アウトドア義援隊、ふたたび

モンベル・フレンドフェア in 仙台


週末を利用して、再び震災ボランティアへ。 大雨だったけど、出会いとありがとういっぱいの良い ボランティア活動になりました。

震災ボランティア再びGWに宮城県東松島市での震災ボランティア活動を していたアウトドア義援隊に参加して人生観が大きく変わった。

そして、いまも毎週末には、義援隊の有志が現地にかけつけ、 被災した方々のお手伝いをしている。

家族行事や海外出張が重なり、なかなか東松島に帰ってくる ことができなかったが、この週末ようやく出撃できることになった。

千円高速の終了、大雨警報が、行く手を阻まれたが、 マンをジして出撃するワレワレの勢いを砕くことはできない。

そう、今回も、同じ敷地内の会社の、まっちゃんこと松永さんの ミツバチ号で、千葉から一路、宮城を目指す。

2人乗りの軽自動車で燃費23km/Lのミツバチ号なら、 高速をつかっても、東松島往復で1万5千円程度なのだ!

アウトドア義援隊について、簡単に解説しておこう。 発足は、神戸の震災までさかのぼる。 震災直後に、アウトドア装備が被災者に役立つことがわかり、 当時社長だったモンベル代表の辰野勇さんは、 被災された方を支援するためにファックスで、 他社へも業界の垣根を越えて協力要請を呼びかけたという。

16年も前に結成され活躍したあの「アウトドア義援隊」が 震災翌日の3月12日に再結成されたのだ。

国や地方自治体が、裁ききれないから一般市民からうけつけられない と断った 支援物資を全国のモンベル直営店68箇所で受けつけ、 心のこもった物資を迅速に被災者に送り届けた。

そして、援助物資が行き渡るようになると、 GWには、宮城県東松島市内でがれき撤去や清掃、 側溝や民家の泥だしなどを実施。

9日間で約170人(のべ約500人)のボランティが参加した。

何かをやりたい。。。いてもたってもいられなかったが、 インターネットで調べるとボランティア受け入れのお断りばかり。

TVのニュースでは現地を訪れることを抑制する報道が繰り返される始末。 カメラマンとして現地入りして、義援隊発足当時から支援に奔走していた、 川ガキカメラマンの村山嘉昭さんから、

「大丈夫、大丈夫。自分のことが自分でできる人なら、  何人きてもいいよ。やることは山のようにあるから・・・」

という情報をもらって、GWに汗を流させてもったのだ。

参加メンバーの中心の一人、村山ヒロシさん。 村山ヒロシさんのタウンエースには、独ケルヒャー社の高圧洗浄装置や、 モトクロスバイクが積載されている。

金髪にサングラス。 ヤクザかとび職かという風貌なのに、 なぜかマンガ雑誌、 ビックコミック・スピリッツの編集が仕事だ というから驚きだ。

GWには、「アフロ田中」の作家、のりつけ雅春さんや、 「傷だらけの天使たち」の喜国雅彦さんも、ボランティアに参加。

スピリッツ・アフロ田中では、ボランティア活動や、 アウトドア義援隊の様子を、マンガの中にみごとに再現してくれた。

被災された方々に、何かをしたいとおもっても、 現地に行くのを躊躇して、なかなか一歩が踏み出せないと言う 主人公のアフロ田中に向かって、

「踏み出そうよ〜。一歩は。今踏み出さないで、いつ踏み出すの〜」

と工務店の社長の西田シンジさんが答える。 このセリフは、震災直後から現地入りして多くのひとのために 奔走した村山ヒロシさんや西田さんのモデルとなった 横山シンジさんの魂の叫びだと思う。

