富士川へ行く(1993 冬)
![]() |
社会人になった冬のある日、大きな荷物と、重い気持ちを抱いて、僕は一人、富士川を目指した。一人旅とはなにか。
川へたどり着くまでも、さまざまな出会いと別れが… |
1993年1月30日(土)
今日からいきなり三連休だった。
いやあ、いかん、いかん。
昨夜はただ酒にしこたま酔って気がつくと休日第1日めのお昼だったというわけだ。
どっひー。
外はドピーカン(雲ひとつない晴天)!
おまけにポカポカと暖かい。
どっひゃああー。
なんてもったいねえ。
電話で天気予報を聞く。
明日も晴れ。 うっひょー。
こうしてはおられん。
いくぞ! 行かねば!
いてもたってもいられず、パッキング(荷作り)を始める。
さいわいカヌーは2艇ともキチンとたたんでおいたので、いつでも出発OK。
後は野宿道具だ。
テント。シュラフ。マット。ガス。ストーブ。
うん?
しまった!コッヘル達がいない!
昨年、オラオラ隊(仲間うちで結成した野遊び集団のこと)であそびにいった時、炊事班長ハリゲーのクーラーボックスにいれたままだったけか。
うっぴょおおおおー。
これではメシがつくれん。どうする?
缶詰の空き缶を代用しようか。植村直己さんもよくやっておられたようだし しかし、それではあまりにも、あまりにも、絵にならなさすぎる!
Sキチ(ヤマハSDR:一人のりの200ccのワインディング用2ストロークモーターサイクル)に飛び乗って、ドリフト(タイヤを滑らすことね)をかましながら、釣り具屋へ。幸いコッヘルセットはおいてあったが何と2800円!
そりゃ高いで! でもしょうがない。買う。
頭だけハングオンをバリバリきめて舞い戻る。
よし!準備完了。出発だ!
さっそくカヌー、キャンプ道具一式の山のような荷物を背負ってそそくさとバス停へ。
国道にぶつかった所で同期の美也ちゃんにばったり出くわした。
こちらを不思議そうに見ながら歩いている。
うっひー。かっこわりい。
しょうがねえ。こぼれる笑顔でごまかそう!
『あれえー。とみさーん。(オレのコトね)』
『おー、美也ちゃん。』
『どこいくのー』
『うん。川に、ちょっとな。』
彼女はいま、自動車免許を取るために教習所に通っている。
この連休を利用してセッセとかよっているとのこと。
その帰りだそうだ。
『すごい荷物だねえー』
『うん』
あいかわらずのほほーんとしていが、それでいてどこか謎の多い娘だな。
『これなに?』
『カヌーだ。それと生活道具一式。これから富士川に川下りにいくんだ。』
『ふーん。』
不思議そうな顔をしている。
『むーん、富士山の向こう(西の方を指さして)を流れる川だ。甲府から静岡県へ流れる』
なにいってんだかおれは。
『へえー、そんな遠いとこまで』
えっちらおっちら歩く俺の背中の山のような荷物を見るている。
『これだけ、そろえるのにずいぶんかかったろうねえー』
変なことに感心している。
『まあな。少しづつ増やしていったんだ。』
『ふーん。そうなんだー。』
まだ見ている。
『よくこれだけきちんとできたねえー。』
たぶん、パッキングのことを言っているのだろう。
『私だったらこれだけまとめるだけで一日かかるなー。』
また、変なことに感心している。
おいおい。
『まあな。』
とても10分で用意したとは言えないな。 バス停にきた。どかっと荷物を下ろす。
『おもそうだねー』
おっ、やっとふつーの人が一番に口にするセリフがきたな。この娘は一般の
人とは異なった感性と自分の世界をもっているなあ。
『おおっ、重いぞ!持ってみるか?』
とふると、気がのらないけどやってみっかまったくみたいな感じでチャレンジ。
『うー、ほんとだ。重いー、もちあがんないよー。』
ぐわっと腰をおとして荷物を抱えたまま、こちらを見た。
『何キロぐらいあるのー』
『そだなあー、30キロぐらいかなあー』
後ずさりしながら(おーい、やめてくれーそんな目でみるのは。)
『写真とかとるの?』
と聞いてきた。
?、え?写真?ああ写真ね。
『うん、まあ、な。』
『じゃあ、できたらみせてー。』
こっちを見ながら新しくできた寮のほうへむかって道路を渡ろうとする。
なんか逃げていくみたいだなー。
『気をつけてねー』
と同期の美也ちゃんは去っていった。
おう。気をつけるともお嬢さん。
しかし、こっちの方こそ気をつけてねーだぞ!
