山のエッセイ3042  up-date 2002.02.25 山エッセイ目次へ

山、高きが故に・・・
山、高きが故に・・・・とくれば、次のフレーズは「貴とからず」ですね。

奈良へ転居した当時、近間の山はどこへ行っても杉植林で覆われた山ばかりが目につきました。
高い山が少ないので、山頂付近まで植林が可能という事情もあるのかもしれません。林床に日差しの届かない、あのじめっとした陰気さはどうしても好きになれないのです。

奈良へ転居後、しばらくして大峰釈迦ケ岳へ登りました。標高は1800メートルで中級山岳の資格を持つ西日本では第1級の山岳と言えます。久しぶりに見る落葉樹林の山でした。好きなブナの高木も堂々と幅をきかせて茂っています。山全体が明るい雰囲気に包まれ「山はこれでなくちゃ」という気分になったものです。さらに登って行くと樹高は低くなり、針葉樹や低潅木が目に付くようになって、中級山岳の気配が濃くなってきました。懐かしさに似た感情がそこはかとなく私を包んでくれます。
一歩一歩山頂へと近づいて行きます。「山へ来たなあ」ということを実感、
『やはり登山をする山には、ある程度の高さがあった方がいい』
同じ1000メートルの山でも、北海道では中部山岳の高山に相当するし、東北では高山植物も群生しています。一方九州の山には亜熱帯を思わす照葉樹林が繁茂しています。

また高い山だからと言って、山頂まで自分の足で歩く高度差が大きいとも限りません。高いだけが能ではないのは承知していますが、やはり高い山の魅力には惹かれます。
そもそも登山と言うのは、より高いところへ到達したいという欲望から始ったものではないかと想像するのです。もちろんパイオニア的な山登りが、一般の登山者が出来るはずはありませんが、力に応じた高みへ登り、そこでしか見られない展望を楽しむ。 高山植物を無性に見たくなることがある。でも近畿地方でそうした欲望を満たしてくれる山はきわめて数が少ない。それを淋しく感じるときがあります。

貴賎は別にして、やはり高さというのは魅了するものがあるのは否めません。