山のエッセイ3100  up-date 2006.04.27 山のエッセイ目次へ

悪いのは登山者?
独断と偏見に満ちたこのエッセイも100号となりました。今回は100にちなんで百名山に関する話です。

長野県の地元紙によると「日本百名山は植生などの環境が大きくそこなわれている」ということです。今さら地元紙が取り上げるまでもなく、自然保護団体などからそうした危惧の声は以前からありました。中部森林管理局管内にある長野・富山・岐阜・愛知の38座については、臨時指導員を雇って指導巡視にあたることを決めたそうです。

私が荒廃を通り越して“破壊”を強く感じのは瑞牆山です。最初に登ったのは1988年でした。日本百名山を完登するとちょっとした話題になるような時期で、百名山ブーム以前のことです。次に登ったのはそれから12年後、このとき登山道のあまりの荒廃ぶりに目をむくほど驚きました。たった12年という短期間にです。まさに日本百名山人気がウナギ昇り、それに合わせるように荒れていったのだと思います。

どんなに気をつけていても、登山者が固い靴で柔らかな土の上を歩けばそれだけで山は荒れます。完全に無傷にするには入山禁止しか手はないと思いますが、それはあまりにも短絡的思慮というもの、要は登山者が『山へのやさしさ』を持てば、今よりずっと山の傷みは軽くてすむと思います。決められた歩道の外へはみだして歩かない。アメの包み紙一つでも捨ててこない。先の尖ったストック使用は極力慎む・・・・。小さなやさしさの積みかさねしかないのです。

確かに登山者が原因している割合は大です。しかしもっとひどいと思うのはアマチュアカメラマンです。よりよい撮影ポイントを求めてお花畑や湿原の中など立ち入り禁止区域でも平気で入って行く。基本的には彼らは登山者ではないために、山のマナーも身につけていない人がけっこう多いのだと推測します。

これも日本百名山丹沢山塊の一峰塔ノ岳についてですが、通称バカ尾根と呼ばれる最後の登りは登山道が無惨に荒れ果ててしまい、結局公園のような無粋な長い長い階段になってしまいました。日本百名山がそんな憂き目に遭わないよう、山を愛する私たち登山者もこれまで以上に心して『山に登らせてもらう』という謙虚さで山へ向かいたいと思います。