その後すぐに逗子行きのバスがやって来た。
いっしょにバスを待っていた中学生くらいの女の子がふたり乗り込もうとする。
『うりゃ!』
と掛け声をかけて荷物をかかえあげた俺の方を振り返り、目をみひらいた。
そしてタラップに乗ろうとしていた歩を止めてしまった。
????!... なんだ、なんだ、なんなんだ?
2、3秒は静止していたろうか。
いかん。まあええ。それでは先に乗らしてもらおうとバスの方へにじりよっていく。と、硬直していた女の子達は、はっと我にかえり時をとりもどした。
そこへ大荷物を両腕でかかえて長靴をはいた男が近づいてきたものだから、さあ大変!ぱっと左右にわかれてしまった。
うむう?そうか!先に乗れというわけか。
いや、これはこれは。すまんすまん。乗り込んだ。
でも、先にのってればいいのに何考えとんのやろ?と不思議に思って振り返る。その子達の見開いた目とあきれてぽかんと開いた口が俺の素朴な疑問を解いてくれた。 いや、まったくすまんすまん。驚かせてしまったな、娘たちよ。
逗子駅に到着。一番最後に降りる。運転手さんが
『お金だけ先にもらっといて、それは後ろ(乗車口)から下ろしましょう。』
との声。いやほんとにすまんこってす。
毎度のことだが、コイツ(フネ)をもっての移動は、誰かしらに迷惑をかけてしまうので腰がひくくなってしまう。
人々の反応はこうだ。
まず大きな荷物に目をとめて、ちょっと驚いてから俺のほうを不思議そうな目で見る。俺の方も、ははあーんときちゃうんでよく目と目があったりするんだな。これが。
慌て目をそらす人には苦笑いで、あきれ顔のひとににはより目を作って鼻のあたまをかいて、 迷惑そうな人には軽く黙礼で、目をまんまるにしておどろいているガキどもにはニヤッとわらってウインクをきめて、答える、ように心がけている。
しかし、だ。
すごい大勢の人々のなかで大多数に迷惑そうな顔をされるとやはりさすがに、恐縮してしまうのだよ。おまけにその人々はそれが大多数の意見だというのが雰囲気でわかるのか、連鎖反応のように迷惑迷惑迷惑ーというふうな気持ちが広がっていき、みんなの俺のことを考えんけしからんやつだ。ほら、みんな怒っとんのだぞーきみィー。となるんだな。これが。うん。もう正義の味方づらしてしまって、たまらなくなる。
まあ、一方的にすまんすまん俺が悪うございましたの連続になるんだな。
うーん、軽く黙礼がいつのまにかペコペコりんになる。精神的によくないな。
これは。JR横須賀線で大船へ。そこから東海道本線に乗換えだ。
まわりの人々の視線がイタイ。
いや!ここで腰を低くしてはいかん。下手にでるとかさにかかってせめてくるからな。ここは、毅然(キゼン)とせねば、キゼン、キゼンと。
このキゼンとした態度がカッコよかったのだろうか、大船駅で列車から降りてホームに立った時、いきなり後から降りた学生服姿の高校生に声をかけられた。
『どちらまで行かれるんですか?』
恥ずかしそうだが、ニコニコしている。いい笑顔だ。
『富士川だ。富士山の横を流れるんだ。』(おいおい説明になっていないぞ!)
『そうですか。あ...どのくらいすか?』
『二泊三日だ。』
『はあ、そうですか。すごいですね』
俺がよっぽどきょとんとした顔をしていたのか、 照れて視線を遊ばせながら、首を2,3回上下させてうなずいている。
『あー、では気をつけて行ってきてください』
『お、おう』
ぺこんとおじぎをして去って行った。
なんてすがすがしい奴なんだ。 心が洗われるようだ。
ドーっと通路に向かう人々の流れ中で山のような荷物を背中にたちどまり、しばし感動にうちふるえていた。(ホント迷惑なやっちゃな)じーんと来ちゃったんだな。
少年の姿は群衆の中に消えてしまったが、心のなかで親指を立てる。
『気をつけるとも。少年、ありがとう。』
あれ?そういえばこれとよくにたことが、以前にもあったな。
北海道での関直樹との出会いだ!
