山のエッセイ3053  up-date 2002.10.08 山エッセイ目次へ

 

ある山のガイド
私はガイドについて山を歩いたことが2回あります。
1度目は3月の八ヶ岳赤岳、2度目はGWの奥明神沢からの前穂高岳でした。いずれも直腸癌手術のあと取り組み始めた登山の初期のころのことです。登山に関してズブの素人でしたから、何でも吸収したいという意欲に燃えていたときです。

あるガイドについてこんなんことがありました。
岳沢から天狗のコルへ雪崩れのデフリを越えながら登っていました。濃霧で20メートル先も定かではありません。ゴォーと腹にひびく音、雪崩です。濃霧で見えませんが100mも離れていないでしょう。不気味さに背筋が凍りつくようです。「ここは雪崩は通らないから」というガイドの言葉を信じて登っていきました。
天狗のコルからアンザイレンして、ローブワークの手ほどきを受けながら、稜線を少し歩いたりしてから岳沢へ下って行く途中、単独の年配者が登ってきました。
「天狗のコルまで登りたいのですが大丈夫でしょうか」と聞いてきました。ガイドと知って頼って来たのかもしれません。
ガイドはぶっきらぼうに「さあ・・・・・」と一言。
お金を取ってガイドするのが仕事、関係ない人にただで教えてなるものか、親切のかけらもない雰囲気でした。(善意に解釈すれば、見ず知らずの人に責任あるアドバイスは出来ないということかもしれません)

それにしてももう少し親切なやり方があるのではないかと思いましたが、私が口出しするわけにはいきませんでした。
山へ入ればガイドは特別な存在です。右も左もわからない登山者など相手にしていられない。そこに横柄さが生ずるスキがあるように見えました。

一般の登山者同志、山で行き会えば情報交換したりして「助け合う」という感情が生じます。ところがいかにも“山屋”という感じのベテランは、語りかけても知らん顔したり、無愛想だったり、ちょっと違う存在と感じさせることがしばしばあります。そこには一流を自負する者の驕りのようなものが見え隠れしているようにも思われます。