セニョール

(2005.03.23)

若きセニョールとの出会い(1997/3/8)
新城島にて(2002/5/2)

未明の午前3時、悪夢で飛び起きた。眠りの深い僕にとってこんな経験は今まで記憶にない。単身赴任中の立川のウィークリーマションのロフトで魘されて起きた。嫌な気持ちがする。現場の疲れかはたまた重度の花粉症のせいか?今日も現場での過酷な労働が待っている。無理やり寝なおした。朝、現場に向かおうとしていた時に、シーカヤックの友人BINIさんから着信記録をうけて携帯電話の青色LEDが明滅していた。すぐにかけなおした。

「あっ、たいちょおー。ニュースみた? え、みてない?実はセニョールが遭難したって」

いきなり目の前が真っ暗になる。 BINIさんもこれから仕事でカンヅメになり直ぐに動ける状況にない。

僕も直ぐ何もできないので、いろいろ調べてわかったことがあったら、メールを入れると答えて、電話を切った。

すぐさま、せいちゃんに電話して、詳しい情報やwebを職場の現場事務所にあるPCに送ってもらうようお願いする。

現場事務所に到着したが、気になって仕事が手につかない。PHSのモバイル通信ができるPCでくびっぴきで情報を集めた。


沖縄タイムス2005年3月24日(木) 朝刊 31面 西表でカヤック3人不明/観光の母娘とガイド

 二十三日午後二時四十分ごろ、竹富町西表島の観光ガイド業者から石垣海上保安部に「シーカヤックで竹富町の新城島下地から西表島に向かっていた観光ガイドから海上保安庁に連絡するよう電話があった」と通報があった。同保安部によると、観光ガイドの本郷雅則さん(37)=竹富町南風見仲=と、観光客の奈切美香さん(39)=横浜市港南区、娘の量子さん(10)の行方が分からなくなっており、航空機や巡視艇で捜索している。二十四日午前零時現在、発見されていない。 同保安部や八重山署の調べでは、三人は二十三日午前九時ごろに新城島下地を出発。新城島と西表島の直線距離は約七キロで、通常なら約三時間で到着するが、三人の行方は分からないままだ。  三人は救命胴衣を着用しているとみられ、長さ約五・四メートルの一人乗り用と長さ約六・三メートルの二人乗り用の計二隻のグラスファイバー製シーカヤックに分乗。量子さんが本郷さんか美香さんのいずれかと二人乗りし、残る一人が一人乗り用に乗っているとみられる。  三人は二十二日に、西表島から新城島下地にシーカヤックで渡り、一泊した後、西表島に戻るところだった。  第十一管区海上保安本部は航空機四機、巡視艇四隻で新城島を中心に周辺海域を捜索。竹富町総務課は、黒島と西表島東部の消防団に協力を要請し、二十四日早朝から捜索に参加するという。  石垣島気象台によると、二十三日の石垣島地方(石垣市、竹富町)は風が強く、平均風速七―八メートル、最大瞬間風速は午前十時十八分に一九・四メートルを記録。波も高く、午前と午後を通じて、波浪注意報が発令されていた。

 ガイドの本郷さんは日本縦断のキャリアを誇り、「国内でも指折り」と仲間の評価も高い。海上保安庁などによる懸命の捜索は夜通し続けられ、本郷さんの妻や仲間らは三人の無事を信じ、祈った。  本郷さんの妻は「午前中に本人から数回の電話があり、ボートを持つ友人の電話番号などを教えた。救助を求めたかもしれない」と説明。「とにかく海上保安庁からの連絡を待っている」と心配そうに話した。  奈切さん親子が宿泊していた西表島の旅館オーナーは「母親は川でのカヌーの経験があると言い、救命具などの装備も自前で持ってきていた。娘さんはハキハキと礼儀正しくかわいらしい印象。冷たい北風の荒れた天気が続いているので心配だ」と気をもんでいる。  オーナーによると、三人が出発した二十二日は蒸し暑い好天で海はべたなぎだったが、夜になって北風が強まり、激しい雷雨になった。二十三日は朝から風雨が強く、海は大荒れだったという。  本郷さんのホームページによると、本郷さんはシーカヤックで波照間島から北海道まで縦断した経歴を持つ。  シーカヤックツアー業者の中川隆行さん(33)は「本郷さんはおそらく沖縄でナンバーワンのガイド。国内で数本の指に入るだろう」と強調した上で、「朝は天気がとてもよかったので、西表までぎりぎり持つと判断したのではないか。近くの無人島など安全な場所に移動していると信じたい」と祈るように話した。  西表島カヌー組合の前大敏夫組合長によると、同島では約四十業者が営業。西表島から周辺離島へのツアーは夏場に人気が高く、新城島へは年間約一、二万人が渡るという。西表島の消防団・大原分団と豊原分団、黒島の黒島分団は、十二人が参加し二十三日午後七時半ごろから、海岸を歩き三人の行方を捜索した。同日午後十時、視界が悪くなったため捜索活動を打ち切った。石垣海上保安部は船舶四隻とヘリコプター二機で依然捜索中。午後十一時現在、照明弾を上げ、夜を徹して捜索する予定という。