あの時も奴から声をかけてきたんだっけ。
うーん。そういやあ奴も横浜の出だったな。
人を元気にさせてしまうほど元気いっぱいのやつが多い土地だ。神奈川という地は。などと感慨にふけってたが、肩の痛みで現実に引き戻された。はやくなんとかしてくれいっと悲鳴をあげている。よしよし。と東海道線のホームに向かった。
沼津行きの列車に乗り込む。
熱海の海をなめて列車は西へ。
吸い込まれそうな青い世界が目の前にひらけていた。
よし!次はおまえだかんな。人差し指意のチエックポーズを決める。沼津で浜松行きの列車に乗換え。
その列車のなかにピンクの髪をブル中野(注:全日本女子プロレスのレスラー。悪役だけど強くてカッコよい女性)のようにおっ立てているネーチャンがいた。
おまけに顔はデーモン小暮とおなじペイントをほどこしている。うっひょーすっげええ。やるな。 ちろちろとソンケーのまなざしを向けてしまう。だが、よくみるとほんとにブル中野にそっくりなので、面目無いが目を会わさないようにしておくことにした。
富士駅に到着。ここから甲府へと連絡する身延線に乗換えだ。いやああ、本当に遠いなあ。身延線とかかれたホームへ行ってまっていると、駅員さんがきて今度の列車は東海道線のホームから出ると言う。苦労してかついできたのに何ということだ!
しゃーない。今やってきたホームへ帰ろう。地べたに直接置いた荷物に座りこんで腕を通す。このままでは持ち上がらない。慣性の法則で動いているものはずっと動いていよう、止まったものはずっと永遠にそこにいようとするわけなんだな。そしてその法則では重いものほどそういう気持ちがつよいということになっているんだ。だからして、このドーンともう何があっても動かんけんねの大荷物は気合いがバリバリに入っているというわけになるわな。そこでこの状態をなんとかするためには、ちょっとしたコツが必要になる。そう、ちょっかいをだしてあげるんだ。わかりやすくいえば、バランスを少し崩してやる。荷物を背に前方に体を預けるとバランスを崩されたヤツはどおおおっと前に倒れてこようとする。
ここだ!ここがチャンスなのである。
その動き始めの一瞬をとらえてヒザ、コシ、背筋力を上手にミックスさせ、後方に反り返る力を利用しながらよっこいしょと立ち上がって、はい!後はこっちのものよ、ぐふふふふふ。てなカンジでみごとメデタシ、メデタシになるのだ。
よおおおし、腕をカポンカポンさせてからウリャと体を前方になげだした。
きたきた!ドッワワッと倒れてきた。よし!ここだ!俺の目はその瞬間、キラリっと光るハズ...だった。
そう、だった…のだ。
そこでプロレスのショルダースルー(知らない人カンベンな)のように後方に反り返るハズが、やややや! 後方に反り返れない!それどころかさらにグワワワワッと前方に倒れてくるではないか。うひょひょひょひょー。
もしこれを読んでいるきみが400ccくらいのオートバイに乗ったことがあり、かつまたライダーの間では非常にみっともなく屈辱的ともいえる立ちゴケというものを経験したことがあるとするならばだ、この時、俺のおちいった状態と俺の気持ちを、とーってもよくわかっていただける、と思う。
ライダーは、信号まちで止まった時に気を抜いていたり、狭いところで切り返しなぞをやっておるとその『立ちゴケ』なるものにいきなり襲われるという。
バイクというものは車輪が二つしかついてない。したがって世でいう三点確保、安定よの原則(ここでは関係ないがこれは岩登りにも適用されている)から大きくはずれているので、そのままでは非常にうまくバランスをとっていないと、右か左かにひっくりがえってしまうという悲しい運命が待っているのだ。走っているときはバイクもさっきの慣性の法則が働いて、走りつづけてしまおうじゃないのという気持ちがつよく、他の車と激突するとか、急ブレーキをかけてタイヤをロックさせてアレエエエとか吹っ飛んだりしないかぎりは、ちょっとやそっとのことでは倒れない一本気な性格のいい奴なんだけど、止まっている時は、少しでも隙をみせるとすぐに、ぐぐぐぐっ倒れてしまおうとしやがる。
だから、ホイッてなかんじで右か左かの足をすばやく出して、前輪、後輪、足の三点確保の状態をにもちこんでしまうわけだ。三点で支えているんだからもちろん出した足の方にバイクは少し傾いた状態になってるんであるが、100キロはゆうにこえる(大きいヤツなら200キロ以上!)バイクを片足一本でささえるのは至難のワザであるからして、支えるのはあくまでも前後の車輪がメインなのだ。足はほんとに添えるだけのオマケよオマケってな感じだわな。
しかし、バイクの傾きがどんどん大きくなっていくと、足にかかる重さがグワグワグワッと指数関数的に放物線を描いて増大していってある状態を境に
おおおおおおお!!!!!
