富士川へ行く(1993 冬)

富士川へ
身延線
鴨親父
吹雪の中で


第3章 鴨親父

ハンチング帽、薬莢ポケットが胸にある革のベスト、不精ヒゲとまったく由緒正しいいでたちがバッチリキマっているオヤジだった。が、妙に品がないところが泣かせる。


 1月31日 (晴れ)
 明るくなる前に起床。 一面真っ白な世界だ。
 歩くと霜柱がサクサクと崩れる音がする。
 吐く息が白い。 流木を集めて火をおこす。
 この季節、嬉しいのは空気が乾燥しているため、薪がすぐ燃えてくれることだ。 明け行く空を眺めつつ、コーヒーの香りをかぐ。
 頂に雪をいだいた南アルプスの山々に太陽の光が差し込んだ。
 モルゲンロードだ。
 よおおおし。ゆくぞ。
 テントから昨晩添い寝したヤマト(僕の五艇目のカヌー)を出して組み立てる。 名前の由来は松本零士の宇宙戦艦ヤマト。
 カナダのフェザークラフト社が造っているK1というフネで海用のファルトボートである。世界一の名艇だ、と思う。
 フレームはアルミでできているため、組み立てていると冷たさでしびれるように手が痛くなる。焚き火で温めながらすこしづつ進めた。
 組み上げるのにはちょとしたコツがいって、ホネがおれるのだが、組み上がれば天下無敵だ。

 ようやく完成。
さっそく、生活道具をつみこみ出発。
 一人ぼっちの船出。
 少し不安だけど、最高にドキドキする一瞬だ。
 水面に浮かぶ。うーん気持ちいいぜ。
 風もキモチいいな。
 水をつかむパドルの音が心地よくひびく。
 ぬけるような青空。
 水はコーヒーブラウン色でちょっと...だが、それすらも懐かしい気持ちを呼び起こすじゃないか。この自由な気分。なにものにもかえがたい。

 好きなところへ、気の向くまま。苦労する自由。楽する自由。すべてが自分で決めるべきことだ。ちょっとした不安はある。確かにある。
 だけど、不安がある、先がわからないというのはなんてドキドキするのだろう。 勇気をだして片思いのあの娘に告白するときのように。そう、なんて素敵なコトなんだろう。

 ぽかぽかの陽気のなかTシャツ一枚になる。
 北から渡ってきた鴨が川面を覆い尽くしている。
 近寄ると一斉に飛翔。いったん右にきってから180度反転させて川上へ飛んで行く。出航して1kmほどで富士橋に到着。
 江戸時代の初期から昭和のはじめまで、ここから河口の岩渕(現在の富士川町)まで舟運があった。『下り米・上がり塩』を運ぶ高瀬舟をはじめ、最盛期には800 艘を越える舟が上がり下りしていた。この富士橋付近の青柳、鰍沢、黒沢は舟運のスタート地点で三河津(川湊)といわれていたところだ。

 左岸に上陸。橋のすぐ近くの酒屋で、ビール、バーボンを補給。水もわけてもらう。よし、これで準備万全だ。船出。サッポロビールをぐびぐび流しこみながら川の上の酔っぱらい野郎になる。デッキの上に水のボトルとゴムロープでビールのカンをおくドリンクホルダーをつくる。うーん。これは便利だ。
 軽快な流れになった。ビール片手に流れに身をまかせる。
 ひらけた甲府盆地をあとにして富士川はここから山間部はいる。景色はよいはずなんだが、右岸は国道が走るためコンクリートの壁がそびえたち、左岸は山なのにその山の中腹までピラミッドのような護岸がされている。さらに、これでもか、これでもか、と上へ、上へと段差をつけて土を掘り返している。あそこまでびっしりとコンクリートをしきつめるのだろう。これは、治水なんていうものじゃない。一つの山を人工の山に作り変えてしまおうとしているみたいだ。
 身延線の列車のなかで南甲府に住むという元気のよいおばさんが、波の形の壁を造っているだーと自慢していたのを思いだした。今、全国でこれと同じようなことが繰り返されている。田中角栄首相の列島改造計画は土建屋と政治家の癒着を生み出し、河川は治水の名目で傷めつけられてきたものの代表例だろう。
 ダムをつくり、両岸をコンクリートの壁で覆って川を排水口にかえていく。
 ダムが発電のために必要なのはわかる。堰も農業用の取水に必要なのもわかる。 けれど、納得のいかないことが溢れている。

