山のエッセイ3112 up-date 2011.10.15 山のエッセイ目次へ
寡聞にして“新日本百名山”なるものの存在を、先日始めて知りました。 日本百名山といえば“深田久弥選定の日本百名山”が周知のとおり。当然のことながら数多い中から選び抜かれた『秀でた山』ばかり、『名山』の名に恥じない山々です。『百名山』の名を冠するからには、選定の基準も明確で納得的でなければなりません。 ところがです、時代は移り山へ寄せる思いも変化しているかもしれませんが、岩崎元郎氏の『新日本百名山』はと言いますと、胸を張って『これぞ我輩の選んだ日本百名山』といえるのか。はなはだ疑念がつきまといます。 百名山というからには、多くの人々が秀でた山として納得のいく日本の名山であることが要件のはずです。その観点に立てばおよそ百の“名山”と呼ぶにふさわしい山々が選定されたとは受け止められません。これぞ新しい日本の百名山と胸を張る様に大きな抵抗と名状しがたき僭越を感じざるを得ません。 彼は日本屈指の登山家であることはまぎれもない事実です。でもなぜ敢えて『百名山』と冠したのでしょうか。わかりません。 2005年1月2日付ネット(http://www.bayfm.co.jp/flint/20050102.html#top)で次のようなインタビュー記事を見つけました。新日本百名山選定について彼が語っています。
つ つまりこれを読むと『名山』を選んでいるわけではない。そしてある意味百名山指向を否定的に捉えているにもかかわらず、自らは『百名山』と謳っている不整合性もおかしい。この百座を現代の日本の百名山として目標にかかげ、登っている人にはお気の毒でさえあります。 |