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もう事故発生からほぼ24時間立とうとしている。当時の海況を調べるために、 気象庁のwebで、3/23のデータを収集した。 西表島東部、大原のデータなので、離島のパナリはもっと強いと考えられるが、参考にはなる。明朝激しい雨をおとした北風が一旦午前8時には、風速3m/s位に低下している。 その後、次第に強く吹き始め、午前10時には北北東の風が、平均風速で8m/sにまで到達している。その後、3/24の朝まで北東に向きを変えながら平均風速7m/s前後の風が吹いていた。

南の波照間島の情報でも同様の北風が出発後3時間の3/23の正午には 10m/s前後の北風となりその後、向きを北北東に変えて吹き付けている。 パナリから、北北西にむかって帰ることになるシーカヤックのルートからはほぼ向かい風。しかも、南南西に流されると島影は皆無だ。 情報は平均風速だから突風なら20m/s近い。小型の台風なみで、さえぎるものがない海上で、風上に島影がなく風がつくったうねりをダイレクトに受けたとしたら。。。 とんでもない状況だ。背筋が寒くなる。

能天気な電話をかけてきた、せいちゃんに緊急状態を告げる。その後は、情報をまつのと祈るのを繰り返した。本日未明の悪夢を思い出しどんどん不安になる。 八王子や立川の街をあてもなくさまようが、情報が入るわけもない。モバイルPCを時々チェックしながら、いてもたってもいられなかった。一番詳しいニュースソースの沖縄タイムスが入った。


 沖縄タイムス2005年3月24日(木) 夕刊 5面 高波の中捜索続行/西表3人不明

 竹富町の新城島から西表島に戻る途中で行方不明となっている観光ガイドの本郷雅則さん(37)=竹富町南風見仲=ら三人について、第十一管区海上保安本部や八重山署は二十四日午前も付近海域の捜索を続けている。前日からの強風の影響を考慮し、捜索範囲を広げているが、午後一時現在、行方は分かっていない。地元消防団も捜索に乗り出しているが、海上はしけており、関係者らの表情は険しい。 行方不明になっているのは、本郷さんと横浜市から訪れた観光客の奈切美香さん(39)と娘の量子さん(10)。

 十一管は巡視船艇四隻と航空機四機を派遣し、付近海域の捜索を継続。前日から吹いている北寄りの風が強いことから、強風で三人が乗ったシーカヤックが南に流されている可能性が高いとみて、波照間島の南側まで捜索範囲を広げ、行方を探している。  十一管の職員がシーカヤックが出発した新城島下地に上陸し、海岸付近などを捜索したが三人の姿はなく、持ち物なども発見できなかったという。八重山署は午前七時から警備艇を出し、前日に引き続き新城島と西表島の間の海域を中心に捜索を行っている。  十一管や同署によると、三人は二十三日午前九時ごろ、新城島下地をシーカヤックで出発し、西表島に向かっていたとみられる。しかし同日午後二時四十分ごろ、本郷さんから妻に電話があった後、行方が分からなくなっている。

 二艇のシーカヤックに分乗した母娘ら三人が行方不明になってから一夜明けた二十四日午前七時半ごろ、西表島の大原港では、同島消防団が次々と船をチャーターし、海上での捜索に乗り出した。同八時現在、西表島は気温一六度で、北北東の風が強く、海上はしけている。消防団関係者は「小さな船での捜索は無理なので、五トン以上の船を出す。しかし波が高いので厳しい捜索になりそうだ」と、荒れる海を前に表情を険しくした。  捜索しているのは、豊原消防分団と大原消防分団の団員約十人。チャーターした地元の船五隻に、二、三人ずつ乗り込んで海に出た。玉盛広皓豊原分団長は「波照間島と西表島の間を中心に今日は一日見つかるまで捜索する」と話した。  大原港とは反対側にある島の西部からも、地元のマリンレジャー関係者らが応援に駆けつけた。  島の西部に住む男性(43)は、捜索船のアシストとして乗り込んだ。「今日は波が高く西部から船は出せない。昨日もだいぶ海がしけており、地元の遊覧船も運航を見合わせたほどだったのに、どうしてカヌーを出したのか。無事に戻ってほしい」と話した。  港には本郷雅則さんの友人らも駆けつけ、捜索船が出るのを心配そうに見送った。