうも知恵遅れの子供のようです。どこから歩いて来たのか、母娘ともかなり疲れていることは間違いないでしょう。
母親は疲れている体で、子供の衣類の着替えをさせ、水を飲ませ、そしてトイレへ連れて行き、休むこともなく面倒を見つづけます。

雲の平というところは、行ったことのある人も多いでしょうが、北アルプスでも奥座敷といわれるほど深いところにあります。私は1日でここまで入りましたが、そうした人は数少ないはずです。どこから入山しても通常2日のコースです。私と同じコースを3日かけて、ゆっくり登って来たという女性グループなどもありました。

介護者の援助なしには歩けない少女の面倒を見ながら、この北アルプス最深部の山まで歩いてきた母娘は、私には驚きでした。
山小屋の客は、みんな疲れています。
夕食が終われば、明日に備えて早々と床につきます。この日の雲の平山荘も同様でした。
8時を過ぎると明日の出立の準備を整えた人たちは、眠りに入っていきます。
そのとき、眠りの雰囲気を裂くような嬌声が起こりました。はっとしました。 あの少女です。次には何か歌を歌っているようです。そしてなにごとか意味のない言葉を口走っています。人々の眠気をいっぺんに吹き飛ばすような出来事でした。

これがもし、山小屋でのマナーをわきまえぬ人であったなら−実はそうした人はかなりいるのですが−到底黙認できません。私が注意しなくても、ほかのだれかが注意するでしょう。
私もこの日は、富山市のホテルで深夜に起きて洗腸をし、早朝から長い行程を歩いてきました。いつもの山歩き以上に疲れてもいました。それなのに、その子の様子を少しも迷惑がったり、非難したりする気持ちは湧いてきません。むしろそのとき私の心は、他への迷惑をおもんばかる母親が、一生懸命に寝かせつけようとしている姿に打たれていました。
中には、こうした状況を予想しながら、なぜ連れてきたのかと思っていた人もいたかもしれません。

私はこのとき想像しまた。
「知恵遅れのこの子にも、山の素晴らしさを、どんなに苦労してでも味わわせてあげたい」
そんな母親のひたむきさだったのではないだろうか。父と母の二人共同ならまだ楽でしょう。母親一人、苦労の大きさを承知でこのような行動にかりたてたもの、それは理屈を超えた母性のたとえようもない愛情の強さだったのでしょう。私には他に表現の方法がありません。

1時間ほどしたでしょうか。いつしかその子の突発的なわめきも、歌も聞こえなくなっていました。 私は痛いほど心を打たれながら、いつしか眠りの世界に入り込んでいきました。

翌朝、やはり母親は他の客より早く起きて、その子のトイレ、着衣、食事の面倒と動きつづけていました。
私は心から母娘の無事の山行を祈っていました。

私はこの日の山小屋の一夜は決して忘れることはありません。