 北海道の荒野の真ん中の川をコンクリートの川にする必要があるのか?
 洪水になるのは、川が曲がっているからです。真っ直ぐにしてはやく海に流してしまいましょうだと。じつは、遊んでいる川原を売り買いできる土地にしよう、ゴルフ場をにしてしまいましょう、そうすればみんなが使えるでしょうというのが本音だろう?
 そんなにはやく水を海に出してしまいたいのならなんで、水をせき止める河口堰なるものをつくるのか?長良川の河口堰が問題になるとなり、議論で負けると水門をいくつか開けたままにしますからいいでしょう?さっさと造ってしまいましょうときた。一回きまってしまったことだし、造らないとお金が動かないじゃないですかねえ、あなた? ふざけんじゃねえ!どこから出た金だよ、おい。

 カヌーイストの野田知佑さんが日本人のことを機械を与えられたサルだというようなことをいわれていたが、川を旅していると実感としてよくわかる。絶望的になるというのも、よくわかる。わかるから、同じ日本人だから悔しい。とても悲しい。自分勝手になること、金を儲けること、他人を蹴落とすこと、傷をなめあうこと、悪口、陰口をたたくことこう言うことを叩きこまれて育ってられてゆくシステムに腹が立つ。悲しくなる。何もできない自分にも腹が立つ。人間であると言うことに誇りをもてなくなる。
 最後の残された空間がこれなのだ。昨今の環境問題に対する感心の高さが、破滅をすこしでも先にのばそうとする気持ちからきていると願いたい。

 カヌーもブームで嬉しいかぎりだが、アウトドア、アウトドアを連呼する人間にエセエコロジストが多いのはいたみいる。野外で生活しているとどれぐらいゴミがでるのかそれはおどろくべきものである。遊ぶだけじゃなく生活だから。たった一人の単独行でさえその量の多さに愕然とすることがある。昨今のオートキャンプブームでどこもかしこもキャンプ場が大はやりだったが、山のようなゴミが残されていく。これでは、自然だアウトドアだ!なんとかだ!と声を大にしてを語る人を、優しい目で見られなくなってくる。それなら車を乗り回すキャンプなど止めることだ。
 部屋の中、自分たちのスペースだけ綺麗にしてそとにゴミをまき散らす人々。
 車の中が汚くなるから、ゴミは外に捨てなさいと言われる子供たち。
 運転しながら煙草を消すのは危険だからと窓から投げ捨てるドライバー(なにが危険だ!だったら吸うなよ)
 綺麗にするってのはそういうことの上に成り立っているとしたら、ぞっとする。 あー、いかんいかん話が暗くなる。もうやめよう。

 嘆きながらの川下りが多いな、最近。
四万十川しかり、釧路川しかり、長良川しかり。それでも僕は川へいく。
 怒りながら、別れをおしみながら。惚れちゃったもんの負けだね。

 見上げていると気持ちが滅入ってくるので、水面に目を落として流された。

『ダキューン!』
 げっ!

『ターン、ターン、ターン』
 げげっ!

『ターン、ターン、タッターン、タンタターン』

 うおおお、おもわず身をふせる。
 頭上を鴨の群れがバタバタと飛び去っていく。
 しまった!鴨打ちだ!

『タターン、ターン、ターン、ターン』

 あかん!打たれるかもしれん!
 うああ!打つなー、俺がいんだぞー。
 銃声がやっと沈黙した。
 伏せたままあたりを見回す。
 がさがさっと音がした方を見ると男が一人立ち上がるところだった。
 けっ、なにやってんだオメーはよ、あぶねえじゃねかってな仕種をした。
 睨み返すと、目をそらして上流にむかって歩きだした。
 どうやら仕留めそこなったらしい。
 ふうー。そうか向こうは銃もっとんのやし、はむかったら撃たれるかもしれんな。今度からおとなしくしておこう。
 しかし、助かった。鴨達が俺の上空を飛ぶんでいた時が一番銃声が激しかったような気がする。風切り音は聞こえなかったが、おそらく俺の方に向かって弾丸がやって来てたに違いないのだ。おい!散弾だろう?危なかったんじゃねえのか、本当に。この先もこんなのばっかりかな。これは危険な川下りになるぞ。 ん。もう一人下流にあらわれたぞ。また鉄砲オヤジだ。
 見ていると水辺にやってきてしゃがみこむ。こちらを見ているようだ。
 目と目が合った。
 帽子に手をやって軽くずらすしぐさで挨拶をする。
 と向こうがニヤッと笑って手招きするので、舳先をふって寄ってみた。
 するといきなり、銃を腰だめにして構えるではないか!
 おおう?!!!

『やめろう!オヤジィ!』

 唇の端をくいーと引き上げて恐ろしい笑みを浮かる。
 そして俺に狙いをつけた。
 おおおおい!やめてくれよ。冗談だろう?

