山のエッセイ3025  up-date 2001.09.06. 山エッセイ目次へ

山で出会った青年
この夏の北海道山旅である青年に会いました。

支笏湖畔の恵庭岳へ登ったときでした。関西地方の青年でした。
休憩しながら、趣味を同じくするも旅人同志、ぽつりぽつりと差しさわりのない会話を楽しみました。

青年は6月の中旬に北海道へ来てからもう1ヶ月半になると言います。軽自動車のバンに寝泊まりしながら道内の山を登っているということです。私と1日違いで西クマネシリ山へ登っていたりして話しが弾んできました。青年の目から見ると、60歳台なかばの老人が、一人貧乏山旅をしている姿に“少し毛色の違った爺さん”という興味があったのかも知れません。

「そんなに長期間留守にしていて仕事に支障はないのですか」
私が尋ねました。
「アルバイトで稼いで、お金が溜まるとあっちこっちの山へ出かけています」
という返事だった。
そこには何のためらいも感じないし、それは不思議でも何でもなくて、ごく普通の生きかた、そんなおおらかさが伝わってきます。

「下山したら近くの丸駒温泉に入ろうと思う」と私が言うと、彼は「入浴料が高いのはダメなんです」と言う。 景気よくお金を使ったり、贅沢を求めたり、見栄を張ったりという価値観は青年の中には微塵も見えないのが爽やかだった。

登山人口の多くを占めるという中高年の山登りは、とかくお金をかけることをあまり気にしない向きが多い。高額の登山ツアーに参加したり、服装や持ち物はいかにもお金がかかっているのが感じ取れます。

後刻、札幌市郊外の空沼岳登山口で偶然再会しました。通りかがリの店で買ってきたサクランボを半分分けてあげると大変喜んでくれました。
あのあと、青年は何日くらい北海道を楽しんだだろうか。ふと思い出します。

考えて見れば山登りというのは、日常を離れ、不便を体験するための行為でもあるのです。
この青年のたんたんとした様子を見ていると、反省したり考えたりする点も多くありました。