べさはや第3話
「調整池という名の墓場」

2002/07/28

3日目(白浜桟橋〜調整池〜有明町菅漁港)

朝からみんな口数が少なかった。 汚れた水の調整池に、漕ぎ出したくないのだ。

水の透明度が10m以上もある南の楽園を漕いでばかりいる シーカヤッカーの野元さんには、入れたパドルがまったく見え ない水に、思い切りモチベーションを下げている。

それでも、白浜桟橋に到着し、フネを下ろし、出発準備をしている と気力が湧いてきた。

干潟の生き物達の慰霊碑に、一礼し、天国の山下弘文さんに 帰ってきましたよーと、決意表明。

山崎さん、時津さん、そして、 干潟観察会の方々、読売新聞の記者さんに見送られて出航。

野元さん&小野ちゃま号、たいちょお&ちゃわんや号、 親分&ウエムラ号のダブル艇3杯の艦隊を組む。

ここのところ続けざまにやってきた台風と豪雨で、調整池の水 は薄められていて、風による攪拌効果や、調整池への海水の 導入も少しは効果があるのだろうか、昨年の「べさはや」に参加 された高野さんや、安藤隊長が言われていた程、強烈な臭いは しないが、とても手を、水に漬ける気には、なれない。

出航して、すぐ、牡蠣殻が折り重なるようにして死んでいる 場所に出くわした。堆積した牡蠣の屍骸は1m以上の層を なすところもある。よく見ると、あたり一面、墓地のような場所 だらけなのに気づいて言葉を失ってしまった。

ジェノサイド(大量殺戮)。あの、ギロチンによって、いったい、 どれだけの生物の命が奪われたのだろう。 もがき苦しんだ生き物たちをに想いを馳せた隊員たちの口から は言葉が出ない。シーカヤックに乗ったまま、牡蠣殻 をひとつひとつ採取した。

北部排水門を目指して東へ。調整池内の干拓地の造成が進み、 陸地化されているのが分かる。 排水門手前で、強烈な向かい風と、ボラの襲来を受けた。

パドルの音に驚いたボラが、検討もつけずに四方八方へ走る ものだから、危なくてしかたがない。透明度ゼロの水質では、ボラ に視界を要求する方が酷というものだ。 危ないなーと思っていたら、一匹が僕たちのカヤックに激突した。

前方から衝撃と水飛沫がやってくる。前部座席のちゃわんやさんは、 調整池の水を思いっきりくらったようだ。

「こいつら、農水省のラジコンボラ爆弾に違いない!  浮き袋とかにガスがつまっとるんよ。たぶん。  しけっていて、爆発せんじゃったけど」

向かい風で飛んでくる飛沫を浴びぬよう、やさしく漕ぐ。 本当は、ぐいぐい漕いですぐにでも、離脱したところなのだが。。。 汚水を口にせぬよう、口を硬く結んで、ただひたすら腕を動かす 辛い時間が過ぎるのを待った。

南北に約7kmにわたって伸びる潮受け堤防の中間に、比較 的なだらかなスロープを見つけた。赤茶色の配水管が見える。

上陸。足を漬けるのが悲しい。 フネを上げて堤防の上に出たらおどろいた。 調整池のドブ色の水と海の青。

海の青さも調整池からの水により透明度が落ちているにも かかわらず、そのコントラストの差から恐ろしく美しいものに 見えてしまう。

潮受け堤防で分けられた光景は、何かに似ていた。 そう、川辺川と球磨川の合流地点の光景そっくりなのだ。 隊員たちの気持ちが、ささくれたものになる。 なんで、こんな酷いことをするのだろう? 理由も答えもわかっているだけに、余計に腹が立った。

調整池にもどり、汚水をポリタンクに汲もうとしたら、ボラが 腹を見せて浮いていた。

調整池に刺さった配水管は、ポンプで、調整池の水をくみ上げ、 海へと落としているものだった。少しでも、調整池の水質を改善 したいのであろう。排水門を開ける開けないで、おおいに揉めた 今も、人の目が届かない場所、南北量排水門から離れた堤防の ど真ん中で、いちばん濁りのはげしい水をくみ上げて海へと捨て ているのだ。

発電機をみるとA重油を使った400kWhのデイーゼルエンジンだ。 無駄なエネルギーを使い、CO2を吐き出し、汚水を海へと、 ばらまいている。しかも2基も。 こんな馬鹿な行為を許していいものか? とっとと、このまがまがしい堤防を越えてしまいたかった。

急峻な堤防を、シーカヤックを担いで有明海側に降りようとしたとき、 堤防の上を一台の車がすっとんできた。 無視していると、中から私服姿の男が降りてきた。 農水局の者だという。名詞をくださいと言うが、答えがない。 文句をいいはじめたので、ビデオを向けると、車の方へ引き返していった。

「ワシが、監視カメラにむかって、ピースサインしたんが、  いけんじゃったかな?」

ちゃわんやさんが、ニコニコ言う。 ありゃま!? それにしちゃあ、来るのが早かったな。

とにかく、権限なんかおそらくないであろう傀儡の木っ端役人に、 何を言ってもしかたがない経験を山のようにしてきた僕は、無視する ことにした。相手をしたくなかったので、シーカヤックの輸送を始めた。

危険な角度で石済みされた斜面を重量のあるダブル艇を担いで 下ろすのは、大変な作業だ。4人がかりで、少しづつ下ろす。

海に浮かべたあと、上をみると、カメラでその様子を撮影していた 野元さんが、さっきの役人につかまって、詰問されている。

ちらちらと見ていると、なんと肩越しにカメラを回しながら、 野元さんが受け答えしているではないか!

