山のエッセイ3062  up-date 2003.01.17 山エッセイ目次へ

良い山
“良い山か、そうでない山か”それを言いきるのは大変難しいことです。とにかくそれを判断する基準というものがあるわけではありません。にもかかわらず山の会話の中には「○○山はよかった」とか「××岳はパッとしなかった」なんていう評価が気軽になされています。それにはあまり深い意味はないのでしょうが、その人なりの感性のようなものにもとづいているのだと思います。

“山、高きが故に貴からず”という言葉もあります。山に貴賎はありませんが、富士山や穂高岳は立派な良い山で、我が家の裏山は取るに足らない山という決めこみのあるのも否めません。

さて本題です。
私もできれば“いい山”へ数多く登りたい、常々そう考えています。“△△100名山”というようなものを目標に置いて登るのもそうした理由からです。
でも100名山ばかり登っているわけではありませんし、いつも“いい山”だけに登れるとは限りません。山に登りたい、山を歩きたいという衝動にかられて、選ぶことなく手近な山へ出かけてしまうということも多いのです。そんな登り方をしていますから、たまには登ってみてガッカリすることだってあります。でもそれはそれで山を歩けたということだけで満足感を味わえるものです。

よくよく考えてみると、山を楽しんでいるのか、あるいはただ歩くことだけを楽しんでいるのか、数を消化して喜んでいるのか分からなくなってくることがあります。今年は最低山行日数60日とか70日とかいう抱負がありますが、60日、70日を消化するのが目的なのか、取捨選択した中から思い入れを持った山への山行が60日、70日というのか、それによってかなり中身に差が出てきます。
私の山行はいったい何なんだろう・・・・山でさえあれば何でもいい、ずいぶんと無節操なようですがややその傾向が感じられます。

良い悪いは別にして、最近の我が山行を振りかえってそんなことを感じています。