グレイシアー・ベイ紀行(その2・ブラック・ベア)

カヤックのすぐ前方の海岸に出現したブラックベア君

ガステイバスのバートレット・コブ・キャンプ場の2日目。
ザトウクジラの息吹で目が覚めた。

本日、此処から、グレイシアー・ベイの右腕にあたるミュア入り江に向って、北上を開始する。いよいよバック・カントリーへ人工物のまったく無い世界への旅の幕開けだ。グレイシアー・ベイの入り口にあるキャンプ場から、直ぐ北には大小様々な島が集まったBeardslee Islandsといわれる多島地帯がある。入るには細く浅い水路を抜けていく。そのためには満潮の前、わずか2時間の上潮を捕まえなけらばならない。本日の満潮は午後6時。 曇り空の下、夕方5時に、レンジャーのおねいさんと草を食べてるマーモットに見送られつつ、カズと狭い水路に吸い込まれた。

水路の幅は狭いところで、50m。スプルースの森に囲まれた眺めが美しい。まるで川を下っているように錯覚に陥る。水底まではっきりとわかる透明度と浅さ。ところどころで、サーモンがライズしている。一時間程のんびり漕いで、野営。 アザラシが遊んでいた川の中州のような場所をキャンプ地に選んだ。周りが見渡せるし、熊が渡ってきても、水で音をたてるので、気づきやすいからだ。
米を炊き、サーモンの薫製をのり巻きにして食べる。出発準備の疲労も残っており、明日の早立ちに備えて、はやばやと眠りについた。

旅の2日目。 どうやら熊の訪問は受けずにすんだようだ。
小雨まじりの中、出発準備をする。
グレイシアー・ベイには、太平洋からやってきた湿った空気が、湾をぐるりと取り囲む4,000mを越えるフェアウエザー山脈に衝突して、年間を通して多量の降水をもたす。フェアウェザーという名前と反して、この当たりはは天気が悪いことで有名だ。
この豊富な降水量が巨大な氷河と、豊かなレイン・フォレストを造形する源になっている。
訪れる前から天気が悪いことは十分承知していたが、雨だと視界も悪く、気温も低くなって面白さは半減する。まあ、雨には雨の良さがある。気を取り直して出発した。

多島地帯のBeardslee Islandsはグレイシアーベイのなかでも水深が浅い地域だ。
この島々を縫って北上するのだが、この区域を抜けるには、引き潮を捕まえるのがうまいやり方だ。午前中の満潮の間に出発して、引き潮に乗ってBeardslee Islandsを抜け、そのまま今度は上げ潮に乗って、湾の奥に北上すれば、1日で下げ潮、上げ潮の両方をうまく使うことができる。
今日は、カズにナビゲーションを任せる。あらかじめ、地図で計画したルートを自分で確認しながら進んでもらうのだ。もしも何かあって、僕とはぐれた場合、待ち合わせの場所に独力でやってきてもらわなければならないからだ。海で最も大切なことは自分の場所を把握するとこと。一歩踏み出せばそこは山の世界と同じくサバイバル能力が必要となる海では、ナビゲーションは欠くことのできない大切なスキルだ。もし、自分の位置を失ってしまったら、野外活動で一番危険なパニック状態に陥いってしまうだろう。ナビの技術を身につけるには、経験を積まなければならない。実践あるのみだ。いつまでも他人のケツを追ってては進歩はない。
カズに先行してもらって、その後500mくらい離れてゆっくりついていく。カズが時々とまって、地図とにらめっこしている。その背中から真剣さが伝わってくる。カズの風貌は、熊のプーさんにそっくりで、動きもシャベリもユーモラスだ。緊張感ある背中も何故か可愛いかった。島が多く複雑なこの地帯は地図から、立体の形を起こすイメージ力が必要だ。カズ、慎重に、慎重にな。
待っている間に、ルアーをフネから流してキャストしたり、トローリングをする。のんびりしているとカズが小さくなってしまった。

左前方の小島を回り込むようにして追いかける。小島の岬をかわしても、正面の北方向、いるべき所にカズの姿がみえない。ビノキュラーを出して探してみると、なんと遥か左方にいた。目指す北から90度外れて真西にむかって進んでいる。近くにシール(アザラシ)のコロニーがあるから、それを見にいっているのだろうか?しばらく暖かく見守ってみたが、どうも帰ってくる素振りがないので、呼んだ。
と、しばらくして小さな点がどんどん大きくなってきた。懸命に漕いで戻ってくるところを見ると、やはり間違えていたらしい。

「いやー、命を救われました〜よ〜。ありがとーございまーす」

「アザラシを、見に行ったんかと、おもったよ」

「いやー、なんかね、漕いでたら、どこにいるのかわからん様になるし、コンパスは西になっているんで、いうにことかいて、壊れたかな〜思てたとこ、たいちょうに声かけてもらったんです。いやあ〜、助かりましたあ〜」

近くの丸い島から離れるポイントを誤ってずーっと島づたいに廻って行ってしまったらしい。

「試験不合格ですね〜」

と照れ笑い。少し悔しそうだ。気を取りなおして、北上再開。

次々に島が現われては、後方に飛んでいく。景色が目まぐるしくかわって、楽しい場所だ。アザラシや海鳥たちのコロニーもある。これで晴れていればなあ。その時、ぐぐーとトローリングしていた竿が後方に引かれた。

大きい!急いで取り込みにかかる。しかし手応えが重いだけで引きがない。なにかに引っかかったらしい。糸を取り込みながらフネをよせると、ケルプにひっかかったルアーが上がってきた。まあ、こういうこともあるさ。取り込んでいたら、ふと近くの島に動くものがあった。黒っぽいカタマリだ。やっぱり動いた。

手足がある!
耳もデカイ!
熊だ!
ゆっくりカヤックを島へ漕ぎよせた。体長1.5mくらいのブラック・ベアだった。引き潮で現れた海岸線を物色しながら歩いている。こちらに気が付いたようたが、気にするふうでもなく、物色を続けている。岸の側までゆっくり漕ぎ寄る。距離は約50m。双眼鏡を覗くとレンズからはみ出るくらい大きく見えた。表情、しぐさが手に取るようにわかる。正確も良さそうだ。ユーモラスな動きと表情に、思わず笑いが漏れる。これじゃあ、まるでカズそっくりだ。と、コツンという座礁する感覚。双眼鏡を外すと、なんと浜にカヤックがのりあげていた。その前には、想像していたより、間近で、のんびり徘徊するブラック・ベア君。
やべやべ。いくらなんでも、これでは襲われたら一たまりもない。
少し離れて観察を続けた。