横山シンジさんは、村山さんの相棒で、 大阪からユニック(クレーン付きのダンプカー) を自走して参加してくれている。 走行メーターはもう二周りもしているそうだ。

やはり震災後すぐに、ユニックで北上し、 現地で多くの人に物資を届けてくれている。

マンガに登場する西田さんより、本物の方がカッコいい。 NHKのTV取材でボランティアに来ている理由について尋ねられ、

「日本人ですから!」

と答えてオンエアされなかった剛の人。 日本人なら、助けに駆けつけるのが当たり前ですから、 ということらしいが、 気持ちをストレートに出しすぎたのだ。 明るい大阪人。熱い情熱。優しい目。

大学で原子力が研究テーマだったハカセは、ほとんど毎週末、 東京から赤い粋な軽自動車で、GW以降も毎週のように参加し、 泥だらけになって、義援隊をひっぱっていってくれる。 研究室から線量計を持ち出して、東松島の作業現場の ホットスポット調査もやってくれた。

他にも、チェーンソーの使い。 アルパインクライマーでオカリナ吹き. まんまアフロ田中のアフロ。 初段を攀じるボルダラーのチリチリ。 サッカー大好きロンゲ。

と魅力的な人間ぞろい。 主催のモンベルにも、国内屈指のアウトドア・ ブランドメーカーだけあって、 アウトドアの達人たちが終結。 南極越冬2回の経験をもつ岩野さん。 被災したおばあちゃんたちから愛される孫ムスメに 変身してしまう中山さん。 島添さん、藤原さん、井上さん、川村さんetc,etc... 渓流釣り師、登山家、などなど多彩な顔ぶれだ。

あの仲間たちに、もう一度再会したい。 土曜日は、仙台でモンベル・フレンドフェアが開催されるとあって、 そちらに寄り道してから、義援隊に合流することにした。

モンベル仙台駅前店へ。 こんなに人がいなくて大丈夫かと心配していたら、

消防団だったサイクリストの義援隊員アンディから携帯へ電話が。

「あちゃー、そっちいちゃったかー、そこじゃないですよー」

というU字工事のような栃木弁のイントネーション。 なんのことはない、会場は別のところで、 オイラが間違っていただけでした。

会場に到着したたら、赤いボロシャツのアンディがまっていてくれた。 フレンドフェアは大盛況で長蛇の列の買い物客。 一目みて、買い物は後回しに。

人と同じことをやらないと、得することが多い。 展示をみてまわろうとしたら、パワフル歌が耳に飛び込んできた。 ギター片手にハンサム判治が、マイク無しで、客席を歌ってまわる。

移動で、昨日から徹夜でフラフラしているとご本人はおっしゃっていたが、 その熱いソウル、そのパワーに圧倒されてしまう。

お昼過ぎから辰野会長からモンベル義援隊の報告が始まった。 モンベルがモンベル会員向けに送付しているOUTWARD(No52)2011年6月号  の東日本震災特集に詳しく掲載されているが、 被災地にはいってツギツギに指示をだしていた辰野さんご本人からの説明には、衝撃を受けた。

その決断のはやさ。緊急時には、普段のルールは約に立たないこと。 自分で決断して、即行動を移すこと。 必要なものが日ごとに変わっていく。 そのニーズにあわせて、どんどん対応していく。

山形の天童市の後方支援では、小学生が仕分けをてつだっていた。 できることを、できる範囲で、現地で奔走する村山ヒロシさん、横山シンジさん、モンベル東京営業所の長谷川さんたちのの姿を川ガキカメラマン 村山嘉昭さんのカメラが捉えている。    

   多様になりすぎた要求。被災地のすぐまわりでは、お金で食事ができ、 物が買えるようになってきた4月後半には、義援隊は、 830人の被災者の方へお見舞金としておじいちゃんおばあちゃんから、 子供まで、一人あたり10,000円を手渡した。

