山のエッセイ3099  up-date 2006.03.13 山のエッセイ目次へ

山へのこだわりかた
○○百名山とか標高上位百山とかを目標にして山登りを楽しむ人はたくさんいます。私もその一人です。

ところで深田久弥の日本百名山を目標にしている人の中で、その著書「日本百名山」を熟読して、なぜ選ばたれのかその背景、山にまつわる歴史・故事などを頭に入れて登っている人はどのくらいあるでしょうか。
ただ山名リストとガイドブックだけを頼りにして登っている人も少なからずあるように思います。
私の場合、日本百名山にこだわって山を登りはじめたのは直腸ガンの手術後のことでほぼ20年前、当時は専門のガイドブックなどは皆無、深田氏の著書のみが頼りでしたが中身はガイドブックではありません。でもその結果として選ばれた山にまつわるさまざまな事がらを熟読、頭に入れて登ることができました。

その次に目標とした信州百名山、さらに次の目標一等三角点百名山も、選定者清水栄一氏の克明な著書や、一等三角点研究会の著書を読みながら一つ一つ登っていきました。

標高上位百座というようなものは単なる物理的な選定基準ですから、選定の背景を云々する余地はありませんが、たとえば田中澄江氏の「花の百名山」というようなものは、ただ登ったから意味があるというものではなく、氏が登ったときに出会った花々の時期に登ってこそ意味があるように思います。田中氏の著書は私も読んでいますが、掲載されている花の時期に合わせて登ることは大変困難です。花の時期は合致しませんが数えてみたら87座登っているものの、時期を合わせることはできないという理由で、花の百名山を目標にしようとは思いません。

日本300名山も登り終わっていますが、これについては日本山岳会から山名一覧を取り寄せただけで、各々の山にまつわる選定理由等はまったくわかりません。ですからこれを踏破することの意味や値打ちがもう一つ希薄で、『俺は日本300名山を踏破した』と大声で言うにははばかるものを感じます。登り終わった関東百名山、山梨百名山なども同様です。

最近では他人の選んだ山ではなく、自分の足と目で知られざる山を探り歩く楽しみを求めるように変化してきたのを感じています。

ただし、私は山歩きをどのように楽しもうとそれは人それぞれの考え方であって、どれ一つ否定はしません。100人が100通りの楽しみ方をすればいい、そういう考えかたです。