山のエッセイ3012  up-date 2001.04.22 山エッセイ目次へ

軍国主義下の登山(3)
≪山と高原の旅≫の具体的な内容を一部ですが紹介します。

登山は趣味やスポーツではない、敵国と戦うための修練道場と言っていますが、さてその内容とは・・・・・
そう思って本文に目を通して行くと、これは今のガイドブックと同じような形式ではありますが、紙などの不足していた事情もあってか、活字も小さくかなりシンプルな構成です。
●コースタイム
●交通費
●文字によるコース案内
●該当山岳の五万分の一地図名
そのほか、ごくおおまかな地域概略図があって、どのあたりにある山か見当がつくようになっています。
たったそれだけです。最低必要限度のエキスだけという感じがします。

ところが一つ驚くことがあります。
コースタイムを眺めていいると、それがすごいのです。まさしくこれは修練です。
2、3例を上げて見ます。
(歩く速度は、だいたい今と同程度に設定されています)

▼奥多摩から大菩薩へ
日帰り・歩行18時間
新宿駅・前日夕刻発(電車・1時間半)御岳駅(バス40分)境――小河内温泉――川久保――大菩薩峠――大菩薩嶺――長兵衛小屋――番屋(バス40分)塩山(電車3時間半)新宿

青梅線が御岳駅終点のころだったと思われます。
境というのは、奥多摩駅から西へ向かうと境橋というバス停がありますから、そのあたりでしょう。ここから現在の小河内ダムとなったあたりを歩いて小菅村の川久保に出ます。この川久保から大菩薩を目指したコースのようです。これを前夜発日帰りと言うのは、大変な強行軍です。
今では到底考えられないような、ゆうに2日分はあるコースです。
ただただあきれるばかりです。

▼苗場山
前夜発日帰り・歩行20時間
上野駅(5時間半)湯沢駅――祓川――神楽峰――苗場山――同じ道を引き返す――湯沢駅

案内書では、夕刻上野駅を発って、夜から歩きはじめるとなっています。下山してまた夜行で帰京、そのまま会社へ出勤するということになるのでしょう。
そう言えば昭和30年代、夜行で山から帰った同僚が、そのまま出勤してきて仕事をしているのを見て、すごい人がいるものだと思いました。
それにしても20時間の行程を日帰りとはどういうことでしょうか。

▼上越の笠ケ岳〜朝日岳縦走
日帰り・歩行13時間
上野駅(電車5時間)土合駅――白毛門――笠ケ岳――朝日岳――清水峠――武能小屋跡――土合駅(5時間)上野駅

起伏のある厳しいコースです。今ならこれを日帰りコースとしている案内書はまずないと思います。健脚に自信のある登山者でもかなりハードなコースです。

▼塔ケ岳〜丹沢〜三ツ峰縦走
日帰り・歩行14時間
小田急澁澤駅――大倉――塔ケ岳――丹沢山――三ツ峰――宮ケ瀬(バス50分)相模原へ


どれも持久力競争でもやるようなすごいコースです。
今のガイドブックは、1日の歩行時間は8時間どまり、10時間を越えるようなものはめったにありません。
ところが、一日の行程が10時間なんていうのは目じゃない、そんな感じです。驚くべき強行軍です。これが「修練」ということでしょう。日の長いときに、休みなく歩いても、夜明けから日没までかかる行程です。
しかも今とは違って電車、バスなどのアクセスの不便さを考えると、さらに信じられなくなってきます。

今では拓かれた林道を、マイカーですうっと走りぬけて登山口へ着いてしまう。
この案内書に目を通しながら、我々はいかに楽な登山をしているかがわかってきました。わかってはきましたが、昔のそれが正しいとか、立派だとは少しも思いません。