うん。冗談。ははは。
 ほんとは近寄っていったら立ち上がって歩きだそうとしたんだ。

『こんにちは』

 カヌー上から声をかける。
 おう!てな感じで手で答えた。
 スイープをいれてフネを岸に並行にして接岸。

 『鴨打ちですか?』

 すこし笑ってうなずいた。
 
ハンチング帽、薬莢ポケットが胸にある革のベスト、不精ヒゲとまったく由緒正しいいでたちがバッチリキマっているオヤジだった。が、妙に品がないところが泣かせる。

『あそこの橋の手前にいーっぱいいましたよ』

 上流の橋の方を指さしながら言う。
『おう。あそこだろ。あそこはいっぱいおるんじゃ』

 そこでちょっと悔しそうに
『けど、あそこは禁猟区間なんじゃ。』

『へええ。そうか民家に近いからかなあ』

 鴨も安全なところが判るんだな。
 俺のヤマトをみる鴨打ちオヤジ。

『何をやってるんだ?』
『川下りです。』

『一人でか?』
『うん』

『この寒いのになあ』
『今日はすごくあったかいですよ』

『いいや。寒いぞ!よし、わしがイイモンやろう!ちょっとまっとれよ!』
『あっ、酒なら俺』

 ビールを持ちあげる。

『あかん。そんなんじゃ、あったまらんぞ。』

 と土手の方へ消えていった。
 すっげー。やったあ。しかし俺はよく人から物をめぐんでもらうなあ。
 しばらく川を眺める。水の色は茶色がかっていてところどころアブクが浮いている。甲府盆地の生活排水や温泉の排水が流れ込むため水質は悪い。上流にある笛吹川ではサイクリング道路をつくるとかで、河原のあちこちにユンボが入って土をほじくり返している。12月にオラオラ隊で笛吹川を下ったときには、この堀り返された粘土が川面じゅうに、うんこのようにプカプカ漂っており、そいつらに取り囲まれててしまうというとても気分のよろしくないめに逢っている。あまりにもつまらないので、パドルのブレードでこのドロうんこを『おうりゃっ』と一刀両断して遊んだものだ。

 川床の方も最悪だった。砂と泥が川一面にたい積し、浅くなっていてカヌーが座礁してしまうのだ。抜け出そうと、フネから降りて押そうとすると、人の体重を支えるだけの固さがなく、ズブズブと沈んでいく。まさに泥沼地獄だ。
 どうしょう?呆然とする俺たちのまわりにシラサギがバカにしたように立っていた。水面に浮かばないで立っていた。それだけしか水深がないのだ。
 しょうがないので俺たちはカヌーの上で飛び上がった瞬間にパドルで漕ぐと『ホイッチョ漕ぎ』なるものをあみだした。この時、俺は俵料将軍のハリゲーといっしょに『ハードボイルド2号』〔組み立て式のカナディアンカヌー、アリー611(ノルウエー製)オラオラ隊の旗艦、0.5 トンの積載量をほこる。

子供を10人ぐらい乗せたこともある。船名からしてわかるとおり二代目。初代は長良川の激流の中で岩に激突し、真っ二つに折れるという壮絶な最後をとげた〕に乗艇していたのだが、二人の呼吸があわないとうまくすすまない。そこでいろいろ試した結果この

『ホイッチョ!ホイッチョ!』

という掛け声が、なかなかよいことを発見したのである!
 あの時はほんとカンベンしてくれだったな。そんな記憶が蘇ってくる。

 がさごそ音がするので振り返ると、カモ打ちオヤジが帰ってくるのが見えた。
 手にビニール袋をさげている。すれちがいざま

『ほれっ』

 と手渡してくれた。

『くいもんはないけどな』

 と笑う。のぞきこむと、ワンカップ大関が三本とソーセジがちょこんとカワイクはいっていた。ばっと顔をあげてオヤジをみる。

『なっ、くいもんはないだろ?』

 目線をそらして笑う。まるで北の国からのおとうさんのようなカワイイ仕種だ。ありがたくて涙がでそうになる。

『ビールとはちがうからな、飲みすぎて酔っぱらうなよ』

 力強くうなずいた。

『おっちゃん、ありがとう!』

 それから、カモ打ちの講義をうける。頼めば銃を撃たしてくれそうになっていたが、さすがにそれはよしておいた。

『やっぱり、男は銃をうたんとあかんよね。』

なんて褒めまくってしまったのだ。 すっかりゆっくりしてしまったな。
 出発しようとカヌーに乗り込もうとすると傍らにまできた。

『どこまでいくだ?』
『きめてないけど塩之沢のダムぐらいまでかなあ。』

『そうか、わしは夕方、身延の橋んとこでコレ(鉄砲をかかげて)やっとるけ、
また逢うかもしれんな。』
『うん。その時はカモ焼いて食わしてください。』

『おう』
『じゃあ、がんばってください。』

『ははは、おまえこそがんばれだ!』

 再び礼をいって水面にすべりだす。100mぐらい進んだところで振り返るとまだ、こっちを見ていた。ガッツポーズをきめると、笑いながら銃をふってくれた。怪しいハンターと怪しいカヌーイストの束の間の邂逅であった。

