富士川へ行く(1993 冬)

富士川へ
身延線
鴨親父
吹雪の中で


第2章 身延線


富士市と甲府を結ぶ身延線。その沿線には楽しい人たちが…

甲府行きの列車に乗る。
 一番前の車両にのり、運転席のすぐ後ろにロープで固定。
 両側は、シルバーシート。
 ガキがなかよく4人で腰掛けていた。
 お祭りの帰りらしく手にはあめだのおかしだのを持っている。
 すると変なオッサン達がきてからみだした。
 時折、身体障害者という言葉が聞こえてくる。
 よく聞いてみると、なにやらガキ達に席をゆずれと言っているようだった。
 そんな人(身障者)のってたっけとあたりを見回したが、お年寄りや身障者の方は乗ってはいない。
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 そんなことしている間にガキ達はしかたがないというか、うるせいのはほっとけというか、座っているよりも運転席から前をみてたほうがいいぜ!てなかんじでのいた。

『えらいなー』
『ぼうず、どこの小学校な?』

とねこなで声のオッサン達。
 ほいで、どうすんのかと見物していたら、どかっとそこに座ってしまった。
 ホクホク顔のふたり。
 おおおお!?
 そりゃあ、よ、ガキどもたちよりか年寄りと言えば年寄りだろうよ。
 しかし、そりゃああんまりじゃないかい。

『おーい。あいたぞー。こっちこっち』

 後ろの方へしきりに声をかけ手招きをしている。

『身体障害者ー。この子たちが席を譲ってくれたよー』

 声をかけている方を見ると、普通のおばさんがひとり苦笑いしながら手でけっこうです表示をしながら、後ずさっていくところだった。 そうだろうな。恥ずかしいよな。やっぱし。
 二、三回そのやりとりが続く。
 あきらめたオッサンのひとりが前に立っているガキのリックをひっぱった。

『おい!座れ』
『いいもん。オレ、シンタイショーガイシャじゃないもん!』

 隣にいたガキが

『座れよ、シンタイショーガイシャA!』

とそのリックをひっぱられているガキにちゃちゃをいれる。
 リックのガキが変なオヤジに、ちゃちゃをいれた仲間を指さして

『コイツに言ってよ、シンタイショーガイシャBに!』

しばらくガキの間でAだBだCだのやりとりが続いたあとやっと落ちついた。 ガキどもに相手にされなくなったオッサン達はしょざいなげにあたりに目をやりだした。それまで静かにしていた方のオッサンが俺の荷物に目を止める。
 げげっ!いかん!
 やめろ!オヤジ!
オレにふるんじゃねえ!と願いをこめ、そのオッサンを見つめていたら、しかり目と目が合ってしまった。
 なぜだかわからんけど、ちょっと申し訳なさそうに

『それ、山道具?』

 うーん。やっぱりきたか。どうしたもんかなあ。

『富士山に登るの?』

 うーん、どうしよう。まあええか。

『山もやるけど、今回は川なんです。』
『ああ、スキーかい』(オイ!)

 首をふる。

『この隣を流れる富士川を下りにきたんです。これはフネなんです』

 荷物をポンポンと叩く。

『ほう。フネ!川下り、ほえええー。』

 おい!やめろ!よしてくれ!
 そのオッサンはとなりのまだガキのリックを引っ張って遊んでいるオッサンの胸を、手の甲でぽんっと叩いた。
 ああっ、やっぱり。

『おい、聞いたかい。この兄さん川を下るんだと』
『川?ああ、知っとるよ、カヌーだろ。』

 うなずいた。

『おりたためるやっちゃろ?』

 うなずいた。

『ようやっとるで、なあ?』

 うなずいた。

『ひとりかい?』
『はい』

『ひとりでさびしくないの?』

 最初に声をかけてきたオッサンが心配そうに聞いてきた。
 ガキから席をせびるオッサン達だけど、いい人なのかもしらんな。
 少々困ったあげく、

『寂しいのが好きなんです。』

 と答えた。
 その瞬間まわりが唖然となる。
 俺のうしろに立っていた買い物がえりの若奥さん風のひとがそそくさと離れて行くのが気配でわかる。あちゃあー。
 いかん。こりゃいかんぞ。そりゃ変人だと思うわな。
 が、オッサン達は心配そうな顔を並べて俺を見ていた。

『寂しいのが好きだって、あんた』

 そこでふたり顔を見合わせて

『なあ』
『なあ』

 こちらを向いて

『大丈夫なの?』

 とハモる。いいオッサン達だなあ。ホント。
 しかし、俺はお爺さんやお婆さん、オジさん、オバさん、ガキどもに気にいられてしまうのだろう。この溢れ出る人間的魅力のせいかなあ?(それにしては、若いオネーちゃんたちは逃げていくからイチガイにそうともいえんけど。)