そこで、行政からもらえるひとともらえないひとで不公平だから、 被災者に受け取るなという勧告がでたそうだ。

受け取らない方は個人の自由だが、必要としているものを渡すのが なぜいけないのかと辰野さんは問う。

何百億と集まった義援金は、いまだ被災者のもとに届いてすらいない。 公平に配らなくてはという「建前」が原因だ。

世の中は、公平である方が良いとは思うが、実際は公平ではない。 できることをできる範囲でやっていく。

例えば、山岳事故や、海難事故で救出する場合、 緊急度が不明な場合は、 近い方から救出していくのが基本だ。

アフロ田中と同じく小学館の「岳」という山岳救出ボランティア ・マンガで、主人公の「三歩」は、 遭難した自分の恩師よりも、 近くの他人の救出を優先する。

恩師の救出は、近くにいる人がベストを尽くすと信じて。

出会う、出会わないは時の運。 人間の力を超えたご縁の世界だ。 アウトドア義援隊の震災ボランティアは御用聞き制。

クチコミで評判が走り、依頼がはいる。 今現在、東松島市と有効関係にはあるが、行政をとおさずに、 個人の方々の依頼を直接受けて対応している。

どんな依頼も受ける。ダメと言わない。順番にこなす。 クレーン車や、洗浄装置、チェーンソーなど、 業界関連の隊員の装備が頼もしい。  

辰野さんの話に聞き入っているうちに、 日本語で遊ぼうの神田山陽さんの トークがはじまり、 まっちゃんの

「僕あと運転しますんで、いっちゃってください」

との申し出に、会場で販売していた松島ビールをグビグビしたのがいけなかった。 気づくと、辰野さんの笛まで聴いてしまった。 (お隣の伴奏の方の歌に涙)

これでは、とてもじゃないが、ボランティア作業に合流できない。 フェア終了後の月曜火曜でボランティアに参加されるという 長谷川さん、島添さんに挨拶して会場を後にした。

キャンプ場に向かう途中で、GWにお手伝いさせていただいた 東名のNKおじいちゃんを訪ねる。

遠洋マグロ船に乗り組み、牡蠣の養殖もやっていたKMじいちゃん。 GWには、床板を全部はがして、泥かきをした、その家に畳が入り、 きれいになっている!!! うれしい!!!

次に再会したKKさんからは追加のオーダーがはいる。 あの懐かしい松山千春声とシャベリで、

「ちょうどさ、よかった。壁もやって、ほしいんだけどな」

壁を壊し、廊下の床板も剥がす作業だ。 これは、やりがいがあるぞ。

本日のテント場の東松島コミュニティパークに到着したが、 義援隊のメンバーは お風呂に行っているのだろう。誰もいなかった。

テントを設営して、南三陸町と石巻市の境にある相川浄水場の仮設テントを めざすことにした。 僕の会社が、復旧支援で、簡易のセラミックフィルターを供出し、 飲料水を作っているのだ。しかし、遠い。 そういえば、松島から片道2時間以上かかるっていってたな。。。

途中、女川(おながわ)の町をみて驚愕。 谷あいに囲まれた町は壊滅していた。

初めて石巻や東名、野蒜を見たときに言葉を失ってしまったが、 そのときと同じ悲しみが湧き上がってくる。 ハンドルを捌く、まっちゃんも言葉を失っていた。

ここから先に続く、南三陸町、大槌町、などリアス式海岸の 街々の惨状は用意に想像できた。

無くした元気をとりもどそうと、 焼肉晩御飯をたべて、 太鼓の饗宴を鑑賞し、 東松島コミュニティパークに戻るともう22時。

村山ヒロシさんや、横山シンジさん、ハカセ、アフロ、 チリチリ、ロンゲのテントを襲撃。 仲間たちの笑顔に再会して、一気に元気を取り戻す。

が、ここは一般のボランティア皆様のテントもたくさん張られている。 社会人なので、明日の段取りをして、すぐにお開きにした。

さー、明日に備えてねるぞー。 って、まだ何もしていなし、長い1日だー。

ボランティアは、喜び、悲しみ、出会い、危険、決断、 勇気がためされる。人生が凝縮している熱い時をすごせます!