山のエッセイ3023  up-date 2001.08.16 山エッセイ目次へ

ピークハンター
ピークハンターは悪?

あるとき、山の雑誌で目にしたことです。
正確には覚えていませんがそれはピークを踏むことに固執する登山パターンを、低俗、幼稚と指弾したい意向が行間にちらついた文章でした。
大きな抵抗を感じました。平ケ岳山行についての記述だったように思います。

『・・・・時間切れで山頂手前で幕営、翌日は雨、目前の山頂を踏まずに幕営地から下山した。パーティーの中に“ピークハンター信奉者”がいなくて幸いだった。われわれはこれで十分満足だった・・・』

というものである。  
危険を犯すことはもちろん避けるべきであるが、多少の悪天であってもせっかくの山行です、出来れば山頂を踏みたいと思うのが人情。そもそも登山の原型は、その山のピークを極めるところから出発したのではなかったか。
「ピークハンター」というある種の蔑みをこめたこの言い方に私は反発を覚えました。  
そのような言い方をする人々の深層には、ありきたりのものをしりぞけ、『通』ぶったおごり、あるいはピークのみを目ざすという過程を卒業して、さらなる高い境地に到達しているという優位感を示そうとしているようにも見える。さもなくば山の達人・玄人であることを強調したいためのパフォーマンスでしょうか。  

標高差1500メートルとか1800メートルというきびしい坂道を、朝から登って来てようやく山頂に立つ。そこに達成感に裏打ちされた登山の喜びがあります。
登山の要素の一つは、紛れもなくその山塊の頂点に立つことであると思っています。
岩登りにしても、氷雪の山にしても、困難や苦労を乗りきって達成するところにこそ喜びがあります。雨が降ってきたからと言って引きかえすようでは、それは単なるお遊びの延長ではないでしょうか。
そのお遊びだって山を楽しむ一つのパターンであり、それはそれでいい、決して否定はしません。だからと言ってピークにこだわる登山スタイルもまた一つの山の楽しみ方であるのです。

どうもピークハンターという言葉には抵抗を感じます。だから私は自分の山行スタイルを山岳巡礼派と言うことにしています。
私のひがみでしょうか。