『けものとかでるよ』
『そうそう』

『さむいよ』
『そうそう』

 にこにこしながらうなずくだけのオイラのことを、それはもう心配している。

『この寒いのになあ』
『うんうん』

 あげくのはてにソンケーの念の混じった目(これは勘違いかもしれない)でみられだした。 おかしい。変人あつかいされるのがホンマやで。そうか類は類を呼ぶってやつか。

『オッサン達、変人なん?』

 という言葉が喉までやってきたが、飲み込んだ。
 川の水はどうですかときくと

『そうだな。家の近くでみたけど、少ないようだったよ』

 との返事。

『気をつけてな。』

 とこのオッサン達は降りていった。

『気をつけて』

 と降りていこうとするおばさんにもペコンと頭をさげられた。
 会話のやりとりを聞かれていたらしい。
 あいやー。まあいいか。

 沼久保駅で列車は富士川に合流。ここから川沿いにさか登る。
 途中、2、3箇所でホワイトウオーターの気持ちのよさそうな(恐ろしげな)瀬がみえた。 しかし、それにしても水量が少ない。
 冬の渇水期とはいえ、これほどとは思っていなかった。
 カヌーを浮かべるだけの水量がないのだ。カヌーの喫水はとても浅く、普通水深30cmから40cmあれば浮かべることができる。川原を分流したながれは途中から水が切れてしまっているところが多く、本流(一番水量がある流れ)でさえ、岩がながれよりも上に顔をだし小川のせせらぎになっていた。

 日本三大急流のひとつに数えられる富士川にカヌー、一パイ浮かべるだけの水量がないのだ。途中、塩之沢ダム、十島の堰で大量に発電取水されるためだ。
広くひろがった流れは川原を乱流するために、水量が少ないと浅瀬が続出する。
さらに富士川のように周囲を山に囲まれて集中豪雨が起こりやすいところでは、大水がでるたびに激流が大きな岩を上流から運んでくる。浅いところでカーブや瀬になっているところには、必ずといっていいほど大きな岩がばらまかれていてフネを進めるスペースがなかった。
 うーん。どうしよう。
 これではザラ瀬のたびに川歩きになってしまう。

 富士川は下流に行けば行くほど流れがきつくなるという他では考えられないあまのじゃく川だ。上流は甲府盆地を緩やかにながれ、中流部は広がった川原を行く快適な流れとなり、下流は付近の山々から流れ込んだ豊富な水量が富士山の溶岩を削る激流となる。

 予定では中流の波高島をスタートしてこの激流を下りきって海へでよう、勝負しちゃおうじゃないの!ということにしていたんだ。昨年の12月にオラオラ隊の仲間達と石和(いさわ)から波高島まで下っているので、そこから海まで行こうとしたのだ。気の合った仲間どうしの旅てのはおもしろいもので、僕は気楽に手軽な旅や楽しい旅をしたい時は、酒をのんでバカをしあえる『オラオラ隊』の仲間とでかける。

重い旅をしたい時はひとりで行く。この二つを使いわけてる。ヘビーな旅では、全て自分で決めて、全て自分で行うという今の日本では手にいれがたくなったほんとの自由を手に入れられるのだ。だから、必ず危険なドキドキするようなところに行くようにしている。自分の力、勇気を確かめたいんだね。自分の中の自分と対話をするんだ。

 僕は小さいころから自我が強かったくせに、人前ではすごく気をつかうところがあった。感受性が鋭すぎるために、強調を重んじられる学校生活、集団生活、社会生活に適合できない人間がいるというのを、何かの本で読んだことがある。
 人嫌いでもなく、性格的な欠陥があるわけでもない。ただ、あまりに敏感に人の気持ちの変化を感じとるため対応に疲れてしまうのだという。他人を無視することもできず、どうしょうかと逡巡しているうちに自分を失ってしまう。そうした心の揺れがますます自分を追い込んで、どんどん孤独になっていく。多くは子供の頃にそうした状況を経験し、大人に近づくにつれ、精神的に強くなっていく。世間慣れ、つまりすれていくのだ。しかし、それを潔しとせず頑なに自分を守ろう、通そうとすると、大人になった場合は極端に他人とのコミュニケーションを苦手とするようになるそうだ。

 強い感受性は往々にして、他人よりも自分を傷つける方向にむかう。自虐的になって心のバランスを崩してしまう。僕の場合もおそらくそうだ、と思う。
 自分の弱さ、危うさを知っている。自分を苦しめる感受性を捨てるのではなく、折り合うため、精神のバランスをとるため、抜け出すために重い旅へとでかけるのだ。社会生活の中の様々な軋轢。人々の中のいろんな想い。時には、思いやり、優しささえも疎ましく感じる。うまくやれない自分に対して、情けなさ、卑屈さが襲いかかる。精神と肉体のバランスがとれなくなる。この状態をぬけだすために旅にでるのだ。

それにはこの川旅というのはもってこいだ。自分を試し、取り戻すことができる。 最近、人はひとりでいることを根暗だとか、いうふうに決めつけて悪いことのように言う風潮がつよいけど、僕はそうは思わない。寂しいって感情は良いものだと思う。川を下っているといろんな光景に出くわすんだけど、青年が旅の空の下で、思い詰めた表情でたたずんでいるてのはね、絵になるんだ。