 さあ、また俺一人の時間だ。

 カーブを曲がる遠くで大きな野焼きをおこなっていた。本流がその巨大焚き火のすぐよこを流れているので、どうしてもすぐそばを通ることになる。 消防団が総出で行っているらしい。何人かがこちらに気づいた。

『おい。なんだ、アレ?』
『カヌーだ』

 ひとのよさそうなおっちゃんが声をかけてきた。

『どこまで行くんだ?』
『塩之沢まで』

『寒くないのか?』
『はい。あったかいです。』

『ははは、こっち(炎をさして)はもっとあったかいぞ、あたっていくか?』

 よっぽど熱いのだろうタオルで顔をおおっている。

『うーん。それはあったかそうですね。』

 とゴウゴウ燃える野焼きを後にする。
 少しくだると川幅がぐっとせばっまって波が高くなった。
 頭の上から水がザブンザブン落ちてくる。
 おもしろいようにヤマトはポンポン跳ねる。
 まるでジェットコースターのようだ

『ヒャホーウ!最高ー!』

 ドッパン、ドッパン、ドオオオオン

『アイアイアイアイアイィィィィィイヤアアアー』

 と雄叫びをあげる。
 向かってくる波にパドルをいれる。
 瀬じたいはクセがない二級の瀬だけど、水量があるため1mぐらいの波が逆巻いていて、豪快な気分が味わえる。ここでこの二級だなんとかだっていう用語の解説をしておこう。
 カヌーでの流れの難易度のことなんです。一級から六級に分けられ、だいたい次のとおりになってます。

 一級:ほとんど静水。流れてるなと感じる程度。
 二級:少し波がたつが、危険なし。
 三級:波高く、水中の障害物多し。かなり危険。複雑な操船技術が必要。
 四級:長い難しい瀬。1m以上の落ち込み(滝)を伴う。上級者向き。危険。
 五級:フネの漕行の限界。生命にかかわる危険性あり。
 六級:漕行不可能。
 とまあこんなところ。初心者にとって三級の瀬というのはかなり恐怖を感じると思うがそれは、防衛本能が働いているからで、ほんとに危険だ。
だから、その本能を信じたほうがいいよ。うん。一般的にカヌーツアーの対象となる川にある瀬は大部分が二級で、四級の瀬はまれに現われる程度。四級以上の瀬は四国の吉野川などの特定の川にしかない。

ちなみに私の経験では五級の瀬は四万十川の轟崎の瀬のみです。この時は落ち込みで、岩に乗り上げ空を飛んで逆巻く激流の中に裏返ったまま落ち、岩で頭をうち、結構水を飲みまくって命からがらクリアした(クリアしとるといえんぞ!)んだけど、この時は危険なことやっとるんだなあと身にしみて感じた。突っ込む前には足が震えたし、死ぬかもしれんと思った。ほんと。独りやったし。増水しとったし、怖かった。ほんま。 四級の瀬は同じく四万十川、千曲川から信濃川へと名前を変えるところ、長良川などの数カ所。かなり気合いと勇気をを必要とする。これは五勝一敗。三級、これは少しドキドキするかなってなかんじ。楽しい。笑いがとまらない。油断して結構、沈(転覆の事)している。カナディアンカヌーの漕行限界。瀬を終えるとフネが水面より下にいたり、お風呂になっていることが多い。初心者は命の危険を感じる。二級は初心者がわーきゃーいって程よい恐怖を味わえる。一級はもうニコニコツーリングです。安心して初心者をつれていける。

 コツとしては自分の判断を信じること。いけると思ったら大丈夫です。あかん!と思ったらあきません。簡単です。ただ調子にのってる時は正確な判断ができまへん。気をつけてください。大事なことは最後まであがくこと。
潔くあきらめちゃたりしないで、醜くかろうが、なんだろうが悪あがきをしてください。これが秘訣ですね。

 あと川下りなんぞしとっていきなり滝から落ちたりしたらどないすんな?
ってよく聞かれるけど、これは地図をもっているからそんなことはありません。2万5千分の1地図には1m以上の滝や堰は載っているし、最近では川旅専用のありがたい地図まで出版されています。情報収拾はできるだけやっておいた方がいいでしょう。あと、瀬のグレードですが、だいたい音で分かります。

 二級:ご・・・・っ
 三級:
どおおお・・・・ん
 四級:ず ど ど ど っ ど ど ・・・ん
てなところかな。まっ、ご参考までに。