山のエッセイ3037  up-date 2002.01.08 山エッセイ目次へ

 

私の山歩きの原点
昔の登山記録を読み返していたら、こんなことが書いてありました。


【抜粋】 今年になって登った日本百名山はまだ筑波山だけ。追い立てられるような焦燥感で落ち着かない。
癌・人工肛門の衝撃から立ち直るきっかけとなった日本百名山への挑戦だったが、半分ほど登り終わった時点で、登山が癌との戦いという意識は薄くなって、山歩きそのものが心を満たす趣味に変ってきた。
登山関係の書物に目を通していると、心誘われて登りたい山が次から次へと増えていく。このように百名山だけにこだわっていると、登りたい山に行く時間がなくなってしまう。少し百名山にこだわり過ぎだろうか。そんな疑念に襲われる。
50座近く登った今、この挑戦を放棄するなんていうことも無理だし、そんな気もない。
出来たら早く百名山を登り終わって、いろいろな山へ登ってみたい。
その道に入りこむと、猪突猛進一直線。終点まで行き着かないととまらない、それが私の性格である。

癌と戦う私にとっては、日本百名山は大きな大きな目標でした。
これを達成することが癌に勝利することという気負いもありました。
忙しいサラリーマン勤務のかたわら、正味3年で100座を踏破したわけですから、その思い入れは相当なものがあったようです。
まさに百名山一辺倒に見えた当時の状況の中で、こんな気持ちを抱いていたのだなあと、改めて知った気がします。
踏破することにどういう意味があるかとかいうような難しいことは関係なかったように思います。一つ言えることは、日本百名山踏破が、その後の私を山から離れられないものにした、言ってみれば登山の原点のようなものであるということは間違いことです.