山のエッセイ3004  up-date 2001.02.24 山エッセイ目次へ

単独行の功罪
登山やハイキングを安全に楽しむためには、単独行はダメ、無理な計画はダメ、引き返す勇気を持つこと、きちんとしたリーダーが同行すること、予備食を持つこと、非常用ツェルト(簡易テント)を持つこと、懐中電灯を持つこと・・・・・などいろいろ言われます。
いずれももっともなことで反論をする余地はありません。
が、私の“思いつき”を少し書いてみます。

日帰り、小屋泊り、テント泊、季節などで登山の安全性を確保するファクターにはそれぞれ違いはありますが、その中で「単独行は避ける」というのは、中高年の場合は特に強調して言われます。
勇んで到着した登山口には注意看板が待っています。
「単独行はやめましょう」
「登山届を出しましょう」
多いのはこの2か条です。

単独行=事故という見かたは、どうやら定着しているかのようです。
私のような気の弱い単独行者は、さあ登ろうと張りきっている目の前に、そのような看板をどーんと見せられると、とんでもない悪事でも働いているような気分になってきます。

単独行者の事故はほんとうにそれほど多いのでしょうか。統計的にそれを示す資料を見た記憶はありあません。
好んで単独行を勧める気持ちはありませんが、それなりの効用もまたあるのです。何か眼の敵のようにダメ、ダメと言われてしまうと、どこかひっかかるものを感じます。
「初心者の単独行はやめましょう」
程度にとどめてもらえると、それほど後ろめたい思いにさせられることなく、単独の山歩きを楽しめるような気もします。

観光会社募集のパックツアー登山のように、登山口まで貸切バスですーっと行ってしまい、あとはリーダーのお尻にくっついて、何が何だか知らないが、山頂まで登ってきました。そうした人が地図も持たず、同じ意識で一人山へ入れば、場合によってはアクシデントに遭う可能性はあるかもしれません。
単独行の場合は役割分担も何もありません。すべてが自分の肩にかかり、自分の判断です。さまざまなプレッシャーを一人で受けとめ、適切な判断を下して行動することになります。いきおい慎重にならざるを得ません。
単独行を重ねることは、とりもなおさず山歩きに必要な多くの事がらがを身について行くことにもつながります。

“山は怖い”と考える臆病さを前提に、事前のコース検討を十二分に行えば、単独でもほとんど心配はありません。
丹沢とか奥多摩とか、六甲とか、道標が整い、入山者の多い山で単独行をして、必要なノウハウを身につけて行くのも良いことだと思います。

私は典型的な単独行者です。 その代わり事前のコース検討などは十分過ぎるほどにやっています。小さな山でも馬鹿にはしません。そのためだと思いますが、年間60日以上の山行を13年続けてきましたが、一度も人の手を煩わせるようなアクシデントには遭っていません。
現地の様子が変っていたために苦労したことなどはあります。天候による日程の変更などもあります。しかし事前の準備があれば、多くの場合適切な対応が可能です。
「単独行だから事故に遭う」と決めつけるのは短絡過ぎかもしれません。

単独行を忌避するだけでなく、事故に遭わないようなノウハウを身につけることもまた大切です。 道標の整ったごく初歩的な山を歩いていても、4、5人のグループの中の一人が「頂上まであとどのくらいですか」とか「××へ下るのにはどっちへ行けばいいでしょうか」なんて聞いてくることがあります。まあほほえましいと言えなくもありませんし、自分の判断を確認するために聞くこともあるでしょう。一概に非難するつもりは毛頭ありません。
逆説的に言えば、単独行だから効率的に登山のノウハウを学べるのです。

確かに単独行は事故に遭ったとき対処できないというのは事実です。だから事故に遭わないための細心の注意を払うのです。 単独だから事故に遭うのではなく、ふだん登山のノウハウが身につくような山歩きをしていないために、つまらない事故に遭うケースの方が多いと、私は思っています。
単独で山を歩いている人はかなりたくさんいます。彼らの多くは、自信に満ちた足取りで颯爽と歩いています。
単独行も山歩きの一つの楽しみ方です。決して「悪」ではないと思います。 要は心がけ、グループ登山でもお互い寄りかかったもの同士では、少しも安全ではありません。 安全な山歩きの本質を間違えないようにしたいと思います。