山のエッセイ3083  up-date 2004.08.31  山のエッセイ目次へ

山の道標
登山をはじめたころ、コースには“道標”があるのがあたり前と思っていました。事実日本百名山に登りたくて私が登山を始めた当初、どの山にも迷わないように道標が完備していました。地図がなければ歩けないような日本百名山は一つもなかったように思います。
道標を設置するのは地元市町村のほか、営林署や山岳会などいろいろのようです。おかげで山歩きを趣味としている私たちは安心して知らない山でも歩くことができます。

しかし長年山を歩いていると必ずしもそのような山ばかりではないことがわかってきました。5万分の一、あるいは2万5千分の一地形図だけが頼りで歩くこともしばしばありました。
以前は道標も不充分だった山にも、近年登山人口の増加に伴ってか、次第に道標の整備、登山道の整備が進んできたようです。

以前白峰三山を縦走したとき、間ノ岳周辺で岩にコースを示す赤ペンキの印が、これでもかこれでもかというくらいたくさんつけられていて、いくらなんでもこれは行きすぎではないかと思ったことがあります。広い岩石帯で濃霧のときなど確かに注意を要するところですが、ものには程度というものがあると感じたのを思い出します。

私がいちばんありがたいと思うのは、山の中よりむしろ登山口へのアプローチの道標です。
ある地方の無名に近い山へ出かけます。地元の人に××岳の登山口は?と尋ねても、首をかしげて答えが返ってこないケースがままあります。ましてや始めてそこを訪れた者にとってはうろうろするのがあたり前です。日本300名山や一等三角点百名山をやっているとき、登山口に無事たどり着けると、それでもう80パーセントは登頂したも同然という気がしたものです。

道標や登山道の整備が完璧すぎるために飽き足らなさを感じて藪山などを楽しむ登山者も多いようです。北海道にカムイエクウチカウシ山という山があります。小さな道標一つない山ですが、登ったあとの満足感は一入でした。