富士川へ行く(1993 冬)


あとがき

おまけ

やっとのことで逗子駅にたどりついた。
 旅を共にしたヤマトを送りかえすのはなぜか気がすすまず背中にしょってかえってきたのだが、やっぱりこれはそうとうきびしかった。
 疲れ切ったからだをひきずるようにしてやっとここまでたどりついたのだ。
 あとはバスを残すのみ。しかし、これが難関なのだ。

俺が帰ろうとするのは長井方面。詳しく言えば三浦半島の南西部で葉山、佐島の南。ここは電車が通っていない。つまり交通手段はバスかタクシーに限られてしまうのである。逗子駅で電車からおりてそちら方面へむかう人々が度度度っとバスやタクシーのりばに殺到し、どどっ、ばたん、ぶおおおーてなかんじで帰途につくのだ。

予想していた通りバスターミナルは帰宅する学生やサラリーマン、買物帰りのお母さんらが長蛇の列を作っていた。
 しまった!この荷物(ヤマト)は大人三人分ぐらいのスペースをゆうに占領してしまう。どうしよう? とりあえずならんでおこう。
 横須賀市民病院行きのバスがやってきて、人々が乗り込み始めた。バスは人間をどんどん呑み込み、いよいよ俺の番になった。振りかえって後ろの列をみると三人だけだった。バスのなかは充分スペースが空いている。よし!
これなら乗り込んでも大丈夫だろう。おらさ!荷物を抱えて乗り込んだ。

 整理券発券機の横にロープで固定。ドアが閉まりバスが動きだした。
 ふう、やれやれ。よかった。なんとかひとに迷惑をかけ・・!えええっ!?
 つぎの停留所にも長蛇の列が待っているではないか。うげげげっ!
 いるわ、いるわ、30人ぐらいる!

 どこどこ乗り込んでくる。俺の荷物をなんとかかわして、後部座席の方へつめていく人々。あからさまに迷惑そうな表情を俺になげてきやがる。
 あー、申し訳ない。ごめんなさい。

やっとのことで、全員乗車することができたが、両親、男の子二人、女の子ひとりの家族は乗車口のタラップになんとか乗り込めたという状況だ。
 おかあんと目があった。
『すみません』と心のなかでつぶやき、軽く頭を下にかしげた。

次の停留所で女子高生が乗り込んだ。これはタラップ最下段。ひょえー。
 いかん、もういかん!と俺のあせりといたたまれなさは局地に達した、だが、どうやらその後は乗ってくる人はいないようだった。
 しばらく走って、次々と乗客がおりはじめた。
 前方の方にやっと空いたスペースができだした。

 ところが、人の移動がない。ぎゅうぎゅう詰めの状態で前の方が少し、空いたとはいえ、学校や仕事帰りの人々はもう、動くのもしんだいけんね、そのままの状態を享受しているのであった。そのため真ん中から後ろはあいかわらず、すしずめ状態のままで、タラップの家族もそのままであった。

 子供たちは、わずかな隙間でもあちこち動きまわっていた。
 その時、急ブレーキがかかった。
 おかあさん、女の子が前方へつんのめる。
 ぶったおれたおかあさんもひどかったが、

『ゴチン!』

 と、スチールの手すりに顔面をぶち当てた女の子も目もあてられなかった。
 涙目になってしゃくりあげている。
 そのとき、

『すみません!』

 と大きな声が車内にひびいた。

『タラップのところにまだ人がいるんです。前の方につめてくれませんか?』

 一瞬、バスの中がきょとんとした。
 気付くと、知らないうちに手がくちもとにあって、メガホンをつくっていた。
 なんと俺の声である。
 前方の人達がいっせいに振り返える。

『お願いします』

 軽く頭をさげる。

 人を満載した車両は、水を打ったように動きがとまった。
まりかえった車内。無機的なディーゼルエンジンのうねりだけが足に伝わってくる。
 あっちゃー、しもうたー!なにやっててんだ俺は・・・
 と頭をかかえこみそうになる。 と、

 一人、また一人と前の方へ人が動きはじめた。
 おおおおおおー!
 なんということだ。
 5人家族はなんとかふつうのポジションまでたどりつくことができた。
 サル!チンパンジー!とお兄ちゃんや妹にいわれてた小さい方の男の子がオレを不思議そうに見る。ウインクしてかえす。
 目をぱちくりさせる。
 ふー、よかったよかった、これで一安心だ。
 ひと段落して、息をついているとなにやら、人の視線を感じる。
 注意深く、当たりに目をくばると、中年のオヤジやオバさんたちが、目をそらすのがわかった。
 ん?
 なんだなんだ?
 また、ボーっとしてると、チラリチラリとこっちを見る人々がいるようだ。
 いかん。いかんぞ、こりゃあ。
 俺としては、大きな荷物を持ち込んだオレのせいで、あんな状態になったのであるから、ひじょうにしのびないというか、いたたまれないというか、それで、思わず声にだしてしまったと思うのだが、てめえのことを棚において、何をほざいてるんだ・・・というのが、あってヒジョーに恥ずかしいかったのである。こんなことなら、

