山のエッセイ3094  up-date 2005.09.27 山のエッセイ目次へ

少女の日本百名山踏破
昨今さまざまな「百名山」が山好きの人々の間であふれています。
日本百名山、花の百名山、一等三角点百名山、北海道百名山、東北百名山、新日本百名山、信州百名山、東北、関東、近畿。四国・・・・etc.
百名山の元祖は深田久弥氏による「日本百名山」です。これが世に出たのは昭和39年(1964年)ですから41年ほど前のことです。私が日本百名山を目標にして登り始めた昭和62年(1987年)ころ、これを全部踏破したという人が山岳雑誌に大きく取り上げられたものです。全部登るということは大変な事業だったわけです。

先日小学校6年生の少女がこの日本百名山全山を踏破したというニュースに接し、大変感動しました。
私が日本百名山を登り始めたのは、余命も定かでない直腸ガン手術から1年半ほどたったとき、それは姿を変えたガンとの闘いでもありました。日本百名山に対する私の思い入れは特別のものがあります。厳しい状況のガンを克服したのも日本百名山あってこそという気がしています。日本百名山挑戦の初期、武尊山へ登ったときの記録には次のようなことが書いてあります。

梅雨、雨がしとしとと降り続く。今日もまた雨になってしまった。山深い武尊山への山中は、歩いても歩いても人っ子一人会わない。濃い霧が絶え間なく去来して視界をさえぎっている。 コースには背を越す熊笹が茂って登山道のわかりにくい。不安、心細さに襲われる。雨の止む気配もない。ここで引き返そう、そんな弱音が脳裏をかすめる。 (中略) あのとき諦めずに頑張って頂上を踏んでよ来てよかった。 体内にまだ巣食って次の標的を狙っているかも知れない癌巣に、強力ミサイルをまた一発食らわしてやったような勝利の快感があった。

まさしく私の日本百名山挑戦は「姿を変えた癌との戦い」であり、途中あきらめて引き返すのは、癌との戦いに白旗を掲げたも同然という思いがあった。

私の胸の中ではいかなる百名山も、あるいは日本300名山も、深田久弥氏の「日本百名山」を凌駕することはありえません。登山はもとより、その後の再出発人生の原点そのものでもあるわけです。

思いは違っても少女のひたむきさが私にははっきりと伝わってきます。汗せずには決して手に入れることの出来ない珠玉の至宝を得たにちがいありません。
私自身の体験に重ね合わせてこころから祝福せずにはいられません。