山のエッセイ3024  up-date 2001.08.27 山エッセイ目次へ

快挙!価値ある日本百名山完登に感動
インターネットを通じて知り合いになったAさんという友人がいます。多忙の身のサラリーマンです。
メールを通しての交友で、まだ1年にも満たないお付き合いですが、心の通じ合う友人という気がしています。関西の山へ来られた折に一度だけお目にかかったことがあります。
Aさんは20才台の息子さんと二人「親子登山隊」と称して日本百名山に挑戦してきました。
8月16日、北海道利尻山へ登ってついに100座すべての登頂を成し遂げました。メールで送っていただいた利尻山頂の写真には、風雨に打たれながらも満ち足り、喜びに溢れた二人の顔が写っていました。その写真を見つめながら、私の胸には熱いものがこみあげ、目頭から涙の溢れるのをとめることが出来ませんでした。

日本百名山を踏破した人は数多くいます。決して珍しいことではありません。
しかしAさん父子はちがうのです。他の踏破者に比べてもその何倍も何十倍も価値ある踏破なのです。
と言いますのは、20才台の息子さんは知的障害を持っているのです。登山と言うのは自分一人の体を処するだけでも大変です。息子さんは脚力もあります。荷物も背負いますが、危険個所への気配り、目に見えないこまごまとした援助、その重圧は簡単には言い表せないものがあると想像します。

100名山踏破も父親自身のためのものではなく、きっと息子さんへの父親としての精一杯の愛情表現なのではないでしょうか。私にはそのように見えます。
縦走など山中宿泊を要する山行は、多くの場合テントを担いでの幕営です。重荷を背負う厳しい山行を選ぶのはどうしてでしょうか。
山小屋に泊まらずに敢えて幕営とする意図は、知的障害のある息子さんへの配慮ではないかと思います。小屋で好奇の目で見られたり、余計な気遣いを強いられたりするのを避けたい。そのための苦労はいとわない。父としての息子さんへの思いやりではないかと私は推測しています。

息子さんからは、100座目の利尻山登頂直後に書いて投函してくださったハガキが届きました。たどたどしい文字ですが、どんな流麗達筆のものより気持ちの伝わってくるものがありました。短い文面ですが、私が100名山を踏破したときより、もっともっと大きな感動を与えてくれました。

お父さんは「障害を持つ息子がいたから100名山を踏破することが出来た」と思っているのではないでしょうか。
息子さんは「お父さんが一緒に登ってくれたから、僕が100名山を踏破できた」と思っているでしょう。

素晴らしい父子に巡り会えた幸せを感じています。