山のエッセイ3047  up-date 2002.05.017 山エッセイ目次へ

単独行者の二つのタイプ
山小屋へ泊まったりしたとき、単独行者の面白いことに気づきます。

同じような毎日を繰り返す日常を離れて山へ入り、気持ちも昂揚し、テンションが高まるのは自然なことです。いつにない自分が現れたりします。だからそれは本来のその人の姿ではないのかもしれませんが、二つのタイプが目に付きます。

一つは物静かなタイプ。
ひっそりと山小屋の隅っこに座を占めて、何をするでもなく寝転がって地図や本を眺めたりしている人がいます。自分ら隣の人に語りかけることもありません。要するにそこに居るだけで満ち足りている風にも見ます。
きっと山へ登る、山を歩くという行為だけで充分なんだと思います。そして中には挨拶の言葉をかけても、まともな返事が返って来ないなんていうこともあります。一見社会生活不適合の偏屈者にも見えますが、あるいは自分の存在を極力抑えこんで、自然の一部に同化しようとしている控えめな態度ということかもしれません。

もう一つはやたらと自己存在を強調するタイプ。
相手の気持ちなど関係なし、だれかれ構わずつかまえては話しかける人がいます。
高まったテンションのはけ口が必要なのかもしれません。でも話していることは、得てして自分の山行歴の自慢だったりすることが多いようです。聞くともなく聞いていると、ものすごい登山家を想像してしまいます。それに頼まれもしないのに、翌日のコースについてあれこれアドバイスしたりして、お節介と思える行為が多いようです。
単独行者は、自分の山行を聞いてもらったり、褒めてもらったりする仲間がないので、山小屋へ泊まったときなどは、絶好の機会なのかもしれません。どちらかと言うと、耳についてちょっと辟易させられることが多いようです。

どっちが良いとか悪いとかではありません。 この中間もあるわけですし、人さまざまということです。さて、単独行の平さんはと言うと、中間から前者寄りの方だと思いますが、人はどう見ているかわかりません。