山のエッセイ3090  up-date 2005.05.02 山のエッセイ目次へ

いつまでも『秘峰』のままではいられない
山登りを趣味とする人々は『秘峰』ということばをよく使います。広辞苑を引くと秘宝、秘方などがありますが、秘峰という言葉は載っていません。つまり業界用語のように特別な表現、造語ということでしょう。

ところで私の好きな山の中に、奥信濃の堂津岳(1927m)という山があります。登山道がないために残雪期に雪の上を歩いて山頂に達するしか方法はありません。信州百名山を踏破したくて11年前のGW、単独でチャレンジしました。当時堂津岳登山に関する資料は手を尽くしても見つからず、私にとってはまさに冒険的登山でした。そんな山ですから当時登る人はごくわずか、足跡もなければ目印の赤布なども皆無、地図とコンパスだけを頼りにしてどうやら登ることができました。
知名度もなく、登山者の姿もごく稀、人の手垢のついていない隠された山、まさしく『秘峰』にふさわしい山でした。

あれから11年、先日再度堂津岳へ登ってきました。勿論いまだに登山道はありません。それにもかかわらず何人の登山者に出あったことでしょう。残雪の上には靴跡が残り、天気さえよければ地図もコンパスも持たずに登頂が出来てしまいます。
まったく情報がないまま未知の世界へ足を踏み入れる緊張感、覚悟のようなものを持って挑んだ山も、今では書籍やインターネットを通してこと細かな資料がいくらでも手に入ります。ひるんだりすることなく気軽に残雪登山を楽しむ山に変わってしまったのです。

日本300名山の毛勝山、佐武流山、猿ケ馬場山、カムイエクウチカウシなども同様、中には登山道が新たに拓かれたものもあります。

心の隅に「大切な秘峰、堂津岳」として抱いていた誇りのようなものは、もう意味がなくなったことを感じています。秘峰もいつかはポピュラーな山になってしまうのです。