山のエッセイ3016  up-date 2001.06.09 山エッセイ目次へ

 
徒党を組んで集団登山

10年ほど前のことですが、妻と二人で茅ケ岳へ登りました。 登ったのが朝早かったため、我々が下山するころになって大勢の人が登ってきました。

半分ほど下ったあたりで、集団の登山者が引率されて登ってきました。そこは道幅が狭くてすれちがう場所が見あたりません。登り優先のマナーに従い、立ち止まって道を譲ることにしました。見えるだけでも20人から30人はいます。曲がりくねった道の向うまで列がつづいているようです。

その一団は、今や山の主役の中高年たち。まるでカメさんの行進のようなゆっくりとした足取りで登って来ます。
先頭のリーダーらしい仁が「すみません」と声はかけてくれましたが、この集団をやり過ごすのにかかる時間を考えると、やりきれない気分になってストレスがたまります。

今日は一刻も早く帰宅したい用事があって早く出かけてきたのです。 延々とつづく列の中から、仲間同士で「登りが優先だからね」とすまして囁く声も聞こえます。 かなりの時間をかけて30人ほどが通過しましたが、依然としてまだ何十人も続いているようです。
だんだんと苛立ってきました。
彼等が立ち止まって避けてくれたら、下りのわれわれはあっという間にすれ違えます。

こなんなとき、たとえ登り優先であっても人数が多かったり、足の遅いパーテイーのリーダーは状況を判断して、優先に執着せずに進んで道を譲ってくれることがけっこう多いのです。

それにしてもこのときの団体の人数は半端ではありませんでした。数十人から100人近かったのではないでしょうか。はじめて目にするほどの大集団でした。
下山して見たら、同じ会社のバスが2台止っていました。多分これでしょう。

山を歩いていて気がつくことは、どうしてこのような大集団で登るのかと言うことです。いや、集団で来るのはいいのです。その場合は適当な人数のパーテイーに分割するなどの配慮が必要です。
またこうしたときのリーダーは、他の登山者に大きな迷惑がかかっていることを知るべきです。単に「登り優先」を金科玉条のようにして歩くのは、これはもうエゴとしか言えません。
この集団のあとについたがために、一般の登山者が追い越しも出来ずにイライラしているのがわかりました。
100人の中のいちばん遅足の人に合わせて歩くのですから、他の登山者への影響は無視できないものがあります。

山の楽しみ方はいろいろあります。また一人では山を歩けない人もいるでしょう。集団で山を訪れることを否定する気は毛頭ありません。またこうした登山を排除しようなんて思ってもいません。私も身体障害者手帳を持つ身ですから、弱者の視点で考えることができます。
でも「弱者であること」が免罪符であってはならないと思っています。他の登山者への最大限の気遣いも忘れないで欲しいと思うのです。
こうした迷惑行動が「中高年登山者はあつかましい・・・・」とか、「山でのマナーを知らない]というように、とかくの非難を受けることにつながりかねません。

中高年登山者の一人として私も気をつけたいと思います。