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し ご き(2013.03.29)

日本百名山志向に代表される中高年の登山ブームまっただ中。登山、ハイキングなどに関する書籍雑誌などが、書店の書架を賑わしています。
かなり前のことですが、「大学山岳部への入部希望者がいなくなってきた」という話題がありました。それは山岳部の人気がなくなってきたということです。理由はいろいろあるのだと思います。

たとえばしんどい。汗水流し、何が面白くてあんな苦労をしなければならないのか、あるいはほかに楽しいことはいくらでもある。おれはまっぴらゴメン。娯楽の多様化など、価値観の変化、世の中の流れとうこともあるでしょう。 

私だって若いころは登山など爪の先ほどの関心もありませんでした。第一経済的にそんな余裕はありませんでした。昔の登山家というのは概ねブルジョア階級、ある意味で贅沢な趣味、山案内人を雇い、荷物を背負ってもらい、山を歩いたというその様子は、深田久弥をはじめ、往時の登山家小暮理太郎などの書を読むとよくわかります。 

登山部が敬遠される理由のもう一つは『しごき』。
最近、指導に名を借りたスポーツ界の暴力行為が問題になっています。数十年前の登山部はまさにしごき道場、新入部員を訓練と称して何十キロという荷物を背負わせ、その後ろには先輩が竹刀などを持って牛馬のように追い立てる。幕営地につくとテント設営、水汲み、食事の準備など先輩の容赦ない恫喝を浴びながら動き回り、休む暇もない。そんな状態も植村直巳の“青春を山にかけて”だったか、読むとよくわかります。私が登山を始めた四半世紀ほど前、登山中にそうした現場を何回か目にして違和感を感じたことを覚えています。 

人間としての尊厳もへったくれもない、まさに常識の通じない閉鎖社会そのもの、やがて人が寄り付かなくなっていったことは当然のことと言えるでしょう。今は、もっと緩やかなワンダーフォーゲルと称する部に人気が移っているようです。

登山は心身鍛錬の効用もありますが、やはり自分の意志で楽しく取り組み、達成感を味わうことにその神髄があるのだと思います。