グレイシアー・ベイ紀行(その6・グレイシアー)

氷河から崩れ落ちた氷山が
入り江に浮かぶ。
氷河が近い!

6日目。夜半からの雨が振り続いている。しかし、氷河に会えると思うとワクワクする。元気に出発。天気のせいもあるが、入り江の奥深くに進むにつれて、緑が少なくなり、ゴツゴツした岩山がめだつようになってきた。まるでモノトーンの世界。

アジサシのコロニーをかわして、どんどん漕ぎ上がると、海上に白い物体が漂い始めた。
押し出された氷河が海中に落ちてできた氷山だ。
小さいやつから欠片をとって、カップに入れ、ウイスキー・オン・ザ・ロックを作る。
数千年前に閉じ込められた空気が琥珀色の液体の中でピチピチ音を立てた。うまい。
氷山はさらに増え続け、とうとうその吐き出し口に達した。
霧の向こうにマクブリッジ・グレイシアが巨大な口を開けていた。マクブリッジ・グレイシアの末端はミュア入り江からさらに5kmほど東に入った場所だ。近づくには、氷山地帯を突破しなければならない。しかも、大潮の満潮5分だけが入り込む僅かのチャンスとあっては、氷河の湾に入り込むのは今は不可能だ。あきらめて氷河へと続く入り江の前で、パドルを止めゆっくり眺めた。

それにしても青い!深く青いグレイシア・ブルー。
氷河の青さは雨や曇りなどの天気が悪い方が美しいと言われる。
氷のプリズムが光を閉じ込めるからだろうか。
ゴツゴツした柱状の氷が天空にむかって突き上げる様は人間の想像力を遥かに越えている。
氷の河とはよくいったものだ。
現在、目の当たりにしている光景は4000年前に始まった氷河時代の氷床の名残だ。

あんぐり口を上げると、北からカヤックが近づいてきた。

2艇のフォールディングカヤックと1艇のリジットカヤック。
ヒゲのかっこいいショーン・コネリーオヤジに日本語で挨拶された。
奥さんはすごい美人だ。これからマクブリッジ・グレイシアの近くにいってトレイルから見るらしい。
どうするの?と聞かれたが、もっと先のリッグス・グレイシアーが見たかったので、そちらに向かうと答える。この氷河は帰り道にも寄ることになる。今は、新しいものを見たい。いつ、ガスで視界が閉ざされるか、わからないのだ。後続の耳当てをしたこれまた美しいお嬢さんらしきカヤッカーに別れを告げ、北上を続行した。

5km程、漕ぐと右岸の岩山の向こうから巨大な氷河が現れた。
公園のレンジャーが、一番のお気に入りだと薦めてくれたリッグス・グレイシアーだ。
近づくと直前で氷河から流れ込む濁流にフネを回されてしまった。
フェリーグライドで乗り切り、グレイシアーの懐へ。
フネに乗ったまま、しばらく見とれてしまう。
突き出した水晶の剣。深く切れ込んだクレバス。
パラパラと氷が落ちてくる。
どれぐらい見とれていたろうか。
お尻が冷たくなってきた。
粘土質の岸に上陸して、ビスケットとチーズ、紅茶で腹ごしらえ。
6日かけてたどり着いた場所だ。自然の造形美にたいする賞賛とはるばるきたなあという感慨が交互にやってきた。しばらく一人きりで独占していたら、写真家らしき人を載せた小型ボートが現れたので譲ることにした。

少しもどった岸辺でキャンプ。
目前にはホワイト・サンダー・リッジ。灰色の巨岩が降り出した氷雨の向こうに消えていく。
小さなクリークに囲まれたキャンプサイト。そこには、いろいろな人が僕の中にやってきた。
もう何年もあっていない友達。
小さいころの悪友。
ときめいた人。
お世話になった人。
いがみあってばかりいた人。
傷つけてしまった人。
裏切ってしまった人。
去ってしまった人。
誰もいない場所、遠くへ遠くへいきたい。
そんな衝動にかられて僻地へ。
未開地へ。旅を続けてきた。
よく一人で誰もいない所にいって寂しくないの?って聞かれるけど、
自分の中に入れば入るほど、いろんな人達がやってきてくれる。
寂しくはない。

何かを掴むため、
今までの自分じゃない別の自分に生まれ変わるため、
本当の自分の気持ちを確認するため、
独りぼっちになるという行為は、僕にはなくてはならないものだ。

都会の雑踏の中でも孤独を感じることはある。
しかし、周囲に人間がほとんどいない大自然の中で感じる孤独は質が
違うような気がする。
こういう気持ちになるために、巨大な広野の広がりが必要なのだ。
お金と時間をかけて、しかも自分の体を酷使してやってくる旅。
大多数の人にとってはどうでも良い世界だろう。
しかし、そこに価値をみいだす人間もいる。

さまざまな想いが浮かんでは消えた。
僕はどこにいくのだろう…
どこに向かおうとしているのだろう…

雨音がテントを叩く。
夜の帳が降りてきた。
氷河の崩壊する音と、雨だれを子守り歌に眠りについた。
リッグス・グレイシアー
美しく、荘厳。厳粛な時を過ごす。