山のエッセイ3096  up-date 2005.12.19 山のエッセイ目次へ

夜行日帰り
最近耳にしなくなった言葉に「夜行日帰り」という登山用語があります。
夜行日帰りというのは前日の夜行で発ち、翌日山へ登って帰るという山行スタイルです。

30年、40年前はマイカーを持っているような人はごくわずか、それに高速道路も新幹線もこれからという時代です。当時、今では大半が消えてしまった『夜行列車』というのが数多くありました。私も東京から信州辰野へ帰るのによく利用したものです。

たとえば新宿駅を夜中の列車で発ち、翌日小淵沢、茅野方面へ。八ケ岳や霧ケ峰、蓼科山などを登り、その日のうちに帰京すするというものです。週休2日制など考えられなかった時代てす。土曜日の夕方になると新宿駅のホームは登山姿の若者で大変賑わいました。

新宿から茅野まで夜行で5時間以上かかったのではないでしょうか。汽車の座席だって今のような良質なものではありません。背もたれも硬い木製、リクライニングなんてとんでもない。トンネルに入ると石炭を焚く煙にむせたりして、よほどの豪傑でないとぐっすり眠るなんて無理な話。それでも若者たちは夜行列車で山へ山へと向かいました。
ですから一つ山へ登るのも大変なことです。それだけに山へ寄せる思いも今とは比べ物ならないほど深く大きかったように思います。深田久弥をはじめ当時の山岳書を読むとそれがよく伝わってきます。

私も何度か夜行列車の山を記憶しています。東京在住の独身時代、大菩薩峠や尾瀬や越後駒ケ岳などを思い出します。発車するまで喧騒のつづいた車内もやがて静かになり、ゴツンゴツンと鉄路に響く硬い音を耳にし、人影のない寂寥とした駅のただずまいに心をとらわれ、車窓に流れる遠い民家の灯をぼんやりと眺める夜汽車。登山を控えた緊張とも重なり、ただの夜行列車とは異なる郷愁に似た特別な思いに耽りながら、何時間かを過ごした車中も、決して辛いだけの思い出ではありません。
そして前夜の寝不足と登山の疲労で、帰りの車内は睡魔に襲われた人たちの満足げな寝顔が並んでいたものです。
マイカー、高速道路と便利になった今、おおかたの夜行列車は消え去ってしまいました。なくなってみてあの夜行日帰りの味わいを無性に懐かしく思い出します。

速いことがいいことだ、それが今の時代。のろのろ走る夜行列車という悪条件で、さぞ過酷を余儀なくされていたようにも見えますが、ほんとうはそれはゆったりとした時間だったような気もします。夜行列車の消えたのと一緒に、そんなゆったりとした時間も見失ってしまったのかもしれません。