山のエッセイ3014  up-date 2001.05. 山エッセイ目次へ

山での こころあたたまる話

この山のエッセイで、東北の月山へ登ったとき、山頂へ立つのに入場料のようなものを請求されましたが、そのときお金を持ち合わせず、情け容赦ない態度で拒絶されて山頂を踏むことが出来なかったという、思い出したくもない出来ごとを「苦い思い出」として書きましたが、今度は反対に心あたたまる思い出です。

《その1》
1996年、丹沢の鍋割山荘へ泊まったときのことです。
鍋割山荘の強力(ごうりき)主人・草野さんについては雑誌や書物などでも知っている人が多いと思います。草野さんにも会ってみたかったし、かねがねこの山小屋へ泊まって見たいと思っていました。

泊まったのは2月の寒い時期でした。
夕食まで間があったので、コタツでうとうとしていました。すると奥さんが知らぬ間に「風邪を引いたらいけないからね」と言いながら毛布をかけてくれたのです。
ことほどさように、すべてにわたって温かさが感じられます。簡単に言えば「事務的でない」ということでしょうか。
ここまで気を使ってくれる小屋はめったにないことです。

北アルプはなどでは小屋の大型化と商業ベース化が進み、従業員はすべてが短期アルバイト、小屋と登山者との関係は寝かせてもらって、食べさせてもらうという関係だけです。
鍋割山荘はやはり評判に違わないすばらしい山小屋でした。
こんな嬉しい気遣いをしてくれる小屋がまだあるのです。あのときのお礼にもう一度訪れたいと思いながら、奈良へ転居していまだにその機会がありません。

《その2》
双六小屋でのことです。1989年9月のできごとです。
これが姿を変えたガンとの戦いと気負い、日本100名山に取り組んでいました。目指したのは水晶岳・鷲羽岳です。
初日は七倉から水晶小屋まで、標準14時間のコースを8時間弱で歩きました。天気は暴風並みの荒れ模様の中でした。途中「遭難」の2文字を思い浮かべながら必死でした。
夜中も小屋が吹き飛ばされるような恐怖感を味わい、ほとんど寝られません。

水晶岳は諦めて、翌日は鷲羽岳−双六小屋経由で下山することにしました。
依然として風雨はおさまりません。2、3日前の台風よりひどいと言う小屋管理人の声を背にして出発しました。
双六小屋へたどりつきますと、秩父沢が増水で徒渉出来ないと言うことです。結局双六小屋へ泊まることになりました。

その日の客は私を含めて3人だけでした。従業員の女性が濡れた靴が少しでも乾くようにと古新聞を中へ詰めてくれたり、寒かったでしょうとストーブの火を大きくしてくれたり、その親切にこころがこもっていて、この上なく嬉しく感じました。

さらに2年後の19991年GW、山スキー登山で双六小屋へ泊まり、下山して同じ経営のワサビ平小屋ヘ立ち寄りました。実は風邪を引いて熱がありました。重いスキーをかついで帰るのが辛くて、スキーと靴を預かって欲しい頼んで見ました。
風邪薬を飲ませてくれた上、スキーを取りに来るのは大変だから、街へ下れるようになったら(小屋までは車道があるが、残雪のために通行はまだ出来ない)宅急便で送ってあげますと言ってくれました。
送料の概算を置き、手配を頼んで帰宅することが出来、ほんとうに助かりました。

後日、山岳写真家でもある小屋主の小池さんから、送料のお釣りと絵葉書が送られてきました。 これも忘れられない親切でした。
山を歩きはじめて14年間、振りかえりますと苦い思い出もありますが、それより心あたたまる思い出の方がずっと多いのです。