山のエッセイ3019  up-date 2001.07.04 山エッセイ目次へ

もうひとつの山小屋

“山小屋”と言えば、たいていの人は山の中に建つ登山者用の宿泊施設、又は避難小屋をイメージするでしょう。

昭和30年代に青春期にあった人々、今の50才台、60才台の者にとっては、「山小屋」と聞くと、もう一つ思い出すものがあるのです。
戦後復興期真っ只中の、昭和30年代(1955年)に大流行した世相風俗の中に「歌声喫茶」というものがありました。
記憶はかなり曖昧になりましたが、いわゆる喫茶店です。
そう言えば、当時“純喫茶”なんていう言葉もあったのを思い出しました。お色気なしの、いわゆる健全な喫茶店です。それじゃあお色気のある方を何と言ったのか、そっちは縁がなかったせいか、思い出せません。
純喫茶の中にも名曲喫茶とか、ジャズ喫茶、あるいはコーヒーの味が自慢の喫茶店とか、さまざまな喫茶店がありましたが、歌声喫茶もその中の一つの形態でした。

歌声喫茶とは字のごとく、歌を歌う喫茶店です。
今でもどこかにそんな喫茶店があるのでしょうか。歌を歌うと言っても、当世はやりのカラオケとは似て非なるものです。
当時コーヒー一杯が何十円程度だったでしょうか。
アコーデオンを持ったリーダーがいて、その伴奏でおおむね20台の男女が声を合わせて歌うという寸法です。顔ぶれはだいたい学生か勤労者だったようです。
一面識もない知らない者同士が、何のためらいらしきものも感じずに10年来の知己のごとく、ときには腕を組んだりして歌う光景は、今振りかえると実に不思議な光景です。

そうした歌声喫茶の一つに「山小屋」と言うのが新宿にありました。(もしかすると勘違いがあるかもしれませんが、確か「山小屋」だったと思います)いつも満員の盛況でした。100人以上は入っていたように思いますが、記憶は定かではありません。 コーヒーと一緒に歌のしおりがついてきます。5×8cm、50ページほどのものです。歌詞だけで楽譜はなしです。あれはコーヒー代に含まれていたのか、あるいは別に買ったのかは忘れました。
曲目はカチューシャ・黒い瞳・トロイカなどのロシア民謡のほか、雪山賛歌、峠の我が家、ともしび、山のロザリア、夏の思い出、おお牧場は緑などいろいろな健康歌?を歌い、そして覚えたものでした。

あれはストレス解消でもあったと思いますが、とにかく無条件に楽しめました。音痴では人後に落ちない私ですが、歌声喫茶では気にすることもなく声を張り上げていました。
このころ、登山はレジャーの最右翼でした。若者は山へ山へとなびくように出かけていました。
山小屋というネーミングもそんな世相の中から付けられたものかもしれません。

当時の若者は政治にも敏感で、学生や若き勤労者などによる安保反対闘争が盛り上がった時代です。メーデーでは神宮外苑から新宿まで、ジグザグ行進で大通りを占拠して気勢をあげたのもこのころです。私も一緒になってエネルギーを発散させていました。
なぜか若者たちの連帯感が自然発生的に生まれた時代のような気がします。
日本経済の高度成長を支えたのは、このころ安保反対闘争に情熱を燃やしたり、歌声喫茶で腕を組んで歌った若者達だったのです。

そんな世相が素地となって、歌声喫茶という特異の文化が発生したのかもしれません。 「山小屋」という言葉には、私にとって深い郷愁が込められています。