 街のなかでいるとなんか変な奴だなっていう気持ちになることが多いんだけど、野の風と光のなかでね、そんな光景に出くわすと、なんかじーんときてしまう。
 こころが張り裂けそうくらい切ないというか、闘っているのがこっちまで伝わってきてね。で、見られているのにる気づいて、ひやあてな感じでね照れたところがまたいい顔をしてね、うん。中にはムッとしてどっか行っちゃうのもいるけどそれはそれでまたいいんだ。
 いい絵だよ。本当。

 それに、一人の旅から帰ってくると優しい気持ちになれるんだね。人恋しくなるというか、うん。やっぱり、現代の日本において一人になれる時間のは貴重なもので、それが、野山のなかなんかだと、凄く強烈なものになる。自分の中の野性が安心するんだね。ひとりぼっちで、広い空間の中にいると。人間てのは社会的な動物だけど社会的であるまえにまず動物であるわけだから、テリトリーがないところ、例えば満員電車の中なんかじゃもう凶暴なぎすぎす野郎になってしまう。身体の不自由な人や困っている人をみても関係ないねって感じになってしまうのかもしれない。

 ちょっと話はよこにそれてしまたけど、一人旅、単独行はいいぞっていことを言いたかったんだ。徒歩、自転車、バイク、電車、なんだっていい。人生で一番多感な時期、純粋な時期に旅すると必ず心に残る財産になるからね。
 先にも少し、書いたけど、普通の人とはかなり変わっている俺なんかといっしょに遊んでくれる『オラオラ隊』の仲間達は男の俺からみても惚れ惚れする

男たちで、もう一緒にいるだけで、幸せな気持ちになれるし、優しくなれ、勇気が湧いてくる。
 こういう男たちと焚き火を囲んで飲む酒は格別の味だ。

 関城の力石ことナゲーと、沖縄の情熱爆発男のハテルマのふたりは、それぞ

れ単独でカナダへわったて、放浪してきているのでさすらう風のような匂いを身にまとっている。くやしいことによく女にもてるんだ。(常に闘っている男たちで最近はあまり遊んでくれる暇がないようだが)

 兵糧将軍のハリゲーは剣道の達人でアイスホッケー部のスーパースターでもある。俺と一緒の長良川の激流で岩に叩きつけられるという死線をくぐりぬけている。岩石のように頼もしい古武士のような男だ。料理も美味い。

潜水班長のノモトは俺が大学時代に制作していたドラマに役者としてスカウトした男で会って一時間後には嵐のなかで泥まみれになって殴り合っていた男だ。心優しい薩摩隼人である。
 そんな仲間たちと山、川、海で、ガキの頃のように探検ごっこや、冒険ごっこ、海賊ごっこをやれちゃうんだからすげえ楽しい。酒も飯も旨いしね。
 だから、仲間どうしで行く旅も大好きなんだけど、一人で行く旅は、それにもましてオレにとってはかけがえのない旅なんだよ。今まで何度も行ってるけど、そのどれもが心に残っている。なかよしどうしでいっちゃうと目がグループ内にだけ向いてしまっているので、ワー、キャー、楽しいかったなーっていうのしか頭に残ってないことが多いんだ。その土地との触れ合い度が低いように思える。

よい男達だけど、強そうな連中が4、5人あつまってわいわいやってたら、遊びにおいで、飯をたべにきー、泊まっていけやってのはさすがに起こらないものな。それに寂しくない。うまく組み合わすことだな。うん。
 あー、いかんいかん!どんどん脱線するな。オラオラ隊の話はまたべつな話ですることにして、話をもとにもどすぞ。

 そうそう、今日の予定の話だったな。川下りするだけの水量がない。どうしようってなはなしだったよな。

 上流の甲府を挟んで流れる笛吹川と釜無川が合流して富士川となる。この合流地点から中流にある塩之沢ダムまでは、一年を通して川下りできるだけの水量がある。激流で男をみがくてのはまた今度にしよう。久ぶりの単独行だし、のんびりコース(実はそうでもないんだが、下流とくらべるとね)にしよう。川歩き(このつらさはやったものだけにしかわからないだろうな)よりも、川下りの方が100万倍も楽ちんだし気持ちいいからな。

 波高島で途中下車して川を偵察したあと、再び列車に乗って上流の鰍沢口(かじかざわぐち)へ。日が暮れて真っ暗になった野道を歩いて川原へ。
 テントを設営。昼間の暖かさがうそのように、どんどん気温が下がっていく。
 焚き火をおこして湯をわかしコーヒーを飲む。
 雲ひとつなく澄み切った夜空。
 西の空に宵の明星と三日月。
 東の空にはオリオン座のベテルギュウス、リゲル、そして大犬座のシリウス。
 白い息。
 水の流れる音。
 頬をなぶる風。
 はぜる焚き火。舞う火の粉。
 今日はあの娘の誕生日だったけ...
 Happy Birthday!
 まだ、俺のことをおぼえているのだろうか・・・

 過去の思い出がそっと僕の心に入り込む。
 少し感傷的になっているのか・・・ちえっ、ガラにもないな。
 久々の野宿は風の音が気になってなかなか眠りにつけない。
 それにしても寒い。夏用シュラフとシュラフカバーだけではきつい。
 1月の甲州は。 おやすみ。