富士川へ行く(1993 冬)

富士川へ
身延線
鴨親父
吹雪の中で


第4章 吹雪の中で…

すぐさまゴーという唸りをあげて次の瀬が迫ってくる。波をかぶりながら、笑いがこみあげてきた。こんな吹雪のなかで川下りをしてしまうとはなあ。
 ばかだなあ。
 あほやなあ。


『ホウッ、ホウッ、ホウッ』

 この爽快さ。たまんねえぜ!
 波をかぶってびしょ濡れになる。
 瀬が終わったところの右岸に人影が見えた。
 ありゃ、今の嬌声を聞かれたか?
 カーブを右に曲がっていくと目に前にスラローム競技用のポールが両岸に設置してあった。ここは国体のカヌースラローム大会が行われたところだ。
 岸にかっこいいシェイプのスラローム艇に載ったパドラーがいた。
 ドライスーツとオーバーグローブに身を固めている。
 エディを利用してヤマトを止める。
『やあ』

 と声をかける。
 ぺこんと頭をさげて返す。とまっどた表情をしている。
 そうだろうな。こちらは、Tシャツ一枚それもズブ濡れなのだ。
 岸にストップウオッチを首からぶら下げた男がやってきた。
 さっきの人影はコイツだったのか。
 どうやらタイムトライアルの練習をしにきてたようだ。

『この寒いのに川下りですか?』

岸の男が声をかけてきた。
 うなずく。

『気合い、入ってますね』

 おいおい。何考えてんだおめーはよって表情にでてるぞ、おまえ。

『どちらからです?』
『横須賀。出発したのはすぐ上の鰍沢だ。』

『じゃ、電車かなにかで?』

 うなずいた。

『しかし、寒くないんですか?』

 と呆れ顔で聞いてきた。見たらわかるだろう。今、冷たい水をかぶったところだ。寒いよとは答えず、むっとして

『いや、暖かいよ』

 と答えた。頼む、ブルブル震えたりするなよ。

『ふーん、冬もやるなんて凄いですね。』

 なんか言外に棘を含んでるな。おそらく変な怪しい男と受け止められたのだろう。 あまり、楽しい会話になるまい。やめとこう。

『じゃ』

と流れにヤマトをのせる。
 ポールを流れの方へ押し出して、コースを設定しているさっき兄ちゃんに声をかける。

『じゃ、がんばってな。』

 またペコンと頭をさげて返す。

『あの、気をつけて』

 うなずいた。

 ひとえにカヌーといっても、いろいろ種類があって、その範疇は多岐にわたっている。流れのなかに設置したポールをこぎ抜けたり、逆上がったりして通過し、時間を競うカヌースラロームはテレビでお馴染みのやつだ。

92年度のバルセロナオリンピックで正式競技に復活したので、ああ、あれかとうなずかれる人も多いだろう。アドベンチャ・カヌーは激流のなか下る大自然をあいての言葉通り冒険カヌーだ。また逆巻く白い波の中でまるでロデオのように暴れるカヌーを逆立ちさせたり、ジャンプさせたりして豪快さなパフォーマンスを競う競技もある。カヌーを使った水球、カヌーポロやマラソンだってある。
 まあ、大きくわけて、スラロームカヌーとツーリングカヌーに分類できるだろう。スラロームだとFRPやプラスチックでできたカヤック、ツーリングだと折りたたみ式のファルトボートやゆったりとしたカナデイアンカヌーを使用する。
 日本においてはカヌー人口はまだすくなく、昨今のアウトドアブーム、オートキャンプブーム、カヌーブームでやっと多くの人達がカヌーに乗って水に浮かびはじめたところだ。よく、川でカヌーをやっている人に出会うけれども、たしかに素敵な人やおもしろい人も多いのだけど、中には、すんげえヤな野郎や頭にくる連中もいるんだ。どこの世界でもおなじだね。スラロームカヌーをやっている連中のなかには、ツーリングカヌーのことを、すごく下にみるやつがいて、尊大な態度にでるやつがいる(ごく一部の人達と思いたい。僕の知り合いのスラローマーやファンカヤッカー達は、人間的に尊敬できる人が多いからね)。ツーリング派の人達のなかには、自分より凄いこと(エスキモーロールとか)ができたり、行っていない場所にいったことがあるというのを聞いただけで、もう手放しで『すごいですねー』と感心し、下手にでてしまうから、こうゆう尊大な奴が多くなってしまうのかもしれないな。
 それと、大勢でやってきている集団とかで、自分たちで固まってしまったりとかするのも、なんだかなあ、やだなあ。
 いちばん悲しくなるのは、にこにこあいさつすると、気持ちわるがられたり、けげんな表情を浮かべられたりされることで、それはもうがっくりしてしまう。特にやなのは、その集団に女の子がいたりした時だな、かるく話をしてたりすると、その中の男どもが、ちょっかいだしにきたり、いやがらせをしかけてくるんだ。

 いつのまにか、野外生活、野宿もアウトドア、キャンプだと呼び名、が変わり道具も機能的でお洒落なものが増え、車をつかった便利で、清潔で高尚なものになったようで女性の人がふえてきた。
 ひとむかし前は、こんなことをやってるのは、山岳部かむさい野郎達だけで、女性は大変すくなかったそうで、美しい女性が仲間にいれようものなら、いいとこのみせあいをやったり、とりあったり、でそれはもう大騒ぎになったらしい。
 大変なかのよい仲間どうしでも、ひとたび女性を入れてしまうとすぐこわれてしまって、長続きしないという話を良く聞く。
 いやはや男とはかくも悲しい生き物なのか。