これは面白い絵が撮れているな!思わずニヤリ。 上がっていくと、「名前は?」と僕にしつこくまとわりつくので、 その男が手にした紙をのぞくと、横須賀の野本岳(たけし)なんて書 いている。(鹿児島の野元尚巳さんのことじゃろかな?)

その他にも、聞いたこともない苗字ばっかりだったので、 みんな遊んでじょるなーっとニヤリ。その男の顔を見ると反吐が でそうだったので、残りのフネを運ぶ作業に戻る。

と、フネの前に立ちはだかるではないか! こちらが紳士的にやっちょるとだんだん強くでてくる態度に頭が来る。 しかし、体育会系の野元さんや、親分を前に、よく がんばっちょると誉める気もするが、いかにも責任問題になった時の 自分の保身を考えている態度が悲しい。

「明日の新聞よんで!のっちょるけん、(たぶん。。。)」

と言い放つがどこうとしない。そのとき、

「自然ば、破壊しくさって、えーかげんにさらせー、 身分証明もださんと、ははーん、おまえ、右翼やろー!!!」

ちゃわんやさんの啖呵が飛ぶ。本当のことが胸に刺さったのか、 急におとなしくなった。正論は強い!

ぐーの根もでなくなった、お役人に見送られて、海へ漕ぎ出した。

「今度は、連絡して玄関から来てください」

と見送られる。だいぶん態度がかわってきたな。 まあ、ええわ、こんな対応は、かなりエネルギーを使うし、 汚いものに顔を突っ込むようで、後味も悪い。

それでも、あの調整池、木っ端役人の嫌がらせを後に、 大海原に漕ぎ出した開放感が気持ちよかった。

隊員の顔に笑顔が戻ってきた。 サポートの清川さんから海上に電話が入った。堤防の南端に到着したという連絡。

有明町の手前の浜で落ち合うことにする。 そこに行けば冷たく冷えたビールが待っているとわかって、下げ潮、 追い風にのって驚くべきスピードで快調にすすむのであった。

水がどんどん美しくなるのがいい。 この暑さ、やっぱり水をかけあったりして、遊ばないとね。

こんな時は、可愛い女の子が標的と相場が決まっている。 小野ちゃまを、びしょびしょに濡らしつつ、活気の戻った 「べさはや艦隊」は、ビールめがけて邁進するのであった。

その恐るべき速度といったら、ビール休憩のあと、これは、 今日は島原までいける! 清川さーん、キャンプサイト探索お願いね!などとのたまうしまつ。 ところが、とんでも無い落とし穴が待っていた。

まず、野元艇の船足が鈍った。いくら待っても近づいてこないのだ! なにかトラブルか?

ダブル艇を漕ぐと性格の不一致さが増幅されるという。 僕も奥方と何度破局を迎えそうになったことか、、、心配していると、 ようやく、のほほん野元号が大きくなってきた。

なんと、パドルを漕ぐどころか、二人の手にはビールがしっかり 握られているではないか! そのだらしない、いや、幸せそうな顔はどうしたことか!

そう、調整池を越えて、何でも飲めるようになった艦隊の野元&小野 ちゃま号には、キンキンに冷えたエビスビールがてんこもり入った クーラーが、搭載されたていたのだった。

「君達、いかんじゃないかー!」

と怒ろうとするが、笑顔で差出されるビールの魔の手に抗うすべもなし。

調整池を抜け出して天国気分の艦隊には、もう次から次にやって くるビールに、馬鹿のようにヘラヘラ漂う遊覧船となり下げるのであった。

結局、有明町の菅漁港に入港。昨年入港した湯江漁港、 最初の目的地をほんの1kmばかり過ぎただけだった。 先行している清川号を呼び戻す。

港にあがって、さっそく水シャワーが気持ちヨカー。 本日で、お別れになる紅一点のマドンナ小野ちゃまを中心に記念 撮影をして、健闘をたたえるのであった。

サポートの清川さんも本日で、終了。陸の部もたのんます!

夕方、堤防でくつろいでいると、菅漁港近くにすむ、母娘が立ち寄るって くれた。いろいろ話をする。 この娘さんが、また可愛い人で、小野ちゃまを失った一行は新たな マドンナをゲットすべくシーカヤックに誘おうとするが、ここにも、 新しい命が息づいていたので、思いとどまった。 ちゃわんやさんは、メロメロだったが。。。

有明漁協の方々に挨拶に行こうと電話をいれるが、松本組合長 さんは夜に市場にいくため、就寝される直前、松本部長はつかまらず、 橋本さんは研修で不在。ぜひ、生の声をお聞きしたかったのだが、 日程変更があだとなってしまった。

ただ、有明漁協は昨年のように一本にまとまっておらず、組として の対応はできないとのこと。迷惑そうなニュアンスもあったので、 縁がなかったと思って、今回は訪問を止めることにした。

さて、夜は、母娘から教えられた居酒屋へ。 堤防にもどっると、親分とウエムラさんは、そのまま寝てしまった。 二人の上を、フナムシが這いまわっていたが、ほっておくことにした。 さー、明日はいよいよ、海峡(というのか?)横断だ。 明日も暑い1日になりそうだ。