山のエッセイ3010  up-date 2001.04.20 山エッセイ目次へ

軍国主義下の登山(1)
東京在住のころ、山に関する古本を探しに、よく神田神保町へ出かけました。値段の高いものは手が出ませんから、安い本ばかり、かなりの冊数になっています。たいていのものはざっと目だけはとおしてあります。

かれこれ10年ほど前のこと、面白い本を見つけました。《山と高原の旅》という本です。 

昭和17年7月20日刊行、定価2円10銭、312ページ。紙質は劣悪、茶色に変色して触ればボロボロと壊れそうです。
これを500円で手に入れました。
内容は奥多摩、丹沢などの東京近郊から、日光、上越、上信、南信濃あたりまでの山々を数多くガイドしています。 コース数で210ほどになりますから、これは相当なものです。

昭和17年というと、私がまだ小学校にも上がらないときです。
その前年昭和16年12月8日、日本軍による真珠湾奇襲攻撃により太平洋戦争が始まりました。日本軍が「あらひと神天皇」を錦の御旗にして南方諸国を力で侵略蹂躙し、やがて来るべきしっぺ返しの地獄も知らずに、勝った、勝ったと浮かれていたころでしょうか。
世相は戦争一色に塗りつぶされ、自由は抑圧され、軍国主義だげが正義として国内を覆い尽くし、国民総動員体制の掛け声のもと、「贅沢は敵、欲しがりません勝つまでは」などと言って、国民は耐乏生活を強いられていました。

当然ハイキング、登山などという娯楽は、国の施策に反する「敵」そのものだったのです。
そんな状況下、ハイキングのガイド本が発刊出来たというの、これは大変なことだったのではないかと想像します。
登山・ハイキングに限らず、ありとあらゆる刊行物は、軍の検閲を通過しないと発刊できなかった時代です。つまりその検閲をパスして発刊されたということです。
物資の統制下、紙1枚だって貴重品です。娯楽などは軍国主義に反する軟弱精神の最たるものだったにちがいありません。
正直なところハイキングのガイド本が検閲をよくパスしたと思います。

そこで表紙をめくると検閲バスの種明かしが見えてきました。
セピア色に変色した最初のページに、足立源一郎氏の描いた木曾御岳の絵がカラーで載っています。9×7センチほどの小さなカラー画ですが、カラーだというだけでもすごいと思います。

ついでページをめくると、これが何ともすごいのです。
見開き1ページを使って、
   『今日よりは かへり見なくて 大君の 
      醜の御盾と いで立つわれは』 ―今奉部與曾布―
という短歌が載っているのです。
私にはよくわかりませんが、「身も心も、すべては天皇陛下御ためのもの、自分の身は捨て、陛下の盾となって働きます」というような意味でしょうか。
いやあ、すごいですね。国民(当時は臣民と言っていました。天皇の民ということです)にとって天皇陛下は信長や秀吉のような絶対君主としての存在だったのですね。すごいというより何だか滑稽さを感じます。今では考えられませんが、大まじめにそれがまかり通った時代だったということでしょう。

さらに次のページへと進むと、今度は序文がありまして、その題は「山は我らの修練場」です。
題のごとく、要するに山登りは修練場というわけです。つまり天皇陛下のために役立つには、立派な体と精神を鍛えておかなければならない。登山・ハイキングはそのための手段である。単なる趣味やスポーツではない。 まあこういうことでしょう。
まさか、著者は本気でそう思ったはずはありませんから、この出版が認められるためにはそれが手段だったと理解していいでしょう。

この「序」の全文は歴史の一こまを垣間見るためにも、ぜひ一読して欲しいと思います。次回にそれをアップします。
序の内容はまったく笑っちゃいます。滑稽以外の何ものでもありません。いかに当時の日本が『狂って』いたかがよくわかります。
ご期待を?・・・・。

私の発言は天皇制について、ここでどうこう言うものではなくて、当時の狂った世相を指摘しているものですので、その旨お含みください。