山のエッセイ3095  up-date 2005.11.03 山のエッセイ目次へ

どうしても気になる山を汚す行為
このエッセイで同じことを書くのはこれで4回目です。くどいようですがどうしても気になって仕方がないのです。

写真は女神山のもの、鳥屋山も同じ作りです
先月(2005年10月)福島県の山を何日か歩いてきました。そこで桑折町の女神山と、西会津町の鳥屋山(それぞれ一等三角点のある山です)の山頂で写真のような私製プレートを見ました。2座とも600メートル弱のごく低山でピクニック気分で登れます。

山頂には地元で設置した立派な標柱が立っています。そこに私製のものが一つ、それも最近のものです。アクリル板に「女神山 599.4m S・H・C 氏名」と彫りこむという手の込んだものです。その道の職人でないと作れない代物です。
鳥屋山の場合は、女神山よりさらに立派で大きな地元設置の山頂表示板が立っていました。

ところでこれを設置した人物は何を考えて、このような私製のものを持ち上げたのでしょうか。その目的を是非聞いてみたいものです。
S・H・Cと言えば「はは〜ん、あれか」と、山を歩く人なら知る人も多いハイキング団体、ときには何十人という団体登山で、他のハイカーに迷惑を及ぼすこともあるあの集団登山隊です。
その団体がこんな行為を奨励しているとは思いませんが、S・H・Cという名前を使ってこのような顰蹙行為をしている会員がいることを承知しているのでしようか。

600メートルにも満たない山へ登って「オレは女神山をついに征服したゾー」と世間に知ってもらいたいのでしょうか。少なくとも私たち登山愛好家にとっては、このような行為はただ山を汚すだけ、何の益も認められません。
このような無用な代物を登る先々の山頂に残されたのではたまったものではありません。どうしてもやりたいのなら、どこが山頂かわからないような、誰も登らない藪山などで、何の表示もないその山頂にボランティア精神でそれなりのものを担ぎあげて設置したらどうでしょう。これなら立派な行為と褒められてもいいと思います。

それにしてもいったいどのような神経の持ち主か知りませんが、似たようなことをしているケースはこの人だけではありません。私は飴の包み紙一つ山には落として来ないように心がけているつもりです。登山愛好家の一人として、どうかこうした顰蹙行為は慎むよう願いたいものです。

これでも財産権があるのかもしれませんので壊して捨てるわけにはいきません。山頂から少し離れた人目につかない藪の中へ移動しておきました。