べさはや第5話
「有明海横断!」

2002/07/29

べさはや海の部(第5話)航海2日目後半。

4日目(29日)後半。島原外港〜三角〜水島神社

僕と野元さん、親分とウエムラさんのダブル艇2ハイで、 海峡横断に出発した。11時15分。 目的地の三角は靄にかぶって見えないが、 黒潮街道をシーカヤックで 何度も島渡りされている野元さんからみれば、ナビゲーションは、 それほど、難しいことではない。GPSを利用して、速度や潮の 流れを確認しながらの航海は面白かった。

「15分漕いで、手を休めて水分補給をします」

と野元さんの声。沖縄から鹿児島まで1000kmに渡る旅の途中も、 このインターバル漕法で、漕ぎぬかれていたとのこと。

昨夜、他の隊員たちが、堤防で寝てしまった後、 野元さんから、今までの旅の話を聞いた。 ベーリング海の旅。シーカヤックに乗って4回目で、 スケールの大きい旅に出てしまうなんて、 冒険家の故河野兵市氏との思い出話にも胸を打たれた。

一度、旅してみたいアラスカ〜カナダのインサイド・ パセッジの旅。そして黒潮街道の話。

野元さんとは、初めて、同じフネをパドリングしたが、 この安心感と、一体感はどうだろう。

潮の流れを考えながら、方角を固定し漕いでいたが、 後続の親分とウエムラ号が、どんどん離れて いく。500m以上離れたろうか。。。

こちらのフネについてきてくださいと念をおしておいたのだが。。。 島原外港〜三角間は、フェリーの航路にもなっているし、 有明海を南北に航行する船舶の航路を横切ることになる。

とうとう、2艇の間を他の船舶が分断するようになったので、 慌ててて、合流すべく向きを変えた。

「いやー、すまんすまん。おっきいフネが突っ込んでくる もんだから」

何故か、ぜんぜんすまなくなさそうな、親分の笑顔。 なにかトラブルかと心配したけど、何もなくてよかった。

いっしょになった頃がちょうど、中間地点。 すると、一隻の漁船がこちらに近づいてきた。

「なん、やっとるー!!?」

「いやー、こんにちはー!?」

「そん方向(南東)では潮に流されるぞー。 もっと東、真東へいけえー」

「はあー」

どうやら、心配してわざわざよってきてくれたらしい。 返事を返して、別れた後も、野元さんのナビで南東に 進んでいると、また、引き返してきた。

「なんで、ゆーこときかん!」

とロープを投げて、

「ゆわえつけろー、ひっぱっていっちゃる」

丁寧にお断りして、笑顔で別れるも、こちらを観ている ので、しばらくは、東に向かうフリをする。

漁師さんの海を読む力は確かだが、 シーカヤックを航行能力を過少評価されることがある。 経験のある乗り手のナビゲーション・テクニック、 そして漕力をもってすれば、自然に逆らいさえしなければ、 狙いどおりの航行は可能だ。

「僕を信じてください」

という野元さんの力強いセリフに、 力強く同意して、元に進路を戻す。

予定どおり、どんぴしゃりで、三角西港にゴール。 潮をうまく味方につけて、午後2時を少し回ったところだ。 約3時間ほどで、20km以上の海峡横断してしまった。

到着が、早すぎたのか、ビキニの美女を目を皿のようにして 探したが、見当たらなかった。

三角西港に上陸し、クールダウンのため、海に飛び込んで 浮かんでいたら、陸からビールを抱えた、Ryuさんが 笑いながら出現。

エビスビールを投げてもらい、海上で、ぷふぁ!

しばらくするとちゃわんやさんが現れた。

「なんで、車よりはやいんやー」

ここで、終了するようりは、そろってゴールもいんじゃないか?

「そうね。いっちゃいましょう!」

と、いつも元気な親分。 ここまで、旅してきた仲間だ。あと15KMくらいなら がんばって漕げるのではないか。 3時間位であればいいだろう。

さっきまで、ヘバっていたウエムラさんも回復。 やけっぱちで、いくぞーと雄たけび。 復活したちゃわんやさんと、僕がダブル艇を 漕いで、野元さんがシングル艇に乗り換え、 残りの隊員全員で、海の部ゴールも水島神社を目指す。

大矢野島、戸馳島、維和島に囲まれた内海は、 シーカヤックツーリングするにも楽しいところだ。

瀬戸を抜け、八代海へ。

遠くに八代の港が見える。三ツ島の南島に上陸。 もう、後は少しだからと、親分の音頭でビールが 配られる。 しかし、そこから水島神社までの遠いこと。 後悔したが、後の祭り。

巨大な中州のテトラ堤防をかわすのにヘトヘトに なる。ちょうど、これから上げ潮に変わった ばかりなので、球磨川(南川)の 河口に広がる巨大な干潟に突き上げてしまった。 澪つくしを外したべさはや隊は、干潟の上を、 ビクトリーランよろしく、 夕日を背に、シーカヤックを押して歩く ハメになる。

ようやくフネが浮かぶようになって乗り込んだ。

やっとのことで、水島神社が近づいた。 しかし、ハンガーアウト状態。 もうヘロヘロだー。

Ryuさん、間垣さん、ひらめちゃんが、 お出迎えにきてくれていた。

もうヘバって、へばって、全員動きの 遅いこと。

水島神社に諫早湾の牡蠣殻を奉納して、お神酒( エビスビール)が入ってようやく、みんなの顔に 笑顔が戻った。

やったー、きつかったけど、漕ぎ通した。 みんなで固い握手。

「今晩は、フナムシじゃなく子どもだいて寝るぞー」

と雄たけびをあげるウエムラさんに一同爆笑。

メンバーと別れた後、野元さんと、車を回収して、 ごはんを食べていたら、穂田さんから電話が入った。

慰労の言葉と、フネをどこにあげたのかの問い。 堤防と道路が交わるところですと答えると、

「八代海も干満の差が激しいところです、 最大で5.5mにもなるのです。 ちょっと確認しておきます」

この言葉の通り、一番下に置いていたフネの場所は帰ると 海になっていた。穂田さんが、つり人に手伝ってもらって、 高い位置にあげてくださったおかげで、 夜中にヘッドランプをつけて捜索の航海に出なくて 済んだのだ。穂田さんありがとうございました。

シーカヤックをカートップして、人吉の中川原へ。 温泉につかって、ゆっくりと休んだ。

野元さん、本当にお世話になりました。

(海の部終了)