山のエッセイ3033  up-date 2001.12.06 山エッセイ目次へ

心無い登山愛好者の顰蹙(ひんしゅく)
このホームページで「追想の山」を掲載しています。
過去の山行記録を読み返していると、いろいろなことが思い出されます。残念ながらその中には不愉快なことがらも少なくありません。それが山登りを趣味とし、山を愛する人たちが原因しているときの不愉快さはいっそう重く感じてしまうのです。

これはもう7年も昔の話です。
北陸方面、青海黒姫山へ出かけたときのことです。
金曜日の夜行は混雑するだうろ。そう思って早めに上野駅へ行って列の後ろに並びました。心配なく座席を確保できそうな位置でひと安心です。
ホームはかなり混雑しています。列をつくっている人たち達の横で、新聞紙を大きく広げ、車座になった4人の登山姿の男女が、登山用コンロで煮炊きしながらビールを飲んでいます。かな り早くから来ているのでしょう。人目を憚る風もなく、人々の通行するホームの真ん中、公共の場を占領して酒盛りをする無神経さ、傍若ぶりは目に余りました。それも学生風情ならまだしも、50台も半ばの男や45才前後の女、いずれも分別ある年代をとうに越えた人達です。

列車の入線が近づくと、列の前の方はいつのまにか私が並んだ時よりだいぶ人数が増えています。「待たしてごめん」なんて言いながら仲間のところへ合流している人もかなりいます。いわいゆる割り込みです。

苦々しさはさらにつづきます。
列車が入線して人々が乗り込みます。たちまち座席は埋まって行きます。私も空いた席を探して奥へ入って行きました。座席を回転させて向かい合わせにした席が、通路を挟んで左右にありますが、一方には大きなザックをでんと置いて1人が座っているだけ。『空 いていますか』と尋ねると、『来る』という。もう一方も3人とザック、 やはり『来る』という。つまり4人で8席を確保しているわけです。4人はホームで酒盛りをしていたグループでした。仲間が8人もいたのだろうか。
しかたなく奥へ進んで、ようやく席を一つ見つけることができました。あの並び具合だったらゆうゆうと座蹄が確保できるはすだったのに、一体どう したことだろう。
座席を取れずに立ったままの人が増えて行く。例のグループのところで、何人もの人が声をかけるが、空いていないといわれて通り過ぎて行きます。どうも納得できない気持ちで、じっとその成り行きを観察していました。
そんな状態で15分か20分も過ぎたでしょうか。4席を一人でがんばっていた50才台の男が 『来ないようだから』と言って席を立ち上がり、3人の仲間の方の席へ移動しました。たまたま近くに立っていた客4人が座りました。

私は怒り心頭に発する思いをぐっと堪えました。あわよくば4人用の座席を2人で占領して、足を延ばして行こうと思っていたのに違いありません。立ち客が通路いっぱいになってきてさすがの鉄皮面も観念したのでしょう。
同し登山者としてその公徳心のなさに、怒りを通り越して情けなくなってしまいました。よしんば後から来る仲間の為に席を取っていたのだとしても、これとても許せる行為ではありません。
結局彼らの心得ちがいにより、長いこと列に並んで、正当に席につけるはずだった何人かは、座席に座れず立ったままの夜行列車になってしまったのです。
大勢の乗客の面前で、ことの次第を暴露してその非常識な行為を非難してやろうかと思ったのですが、そんなことでイヤな気分が尾を引き、せっかくの山行を台無しにしたくなかったので、喉まで出かかった声を飲みました。

「雪山賛歌」という歌があります。その中に「俺たちゃ街には住めないからに〜」という歌詞があります。
社会の中に協調して暮らすマナー、常識、分別のないことを歌っているのではないでしょうが、“山家=やまや”と言われる人の中に、常識外の行動をとる人間がいるのも事実だと感じることがあります。