いかん!いかんぞ!これは!
になってしまう
バイクというものはライダーにとっては、カウボーイの愛馬と同じく、友であり、恋人であり、かけがえのない存在、もう宝物そのものなのであるからして、(中には名前をつけたり、しょっちゅう話かけたりする人達が多いのである。)この状態はとーってもありがたくない。
こっちがちょっと気を抜いたりしてると、わがままな女房よろしく
『ちょっと、あんた!何ぼーっとしてんのよ、まったく』
といきなりその存在を誇示するかのようにグググググーと体重をあずけてくる。 このありがたくないグオオオオオーてのがどんどん大きくなり、ドンドン地面が近づいてくるというにっちもさっちもいかない状態におちいってしまう。いかん!
このままでは、バイクが地上とキスするか、バイクに足をはさまれるかという、それはそれは非常に難しい二者択一をせまられてしまう! すなわち、恋人を守るため自分を犠牲にするか、それともさっさと逃げちゃって自分の身を守るか選べという人生最大の究極の大ピンチ(なんじゃそりゃ)なのだな。うん。
僕の知ってるかぎりではギリギリで足を引っこ抜き、バイクはガシャってのが多いみたいだが、やっぱり瞬時のことなので防衛本能が働いてしまうのかなあ。とろくさくて逃げ後れてはさまったりする人もいるらしいが、バイクのために進んで身を犠牲にした人がいるとすればそれは人物だろうな。
ここで、そんなの両方ともいやだーいってやつは火事場のバカ力をだして、おりゃ!と持ち上げてしまうのだが、こーゆうシュワちゃん(注:アーノルド・シュワルツネッガーの略称、筋肉モリモリの強そうな映画俳優)のような人は少数派で、大抵は火事場のバカ力をもってしても、そのにっちもさっちもいかなくなった状態で、歯をくいしばって耐える(せうぜい数秒)のが精一杯なようで、めでたくドンガラガシャーン。
ほんとはこの大ピンチにおちいる直前に反対側の足でバイクのステップをフンと踏んでやればよいことなんだけどね。なかなかそうはうまくいかないみたいだ。
世の中は他人の不幸(本人にとっては生きるか死ぬかの大問題なんだけど)ほど見ていておもしろいものはなく、これはその代表例のひとつだろう。
ありゃ、いかんいかん全然ちがうはなしに行ってしまった。
おれは何を...あっ、そうかそうか。カヌーをかついでよこらっしょの話をしていたんだっけ。
そう、このオートバイの立ちゴケのように背中の荷がぐおおおおっと前に倒れてきたのっだたな。そうそう。(すっかりひとごとだな。)
なんでこういうことに陥ったかというと、俺の考えに大きな誤算があったからだ。 まずその一つに、荷物の高さである。カヌーを入れた巨大なバックの上にこれまた巨大なキャンプ道具を入れた防水バックとテント、ザックなどが山のようにのっかているのである。すなわち、これを背負うときは荷物のほうが俺の頭よりも1mちかく高くなっているのだ。そしてパッキングの鉄則にちなんで結構重量のあるものを上に持ってきていたので重心も高くなっていたんだな。これらが雪崩のように前方へやってきたんだ。そして、その次に自分の腰、背筋力に対する過信と慢心である。その結果どうなったかというと
『うああああ』
と二、三歩つんのめったあげく頭のほうからホームに突っ伏してしまった。
頭上高くつきでた荷のおかげで、コンクリにくちずけをかますのだけははなんとか逃れたのだが、おしりをくいっとつきあげたあの浣腸をまつ情けないポーズをのまま、荷物に押しつぶされまいとしてウゴウゴとあがく悲しい人になってしまった。海老のようにバックへバックへもがきながらやっとのことで這いだす。 あたりにめをやると、プラスチックのベンチに腰掛けたおばあちゃんが、ぴくぴくしながら、視線をそらしている。
いかん!これはいかん!どうしようもなくいかん!!!
しかし、このまま慌てるのはもっといかんな。
今のはいかにもこちらが意図したとおりの出来事、計画的な行動だったように(あきらかに大失敗なのだけど)取り繕えないものかな。とその場で腕なんぞ組んでみたものの、どんな言い訳も思い浮かばなかったので、スゴスゴとその場を後にした。
人の不幸ほど見ていて痛快なものはない。だ、な。
ま、笑える不幸ならユーモアの一種、人生の潤滑剤ということで...
あああカッコわりぃ。