『こんな大荷物をかかえた、バカヤロウがいうのも恐縮ですが・・・』

 と前おきした方がよかったかなあ?
 と真剣に考え始めてしまった。
 落ち込んでいると、後ろから品の良いおばあさんが

『すみませんね』

 と会釈をしながら通っていった。その顔にはとても温かいものがこめられていたような気がした。思わず照れくさくなってしまった。

 終点の横須賀市民病院に到着。一番最後におりる。
 運転手さんに

『すみませんでした』

 とあやまるとニコニコわらって、

『いいんだ。それなんなの?』

『フネです。カヌーちゅうやつ』

『ふーん。遊びにきたの?』

『いえ、帰ってきたとこなんです』

『そうか、じゃあがんばって帰れよ』

『お世話になりました』

おこられるとものだと思っていたのになー、重い荷物をしょってひょっこらひ

ょっこらあるく。
 そうか、あれでよかったんだな。
 卑屈にでないで、思う通りに言葉にしたのがよかったんだ。
 そうか、そうなんだな。すこし嬉しくなる。
 カヌーでの旅から帰ってくるとこういうことが自然とできるようになるからやめられない。
 おどるように家路につく俺と大荷物をみて道行く人がおどろいていた。

                     ・・・・・・おしまい・・・・


 あとがき

どうも、長い話につきあってくれてありがとう。
この話は、川旅の話としては第2作めにあたります。
第1作目の北海道旅行記をよまれている人は、あれ?と思われるかんもしれんません。あの話から1年以上経過したけれど、この話の中での主人公、つまり僕が、かなりパワーダウンしているのがわかると思います。この時はボロボロになる一歩手前といった状態だったんです。私生活というよりは、仕事や社会のキマリ、キソクといったものに対して絶望的になっていたんです。

世の中の義理やしがらみ、それと僅かの金のために忙しく生きること、自分を殺して生きる(そんなの死んでるのと同じだぜ!)ことに納得できず、折り合いをつけることもできず、ナーバスになっていたんだ。

 この話の中でも触れているけど、社会人になる直前に旅した四万十川やオラオラ隊でくりだした長良川での話よりも、先に完成してしまいました。話の内容や、出来事はおはなしにするようなもんではないんだけどもね・・・、かきあげてしまえたのは何かやっぱりあったんだろうな、やっぱり。

 この話の中で書いた政治家(元金丸副総裁)と土建業者との癒着はその後、明るみにでて、あの現代のピラミッドのような護岸工事の仕組みが公になって一躍脚光を浴びた富士川ですが、僕にとってはそれなりに思い入れのある川です。ひとりで旅をすると小さなことでも心に残るんだね。

『前には太平洋、後ろは富士山、それをのながめとったらな、つらいことや、

 いやなことなんか、どうどもよくなってしまうんだー』

 富士宮駅のホームで出会ったおばあさんの言葉が今でも胸に残る・・・
               1993年9月15日 TOMMYGUN


あとがきのあとがき。

えーと、お待ちかね(誰もまっておらんて?ハイハイええですよ)の第2作をおとどけします。またまた、古い話ごめんなさい。
でも川下りの話というよりはそのアプローチがメインになっていますね。とても、参考にならないし、紀行文と銘打つのは気がひけるなあ。川旅日記でいいです。しかし、この当時でさえ、ボヤキが多いのにはビックリするなあ我ながら。

 今年のゴールデン・ウイークはネパール・カリガンダキ川で川下りができるという幸運に恵まれました。川の凄さもさることながら、いいなあと思ったのは自然の濃さです。夜キャンプをしていると蛍が飛んでくるし、川にはカワセミ・ヤマセミがいたるところにいるし、地元のガキどもは魚を口にくわえて、さらに両手にも掴んで川からあがってくるし...川のあちこちで、浮き上がるガキどもの口に魚のシッポがピチピチ、うーんすげえ、ネパールよあんたは凄い。

 ヒマールの水を集めて川は母なるガンガーへと続く。川旅の途中で何度か葬儀をみました。火葬の後、川へと流すのです。人と川との密着度が高いのが良かったです。修行をしている行者みたいな人もいました。河原で焚き火をやってると地元の人々がやってきてネパーリダンスを踊りはじめました。

伴奏は少女たちの歌声と太鼓。澄んだ声の合唱ではにかみながら踊る彼女たちの幻想的な光景が僕を優しい気持ちにさせてくれたのでした。
 日本では失っていきつつある大切なものがかの地ではまだ光輝いている... そんなふうに感じたんです。そんなネパールも自然保護か開発かというジレンマのまっただ中。大規模ダムの建設や塗装道路の造成、人口増加、過放牧によって、森林が耕地や草原に姿をかえつつあります。エネルギー源は水力にたよららざるをえないし、交通便、食料自給を考えるといたしかたないのかもしれないけど、日本と同じ路をたどらないことをせつに願います。伝統・文化が開発・文明にないがしろにされていくのは...やはり...
 さて、僕の大好きな5月です。新緑の万水川や、とっておきの奈良井川で川遊びといきたいところだけど、来週は相模川シンポジウムへ行ってきます。
結婚、その他で、足が遠のいていた川問題だけど、偉そうなことを言う前に一から勉強しなおしですね。