グレイシアー・ベイ紀行(その3・ファルコン)

ケルプの茂る海を行く

どれくらい時が過ぎたろうか…
ブラック・ベアは静かにゆっくり散策を続けていた。
こんな機会はそうそうあるもんじゃない。
しかし、カズは既に視界から消え、離れてから時間が立ちすぎている。
急に心配になった。
カメラを取り出し、フィルムを使い切ってから、大声で別れをつげた。
キョトンとした可愛い姿が小さくなる。

「元気でやれよ」

島々をかわし、Flapjack Islandを目指して暗礁を回り込む。
遥か遠くにカズがパドリングしているのが見えた。
潮止まりの時間帯。水面は鏡のように穏やかだ。
巨大なケルプが水面にまで繁茂し、幻想的な雰囲気をかもしだす。
カヤックがケルプを乗り越える時に擦れる音が大きく聞こえた。
午後2時。北方に本日の到達予定地Leland Islandsが見えてきた。
直線距離で約8km。そのまま横断してもつまらないので、東に5km程漕いで陸地沿いに北上し、また島に向って3km程漕ぐルートを予定していた。
が、

「たいちょう、まっすぐ行きましょう!もう余裕がないっす」

とカズ。陸地沿いに北上するとおよそ倍の距離を漕がなければならないと聞いて、カズは海峡横断を迷わず選択したようだ。初の長距離とあって腰が痛そうだ。
よーし、上げ潮にのって一気に島に渡り、そこで、のんびりしよう。
島々が点在するBeadslee Islandsの最北にある海鳥達聖域Flapjack Islandを越して海原に出ようとしたその時、風を切り裂く音が響き渡った。
稲妻のように落ちてきた影は、空気を切り裂きながら、恐るべき速さで上昇していく。
まるでジェット機のようなうなり音を上げながら…
そのシルエットは…
「ハヤブサだ!」

鳥の中でも最も早く飛ぶことができる鳥だ.存在は小さなころから知っていたが、目にするのは初めてだった。あっというまに見えなくなった。その速さに驚愕する。凄い…しかし、一日にこう何度も興奮してよいものだろうか。

カズと海原へと踊り出る。海峡横断のぶっつけ本番。風が斜め後方から吹いてきた。
デッキを波が洗い始める。ここでも、カズに先行してもらう。目的の島にバウを固定し、ラダーを当てまっすぐ漕ぐだけだ。風の影響でスターンデッキに荷物をくくりつけたフネでは、リーニングだけでがんばるのは厳しい。早々にラダーを降ろした。カズをみるとどんどん風下に流されている。何度か近寄って修正するように伝えた。どんどん風も強くなり波も高くなりはじめた。
前方に厚い霧が立ち込めはじめる。やばいこのまま霧が濃くなると有視界航行ができなくなる。嫌な予感は当たるもので、最初は遥か彼方の岬、遠くの島がかすみはじめたかと思うと、とうとう目的のLeland Islandsまで、霧の向こうに消えそうになった。やばい!周囲四方で何も見えなくなるホワイトアウトの状態だ。まあ5km東は陸地だから最悪エスケイプはできるが、やばいことに違いはない。海況判断をあやまったか?追い風で、横断に乗り出した時は視界も良好だったのだが。
目標の島の影を捕らえて、コンパスをセットした。

「カズ!コンパスをセットしろ〜」

叫んだが理解できないようだ。こりゃあ訓練なんて言っとれんな。すぐ側まで寄って二人で漕ぐことにする。もう半分は来ていたから、この追い風なら1時間とかからず島に漕ぎよれるだろう。もし、方角をハズしていなければの話だが。
コンパスを信じて、カズに近寄り甘いビスケットと熱い紅茶で休息をとった。今回、初めて持ってきたギアに魔法瓶がある。冷たい氷河の海で、熱い湯が飲めたらいいなっと思って持ってきたのだが、読み通り大活躍だ。
再び漕ぎ出すうちに霧は薄くなり、Leland Islandsが再び見え始めた。一安心だ。海峡横断の常で、島はなかなか大きくならず、最後に一気に大きくなった。
島の南端のゴロタ浜に上陸。長い浜を往復してのフネと荷物の上げ下ろしで疲れ果てる。たくさんの流木が焚き火の夕げを約束してくれていた。雨で湿っていたが、火力で勝負。すぐに優しい炎をあげはじめた。雨も止んだようだ。苦楽を共にすると不思議な連帯感が生れる。焚き火と酒の魔力もあってか、自分のことを語りすぎた夜だった。この島には熊がいない。安心して深い眠りに落ちた。