ご冥福をお祈りします。
12歳の少年が4歳の幼児を殺害するという大変な事件がおきてしまいました。殺された子どもさんのご冥福を祈ると同時にご両親の気持ちを思うと察するに余りあります。
私は犯人が補導されてからの報道を見ていてなんとも言えない気持ちになります。まず、警察の対応の仕方です。事件の起きるまでに幼児が裸にされるとか同じような事件が起きていながら知らせていなかった理由が「犯人が検挙できなくなる恐れがあるから」ということでした。
知らせていれば、地域で防犯に備えることもできたのにという声がでるのも当然だと思いますし。補導をするときの対応も一緒にいた同級生がケアがいるほど精神的ショックを受けてしまうような少年に全く配慮のない対応の仕方をしています。事件を予防しようとか子どもの人権を考えた対応の仕方の全くみられない体質に2重のショックを受けました。
こういう事件でかならず出てくるのが「少年法」の問題です。今回は神戸の事件でそれまで16歳だった法を14歳に引き下げたばかりだけれど、もっと引き下げる必要があるのではないか?というような報道の仕方を今回も多くしています。私はもっと報道しなければならない大切な物が欠けていると思います。
そして、鴻池防災担当相のとんでもない発言です。
最高裁判所が2001年に「最近の少年事件の特徴とその背景」という報告を出しています。それには「その背景には、社会状況や価値観の変化、それに伴う家族や地域の人間関係の希薄化や教育機能の低下などの要因が複雑に絡み合って生じていると思われます。」という中間まとめをしています。わたしは、とても、的を得ていると思います。
京都大学名誉教授で田中昌人先生という発達理論をつくり上げた方が、4歳になれば、「・・・・したいけれども・・・・だからできない」という情緒が芽生えてくるといわれています。
そして4歳の情緒を豊かに迎えるためには、それまでの発達段階を豊かに超えることが必要だといっています。つまり、その年齢でしかできないことができるような環境づくりが必要だといっているのです。
大人や地域、学校、という保護された愛情のもとで、自然に親しみ動物を飼ったり、子ども同志で集団遊びや探検などもする機会をもつこともできるような、時間を持つことはとても大事なことだと思うのです。
子どもの心をどこかで受け止めていたなら、こんな悲劇はなかったかも知れません。
岡山市の教育委員会は教育基本法の改正は賛成。そして、学区の弾力化を進めようとしています。そうなれば、競争教育が進み、子どもどうしの仲間意識やつながりが希薄にるのは目に見えています。同じような事件が2度とおきないように手をつなぎましょう。
南と北の両改札口側のホームと中のホームにエレベーターがつきます。
また、車イスで移動されている方も乗り入れができるよう、道路から両改札口までスロープがつきます。障害者だけでなく、高齢者や乳幼児うを連れた方など多くの方が喜ぶのではないでしょうか。
残念なのは、今外から自由に使うことのできるトイレが駅舎の中に入ってしまい使えなくなります。JRへ意見をお寄せください。
「交通バリアフリー法」で、1日の乗降客が5000人以上の駅はエレベーターなどの取り付けが義務になったためです。近辺では西大寺駅に次いでになります。