 うーん。話が関係ない方へそれてしまったな。
 何の話だったけ?
 ちょっと・・・
 そうだそうだ、旅の途中で出会う人についてのはなしだったな。
 すっげえ脱線だな、こりゃあ。
 まあ、いろんなところでいろんな人々と合うのは、場所やそのときの状況、気持ちのありかたで大きくことなるものだから、いつでもどこでも素敵な人との出会いがあるというわけにはいかないのだ。
 これは俺の一般的な経験からわかったことなんだけど、自分のボルテージが下がっているときほどヤなやつに出会う確率が高いな。
 うん。まあ、こっちがムッとしてりゃあ向こうだって、ムッとするわな、そりゃあ。 まあ、俺の少ない経験によるとだ、良い出会いというのは、一人旅をしているやつとの出会いである時が多い。一人で旅するということは自立しているという意味だから、一緒に行動しいても、いなくなった時に心配しないでいい。気をつかわなくていいのがいいな。一人でなんでもできるのだから。

 話していても面白い。人からきいたりしたんじゃなく、体験にもとづいて言葉だから説得力があり、リアルなのだ。自分の考えをはっきり持っているのがうれしい。息投合して、よし行くか!ってな感じになってしまうのも、きまって一人旅のやつだ!
 予定を変更できる場合が多く自由度が高いのだ!素晴らしいぜ!まったく!
 ドラマがはじまるんだな、うん!
 これが風のさすらい一匹女渡り鳥みたいなおねえちゃんだったりしたらもう、それはそれは心臓が壊れてしまうかというぐらいドキンドキンするだろう。
(注:そゆことはまず、ないので安心してよろしい)

 山々の向こうから雪をかぶった富士山が顔を出した。そういやあ、昨年の11月は、あそこにえっちらおっちら登ったんだなあ。あの葵い氷の壁はすごかったなあ。と、暫し富士山に想いをはせる。

 長い瀞場に入ったようだ。
 冬の暖かい陽光の中をゆっくりと流れにまかせて下って行くのは気持ちがよかった。心に積み重なった鬱屈したものが、ほんわりしたものに洗い流されて消えていく。
 昨今、日本の川を旅すると、楽しいと思うよりも、いきどおりや、悲しさ、痛ましさを感じることのほうが多い。川とそれをとりまく自然が恐るべきスピードで消失してしまっているからだ。特に一度おとずれた川にふたたび出かけていくとまざまざとそれを見せつけられて、やるせなくなってしまう。

 それでも川にでかけていくのは、この、ほんのつかの間の安らぎ、それは、ただの錯覚であるんのかもしれないのだけれども、つまらないことや、ろくでもないことことが吹き飛んで、優しい気持ちになれる、そんな一瞬(とき)を味わいたいだけなのかもしれない。

 3級の瀬に挟まれた中洲に上陸。道路からも離れ静かで落ち着いたところだ。
 片側は切り立った崖。川原の砂の上に、ごろんと横になる。
 ぽかぽかした陽光を頬にうけた。
 うーん。あったけえや。
 頭上をゆうゆうと鳶が舞う。
 空が高い。抜けるような青空。
 冬きたりなば、春遠からじ・・・・

 気がつくともう西日。いつのまにかまどろんでしまっていたようだ。
 薪をあつめ焚き火をおこす。
 冬の夕暮れ。
 ハーモニカで、赤とんぼを音を探しながら吹いた。

 夕焼けこやけの 赤とんぼ
 おわれてみたのは いつの日か

 村の畑の 桑のみを
 こかごにつんだは まぼろしか

 十五でねえやは嫁にゆき
 おさとのたよりも つきはてた

 夕焼けこやけの赤とんぼ
 とまっているよ さおのさき

 これを吹いたり、歌ったりするともうだめだ。
 なんだかしらねえけど涙があふれそうになる。
 郷愁。
 少年時代。
 友達。
 あの頃、懐かしくけして戻ることのできない光景が胸の中に蘇り、儚く消える。

 すっかり陽は落ち、急に気温が下がりはじめた。
 焚き火の炎を大きくする。
 ワンカップ大関を煽る。朝に出会った鴨おやじのとの約束が頭をよぎった。

 『すまん、すまん、鴨おやじよ。鴨鍋はまた今度だ・・・』

 すこしやさしい気分になって眠りについた。

2月1日 (くもりのち吹雪、そして晴れ)
 朝、テントのそとにはい出すと曇天だった。
 昨日のんびりしたぶん、はやめに出発した。
 早い流れと高い波に加え、ところどころテトラの残骸がのこり、複雑なコースをつくりだした。ふだんなら、喜びたいところだが、寒さとしとしと降り出した雨のためにそうもいってられない。なんだか悲愴な気持ちななる。
 橋の下の瀬を越えた瞬間世界が白くなった。雨が雪へと変わったのだ!
 一瞬、言葉を失った。雪が風に舞う。

 すぐさまゴーという唸りをあげて次の瀬が迫ってくる。波をかぶりながら、笑いがこみあげてきた。こんな吹雪のなかで川下りをしてしまうとはなあ。
 ばかだなあ。
 あほやなあ。
 波と吹雪と戦ったあと、流れはおだやかになり、遠くに塩之沢ダムが見えはじめた。空に太陽が戻ってきた。急に暖かくなる。 上陸して、ダムの下流を偵察。
 ダムから下流は、なさけなるほど水量がなかった。
 この先の激流下りはまた今度だ。
 さらば、富士川よ。
 広がりはじめた青空を背に富士山がどおーんとわらっていた。

引用の原典:あのうたこのうた2666曲 ’96

      ・ソニーマガジンズ

曲名   :赤とんぼ

   作詩:三木露風

   作曲:山田耕筰


あとがき