山のエッセイ3078  up-date 2003.11.29  山のエッセイ目次へ

ある遭難騒ぎ
先日(2003年11月下旬)千葉県の山で起きた遭難騒ぎを、ニュースが大きく伝えていました。詳しい状況はわかりませんが、山の遭難というより『丘』の遭難という気がします。
推測ですが、あれって遭難ですか?都会のビルジャングルで道に迷ったり、子供が原っぱで遊んでいるうちにちょっと帰る方角がわからなくなった。そんなレベルの話ではないんですか。標高がたかだか200メートルや300メートルの山、いくら未熟未経験と言ってもあまりにご粗末、唖然とした話です。

昼なお暗い南洋のジャングルとはちがいます。何時間も歩かなければ人家のある里へ出られないわけでもあるまいに、そう思います。
確かに里山は道標もありませんし、山仕事の道が輻輳していたりして難しい一面のあることは、山をやっている者なら誰でも知っています。それにしても丘に等しい山で大量遭難とは、いくらなんでもという気がします。

頼りになる人を選んで道を探す、連絡を取るために動かす等、取るべき方法はいろいろあったと思うのです。山の中でも、わずか50メートルも場所を移動すれば携帯電話が通じるということがけっこうあります。

リーダーはインタビューに答えて「私の取った対応は間違っていなかった」とうそぶいていました。「反省すべき点があった」とは言っていません。自信過剰のこのリーダーはもちろん最低レベル、資格失格ですが、参加者30名はいったい何をしていたのでしょうか。ただ引率されてあとをついて歩くだけの幼稚園の遠足同様。30人もいて、誰一人この道は違うのじゃないのと言う者もいない。金魚の糞のようにぞろぞろあとをついて歩くことしかしないために、いつまでたっても山歩きのノウハウも身につかない。
それに小中学校の集団登山でもあるまいに、どうして30名というような大人数が群れて歩かなくてはならないのか。それも気になります。

よく「単独行」は危険と言いますが、こんなメンバーでは何十人いても単独行よりよほど始末が悪いのです。
単独行を奨励するわけではありませんが、ふだんから単独行をしている登山者は、すべてが自己責任です。事前準備、行動中の注意力・判断力、頼りは自分だけという緊張感。その結果が山登りの力を鍛えるということが言えます。
とかく批判されがちな単独行ですが、こんなメンバーよりははるかに安全です。このようなことがあるから中高年登山者がまた色眼鏡で見られてしまいます。
(2003.11.29記)