山のエッセイ3038  up-date 2002.01.16 山エッセイ目次へ

登山とマラソン
登山の話からそれてしまいますが、マラソンのことを少し書いてみます。

1986年、直腸癌手術、人工肛門となりました。もうフルマラソンを走ることはありえないと思っていました。それなのに見舞に来てくれたマラソン仲間と「いつかまたフルマラソンを走ります」と、あてのない約束をしてしまいました。

その後も軽いジョギングはつづけていましたが、それは登山のための体力作りが狙いでした。
日本百名山を踏破して、一区切りついたとき、この約束を果たそうと考えました。そう思ったのは手術から6年後の1992年のことです。
早朝トレーニングを始めました。12月には月間300キロ近く走りこみました。このころ私にとって登山はなくてはならない存在になっていました。その登山を脇に置いてのトレーニングです。登山ができない欲求不満が募ります。もっと時間があれば、登山もマラソントレーニングも出来るのに・・・時間が欲しい、時間が欲しい、このときほど自分の時間が欲しいと思ったことはありません。

翌春(1993年)、青梅マラソンでトレーニングの成果を確認(2時間35分)、そして3月、4月とフルマラソンに挑戦しました。 佐倉マラソン4時間10分 掛川マラソン4時間14分 いずれも35キロ過ぎてから歩いてしまい、目標の4時間は成りませんでした。
好きな登山も、この4、5ヶ月は毎月小さな山を一つ登る程度で我慢しましたが、それでも到底十分とは言えない練習量でした。
不満はありますが、ゴールまでたどり着いたことは確かです。これで約束が果たせたと思いました。
今度こそ『もうフルマラソンに挑戦することは100パーセントない』と思っていました。
ところがふたたびその気にさせる出来ごとがあったのです。

手術前、私がマラソンにのめりこんでいたころ、トレーニングで繰り返し走った千曲川沿いのサイクリングロードが、冬季オリンピックを記念して開催されるようになった長野マラソンのコースになっているのです。私の汗がどれほど染みこんでいるかしれない、懐かしい懐かしいコースです。 もう一度あの道を走ったみたい。完走できなくてもいいから走ってみたい。 そんな思いにかりたてられて、いまトレーニングをはじめています。

登山がすべて、マラソンは息抜きの付録か山歩きのための鍛錬程度に思っていたのに、体中でマラソンの虫が騒いでいます。やはり私にはマラソンは大切な存在だったのです。
フルマラソンは、正真正銘、これが最後になると思います。制限時間5時間内の完走見こみは1%あるかないか、その1%に向けて頑張ってみたいと思っているのです。
毎月登山は途切れないようにしますが、しばらくは山とは疎遠になりますが仕方ありません。